ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

論点は“絞首刑の是非”だけなのか?

2022年12月01日 | 時事ネタ関連

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絞首刑は『残虐』か 死刑囚3人が執行差し止めを求め、提訴」(11月29日、朝日新聞

絞首刑による死刑執行は残虐な刑罰を禁じる憲法等に違反するとして、確定死刑囚3人が29日、国を相手取り、絞首刑による執行の差し止め等を求める訴訟を大阪地裁に起こした。死刑の執行方法は刑法で絞首刑と定められ、明治時代以来、変わっていない。原告側は国民は、実態を知らされていない。国が『残虐では無い。』と主張するなら、司法の場で実態を明らかにすべきだ。と訴える。

提訴したのは、大阪拘置所収容中の死刑囚。絞首刑では意識が長くて数分間保たれ、痛みや恐怖を感じ続ける他、遺体の損傷も激しく、個人の尊厳を傷付けられる。と主張。拷問及び残虐な刑罰は、絶対に此れを禁ずる。」とする憲法36条や、何人も残虐、非人道的品位を傷付ける刑罰を受けない。」とする国際人権規約に反するとしている。

最高裁は1948年の大法廷判決で、「時代や環境に照らして、人道上、特に残虐だと認められない限り、憲法36条が禁じた残虐な刑罰には当たらない。」として、死刑を合憲と判断した。更に絞首刑に付いても、1955年の大法廷判決が「特に人道上、残虐とする理由は認められない。」としている
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過去に何度か書いた様に、自分は「一貫して死刑制度に賛成。」という立場を取っている。幾つかの理由が在るけれど、煎じ詰めれば「自分と近しい
人間が不条理に命を奪われたら、絶対に其の加害者を許せない。」という感情が一番の理由。

此の理由に付いて、「其れじゃあ、単なる復讐に過ぎない。」とか、「死刑制度を認めるならば、処刑された元死刑囚にとって近しい者の恨みを生み、結局は“復讐の連鎖”が作り出されてしまうだけ。」等、反論は多く在るとは思う。

どういう理由が在るにせよ、死刑が“人の命を奪う行為”で在る以上、死刑制度に賛否両論在って当然だし、「自分の考えが、唯一無二的に正しい。」なんて主張する気も無い。だから、死刑反対派の主張も、理に適っていれば尊重するし、今回の記事で“死刑制度の是非”に付いて問う気も無い。

今回の記事を読んだ際、単純に「論点を、きちんと整理した方が良い。」と思ったので、書く事にした次第記事を書く上で、「今回訴訟を起こした確定死刑囚3人は、“冤罪の可能性”が全く無い。」という“大前提”で在る事も、併せて御理解戴けたらと思う。

慣例”で言えば、確定死刑囚という事は「複数人の人間を殺害した。」と思われる。そんな彼等が起こした訴訟は、元記事を読む限り「絞首刑による死刑執行は、残虐な刑罰を禁じる憲法等に違反しているのではないか?」というのが論点だろう。其れ“だけ”で在るならば、訴訟は「在り。」だと思う。

だが、此の訴訟の根底に在るのが「死刑制度の是非」だとしたら、其れはきちんと明言すべき上記した様に、死刑は非常に重い制度だし、賛否両論在って然る可き問題なので、死刑制度の是非を裁判で問うのは決して悪い事では無い。

とは言え、「死刑制度の是非」を問う上で、彼等が「死刑は残酷で、個人の尊厳を傷付けられるから。」といった主張をする“ので在れば”、其れは噴飯物「彼等が(恐らくは)殺害した被害者は、残虐な目に遭い、個人の尊厳を傷付けられた、死に到っただろうから、加害者たる彼等がそういう主張を持ち出すのは、「天に唾す。」行為と思うので。

又、「国民は、実態を知らされていない。国が『残虐では無い。』と主張するなら、司法の場で実態を明らかにすべきだ。」とも主張している様だけれど、ドキュメンタリーYouTube等、絞首刑の実態を詳しく報じているメディアは結構在る。だから、大昔ならばいざ知らず、“今”、「国民は、実態を知らされていない。」と言い切ってしまう事にも違和感覚える

今回の訴訟、「絞首刑は問題在りなので、死刑の手段としてはそぐわない。他の方法で在れば、甘んじて死刑を受け容れる。」と主張するので在れば、個人的にはすっきりするのだが・・・。


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2 コメント

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おしおき (雫石鉄也)
2022-12-01 09:48:13
私も、giants-55さんと同じく死刑制度に賛成です。
死刑は刑罰です。おしおきです。悪いことをしたのなら「おしおき」を受けなければなりません。
刑罰でも、懲役(いまはなんというのでしょう。確か、禁固と懲役がいっしょになったのでしょう)は、「おしおき」と同時に更生という目的があります。ところが死刑になるほどの罪人は「更生」の必要はなく「おしおき」だけが残るわけです。
だから「死刑になりたくてやった」犯人に死刑はダメです。税金を使って自殺に手伝いをすることはありません。この死刑囚たちは楽に死にたいのでしょう。それじゃ「おしおき」になりません。
江戸時代は罪の軽重によって種々の死刑がありました。一番軽いのは斬首、あと火あぶり、ノコギリ挽きと。今の絞首刑だけでは足りない程の極悪人がおります。
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>雫石鉄也様 (giants-55)
2022-12-01 23:59:54
書き込み有り難う御座いました。

記事でも記しました様に、「死刑が人の命を奪う行為で在る以上、賛否両論在って然る可きですし、“正解の無い問題”で在る。」と思っています。

自分の場合、過去に様々な“死刑反対派の方々の御意見”を見聞して来ましたし、其の中には頷ける物も少なく無かった。でも、自分の考えを180度変えるには到らなかったというのが現状です。

死刑以外の刑罰では、基本的に「加害者の更生」というのが重要なポイントになります。「加害者の更生なんて在り得ない。」とは思わないし、実際に更生している人も居られるでしょう。唯、様々な文献や証言に当たる限り、日本の更生制度というのは、表面的な感じがしてなりません。

実際に刑務官として働いておられた方々の証言を見聞すると、「日本の更生制度は“実際的”では無く、こういう状態で加害者達が日々を送っているという“現実”を目にして来た身としては、憤りを感じる事も多かった。」といった趣旨の証言をしている方が結構居られました。

勿論、彼等の証言が“全て”を表している訳では無いでしょうが、刑を終えた後の者達の“再犯率”の高さを考えると、強ち“誤った証言”とも思えません。

「更生したくても、出所後の働き口や住居が無い等、“社会の冷たさ”が問題。」という声も在りますが、先日見たドキュメンタリーでは、出所者に手厚過ぎる程の面倒を見て来た方が、何度も何度も“裏切られて来た現実”が在りました。なので、社会の冷たさだけが、更生を妨げるとは言えないと思うんです。

死刑が、被害者遺族の復讐的な意味合いを持っている事は否定しません。でも、だからと言って、安直に死刑を執行するというのも駄目でしょう。どういう理由が在るにせよ、「人の命を奪う。」という行為は基本的に“許されない行為”で在るからです。

だからこそ、法によって死刑のハードルが上げられている。裁判によって徹底的に争い、「死刑以外に、他の刑罰は考えられない。」と“100%”判断された場合、死刑判決が下される。其の判決は、尊重される可きだと考えています。
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