ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

スターの栄光と死 「黒い花びら」

2004年08月25日 | 書籍関連
村松友視氏の「黒い花びら」を読んだ。1959年に第1回日本レコード大賞を受賞し、昭和歌謡界きっての無頼派とも称された伝説の歌手・水原弘氏の波乱に富んだ人生を描い作品。彼の歌っている姿をリアルタイムで見た記憶はない世代であるが、彼の持ち歌である「黒い花びら」や「黄昏のビギン」、「君こそわが命」等は名曲として知っているし、幼少時に田舎の木塀等に取り付けられた彼のホーロー看板を良く見掛けたものだった。そして、何よりも「栄光→どん底→復活→破滅」という、昭和の大スターには或る意味相応しい波乱万丈な人生を送った歌手として彼の名前を記憶している。これは、テレビや親等から見聞きした事であり、その詳細迄は知らなかった。

彼は、”新しい風”が吹き始めていた昭和30年代に登場した。長嶋茂雄や石原裕次郎等、既存のスターとは一線を画した新しい個性を求めていた時代とマッチして、彼はデビュー曲「黒い花びら」で第1回日本レコード大賞を受賞し、一躍スターダムに伸し上がった。「やや古風な不良の影を宿す風貌に似合うドスの効いた声と、意外な程オーソドックスな歌唱法のアンバランスな組み合わせを、ファンは新鮮な目で目で迎え入れた」と作者は書いている。

しかし、同世代には既に大スターとして存在する石原裕次郎が居た。大スターに憧れ、裕次郎と同じ役者の世界にも足を突っ込むのだが、結果的にはどっち付かずな中途半端さが仇となる。又、この頃に生涯を通して兄と慕う事になる勝新太郎と出会うのだが、勝の”役者馬鹿”ぶりに魅了されてしまい、派手な生活を真似る様になる。この事は、水原の転落への一歩ともなる。

多額の借金を抱え、数年にわたるどん底生活に足掻き苦しむ水原だったが、廻りの協力者にも助けられ、生活を正し、「君こそわが命」で奇跡の復活を遂げる。だが、その復活も長続きはしなかった。彼の虚栄心から来る派手な生活態度がぶり返したのである。ここから、彼は一直線に破滅への道を突き進み、食道静脈瘤破裂で42歳の人生を終える事になる。

「光在る所に影も在り」というフレーズを、水原の苛烈な人生には感じる。「人にとって、真の幸せとは何か?」と自己問答してしまう作品である。切ない・・・。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
« ノムさん合併問題に参戦す | トップ | 悲運の投手松坂 »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
解かりました^^ (きなこのママ)
2004-08-30 15:06:20
事情が解かり安心しました。



最近、トラックバックを利用して、アクセスUPをしたり、お商売していく方が多く、先日も嫌な事があったところでした。



でも、よくよく見ると、相当前の時期のこと・・



今まで何で気がつかなかったんだろう??って反対に自分がおかしくなっちゃいました。



わざわざ、書き込みありがとうございました。

返信する
ホーロー看板は永久に不滅です。 (分家屋治三郎)
2005-09-03 14:26:51
 私自身、水原氏のご活躍の姿をリアルタイムで拝見した事は皆無であります。



とにかく、田舎の道沿いの家屋の外壁に、キャミソール姿の今でも、お美しい由美かおる嬢とのホーロー看板カップリングを幼き頃よく目にしてましたので、水原氏の印象は、ハイアースの看板のおじさんでしかありませんでした。しかし、黒い花びらを地を這うような渋い声で歌っている姿を、テレビで拝見した時に、純粋にいい声したおじさんだなと思ったものです。私にとって、“二枚目声シンガー”と位置づける歌い手さんが幾人かおりまして、水原氏はその中の一人なんですよね。因みに一年ほど前にお亡くなりになった、子連れ狼のててご橋を歌ってらした、バーブ佐竹氏や川内康範氏作詞の“骨まで愛して”の 城卓失氏.........。

海外勢では、クィーンの故・F・マーキュリー、ワムのJ・マイケル....二人ともゲイなのがきになりますが......モータウン(ノーザンソウルの黒人シンガーで、声はもとよりルックスも二枚目だった。)の貴公子だった故・マーヴィン・ゲイ(名前はゲイですが、この方はゲイではありません<笑い>)などですね.......



長文になりましてどうも失礼致しました。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。