「森羅万象に関する知識の豊富さのみならず、其れ等を噛み砕いて判り易く説明出来る能力。」では、池上彰氏と林修氏は双璧の存在と言って良い。
そんな林氏を見ていて良く思うのは、「自分を律しているなあ。」という事。実際はどうなのか判らないけれど、少なくとも人の目が在る中での彼は、「自身の能力を過度にひけらかしたりせず、一歩下がって“周り”を立てたり等の心配りをしたりと、目立ち過ぎるのを非常に控えている。」様な気がするのだ。
林氏がそう自分を律しているのには、恐らく“彼の人”の影響が在るのではなかろうか。彼の人とは(4年前の記事「“向こう側との壁”は決して高く無い」でも触れたけれど)、嘗て“金ピカ先生”の愛称で大人気を博した、元予備校講師の佐藤忠志氏の事。自分(giants-55)が学生だった頃、彼は予備校講師を務める傍らタレント活動も行っており、正に“メディアの寵児”といった感じ。「全盛期には、年収2億円を超えていた。」と言われる彼は、身形だけでは無く其の私生活も派手で、「湯水の様に使う。」という譬えがぴたりと当て嵌まる程に金銭を消費。“バブリーな存在”として有名だった。
だが、そんな彼も有為転変な日々(詳しくは此方。)を送った挙句、「晩年は生活保護を受ける身となり、誰にも看取られる事無く亡くなっていた。」という最期。華々しいい日々を強烈に覚えているだけに、彼の訃報で知った“現実”は非常にショックだった。
林氏は自分と同世代で在り、加えて金ピカ先生と同じ予備校講師&タレントでも在る。だからこそ、金ピカ先生の人生は他人事に思えないだろうし、彼の事を“反面教師”にして、「普通で在り続け様。」と自分を厳しく律しているのではないだろうか。“絶頂”から“どん底”へと落ちて行った“先輩”から、彼は学ぶ所が多いのかも知れない。
絶頂からどん底へ落ちて行った有名人は数多く存在するけれど、自分がパッと思い浮かべるのは2人。1人は、政治家の11代目・山村新治郎氏。詳しくは此方を見て戴きたいが、1970年に発生した「よど号ハイジャック事件」で乗客の身代わりに“人質”となり、よど号(「JA9315号機」の愛称。)に搭乗して犯人等と共に北朝鮮に向かい、其の後解放されて帰国した。」事で、“男やましん”として一躍ヒーローとなった人。後に2度大臣を務める等した彼は、間違い無く“絶頂”を極めた。だが、そんな彼を最後に待ち受けていたのは、深いどん底だった。
自民党訪朝団団長として北朝鮮への訪問を翌日に控えた1992年4月12日、自宅にて精神疾患を患った24歳の次女に出刃包丁で刺され、健在だった(新治郎氏の)実母の目の前で殺害されたのだ。絶頂期が余りにも華々しかっただけに、実の娘に刺殺されるという最期は、どん底の深さを痛感させられた。
そしてもう1人は、霊感占い師の藤田小乙姫さん。小学6年生の時、「占いが良く当たる少女。」として新聞に取り上げられた彼女は、長じて岸信介元首相や福田赳夫元首相、松下幸之助氏、小佐野賢治氏等々、政財界の大物を顧客を多く抱える売れっ子占い師となった。昭和30年代~昭和40年代の事で、正直言って、自分はリアル・タイムでは知らない。
そんな彼女は軈て日本を離れ、ハワイに移り住む。1970年代の事だった。そして、1994年2月23日、所謂「藤田小女姫殺害事件」が発生。一人息子の知人に、自宅高層マンションで藤田さんは射殺され、息子も別の場所で銃撃された後、焼死体で見付かったのだ。(「そんなにも良く当たる占い師だったのに、何で自分の死は占えなかったの?」という思いが強く在り、自分が占いという物を全く信じられない大きな要素となっている。)絶頂とどん底との落差が余りにも激しい彼女の人生は、強烈に脳裏に焼き付いている。