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プリンシパル:其のバレエ団のトップの階級に居るダンサーの事。
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「このミステリーがすごい!2023年版【国内編】」で5位に選ばれた小説「プリンシパル」(著者:長浦京氏)を読了。冒頭で記した様に、タイトルの「プリンシパル」とは「トップクラスのバレエ・ダンサー」を意味し、其のタイトルだけを見ると“優雅さを感じさせる内容”にも思える。だが、実際には優雅さとは全く異なる、“残酷で殺伐とした世界”が描かれている。
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1945年、東京。関東最大級の暴力組織、4代目水嶽本家。其の一人娘で在るある水嶽綾女(みたけ あやめ)は、終戦と父の死により、突如正統後継者の兄達が戦地から帰還する迄、「代行」役となる事を余儀無くされる。
懐柔と癒着を謀る大物議員の陥穽。利権と覇権を狙うGHQの暗躍。勢力拡大を目論む極道者達の瘴気・・・。
幾多の謀略を経て、次第に権力と暴力の魔力に魅せられて行く綾女。そして、鮮血に彩られた闘争の遍歴は、軈て戦後日本の闇をも呑み込む、漆黒のクライマックスへと突き進み・・・。
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時代は「1945年8月15日」、即ち日本が“終戦を迎えた日”に始まり、約10年後の「1955年12月6日」迄、そして主人公は「代々ヤクザの組長を務めて来た家の一人娘として生まれた水嶽綾女」を主人公としているのが、今回読んだ「プリンシパル」だ。
幼い頃から残酷さと暴力で人を支配して来た父親及びヤクザの世界を嫌悪し、家を飛び出して“教師”として働いて来た彼女が23歳の時、日本は終戦という“大きな転換期”を迎えた。同時に彼女自身の生活も、大きな転換期を迎える事になる。関東最大級の暴力団を率いて来た病が亡くなり、跡を継ぐべき3人の兄達が不在(長男と三男は戦地に居り、又、次男は精神を病んでいた。)ので、代行役として5代目組長となったからだ。子供の頃より父親やヤクザを嫌悪して来た彼女が好んで組長になった訳では無く、「“周りから嵌められて”、組長にならざるを得ない状況に追い込まれた。」というのが実際の所。
ヤクザを嫌悪し、「水嶽本家なんか、消滅しても構わない。」と思っていた綾女が組長になったというのも皮肉だが、そんな彼女が組長を務めて行く中で、自身が嫌悪していた父親の残酷さや暴力を踏襲、否、其れ 以上の形で平然と行える様になる事は、もっと皮肉さを感じてしまう。
実在の有名人達が実名で登場しているが、本等で当時の世相を知っている人ならば、「此の人物のモデルは〇〇だな。」と想像が付く“別名の”人物達も登場する。吉田茂元首相や鳩山一郎元首相、美空ひばりさん、笠置シヅ子さん、田岡一雄元組長等々がそうで、そういう“人当てをする面白さ”が在る。
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「確かに政治家は、自分がうそをついていることさえ忘れてしまうような人間でなければ、とても続けてはいけない商売だな。でも、慣れれば上手くなるものさ、うそのつきかたなんて。」。
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戦後の混乱期を経て、所謂“55年体制”が構築される迄の日本を、ヤクザという“反社会的勢力に身を置く者達の視点”で描いたクライム・ノヴェル。反社会的勢力の人間達のみならず、政治家やGHQの人間等、多くの者達が権力と覇権を狙い、薄汚い謀略を企て、邪魔な存在を次々と“排除”して行く。人間が持つ残酷さを含め、嫌な部分を「此れでもか!」と描いている。
又、最後の最後に設けられた大どんでん返しは、「他者を暴力によって徹底的に排除して行った者には、自分自身が暴力によって排除される運命が待ち受けている。」という因果応報さを痛感。「綾女が組長にならず、教師を続けていたならば、どんな人生を送っていたのだろうか?」という“if”を、どうしても想像してしまう。
映画「『極道の妻たち』シリーズ」や「鬼龍院花子の生涯」というよりも、「女性版『仁義なき戦い』シリーズ」といった感じの作品だ。
後味は決して良く無いが、“戦後の空気”を感じられるし、作品の世界に没頭してしまう内容。総合評価は、星4つとする。