
自身の過去を振り返ってみても、概して子供は大人よりも好奇心に溢れている様に思う。「普通」とは違う物に対して子供は過敏に反応し、そして興奮してしまうもの。「何時もと違う世界」に対しても、子供は過敏に反応&興奮する。そういう気質自体は昔も今も変わらないとは思うのだが、世情は時の経過と共に移ろい行き、結果として嘗ての子供達が反応&興奮した光景というのが、今の子供達には見られなくなって来ているという面も在ろう。
突発的な事柄で言えば、台風や大雪等の自然災害に遭うのも「何時もと違う世界」に触れる事で在る。自然災害の恐ろしさに震え乍らも、停電で真っ暗になった家の中で蝋燭を灯したり、「電車が動かなくなって、明日は休校かな?」と思ったりする等、「何時もと違う世界」を心の何処かで楽しんでいる子供時代の自分が居た。これは今の子供達も、変わらないのかもしれない。
そういう突発的な場合以外に、嘗ては1年に何日か「何時もと違う世界」が存していた。年末の大喧騒の後に迎える、大いなる静寂の時「正月」もその一つ。今では元日から開店している店なんか珍しくも無くなったが、コンビニエンス・ストアが無かった(乃至は普及していなかった)我がガキんちょ時代は、元日どころか三ヶ日一杯は大概の店が休み。従って正月の街は極めて静寂で、その中を和服姿の人達がしゃなりしゃなりと歩いていたもの。「大いなる静寂」と「何時もは目にしない和服姿の数々」というのが、子供心に「何時もとは違う世界だ。」と感じさせた。
普段は早く床に就かかなければいけないのに、この日だけは遅く迄起きてTV番組を見て良いという「大晦日」も、子供にとっては「何時もと違う世界」に触れる機会だが、他にはクリスマスも「何時もと違う世界」に当たる日だった。街中ではクリスマス・ソングが大音量で流され、飾り付けも華やかさ一杯。三角帽子を被り、ちょび髭付きの鼻眼鏡を掛けた大人が酔っ払って歩いている姿なんぞは、この日でないと見られない光景だったから。
「煩い!」という苦情に配慮したのか、大音量でのクリスマス・ソングを耳にする事は無くなった。不景気の影響か、クリスマスの飾り付けも今一つ華やかさに欠ける。そして三角帽子にちょび髭付きの鼻眼鏡というオヤジも、絶滅してしまった様に思う。クリスマスは必ずしも「何時もと違う世界」では無くなり、「日常世界」と陸続きになってしまった感も在る。
そう言えば昔は、クリスマス・イヴよりもクリスマスの方を重視してはいなかったか?クリスマス・イヴに重きが置かれる様になったのは、コマーシャリズムのも大きいのだろうが・・・。
突発的な事柄で言えば、台風や大雪等の自然災害に遭うのも「何時もと違う世界」に触れる事で在る。自然災害の恐ろしさに震え乍らも、停電で真っ暗になった家の中で蝋燭を灯したり、「電車が動かなくなって、明日は休校かな?」と思ったりする等、「何時もと違う世界」を心の何処かで楽しんでいる子供時代の自分が居た。これは今の子供達も、変わらないのかもしれない。
そういう突発的な場合以外に、嘗ては1年に何日か「何時もと違う世界」が存していた。年末の大喧騒の後に迎える、大いなる静寂の時「正月」もその一つ。今では元日から開店している店なんか珍しくも無くなったが、コンビニエンス・ストアが無かった(乃至は普及していなかった)我がガキんちょ時代は、元日どころか三ヶ日一杯は大概の店が休み。従って正月の街は極めて静寂で、その中を和服姿の人達がしゃなりしゃなりと歩いていたもの。「大いなる静寂」と「何時もは目にしない和服姿の数々」というのが、子供心に「何時もとは違う世界だ。」と感じさせた。
普段は早く床に就かかなければいけないのに、この日だけは遅く迄起きてTV番組を見て良いという「大晦日」も、子供にとっては「何時もと違う世界」に触れる機会だが、他にはクリスマスも「何時もと違う世界」に当たる日だった。街中ではクリスマス・ソングが大音量で流され、飾り付けも華やかさ一杯。三角帽子を被り、ちょび髭付きの鼻眼鏡を掛けた大人が酔っ払って歩いている姿なんぞは、この日でないと見られない光景だったから。
「煩い!」という苦情に配慮したのか、大音量でのクリスマス・ソングを耳にする事は無くなった。不景気の影響か、クリスマスの飾り付けも今一つ華やかさに欠ける。そして三角帽子にちょび髭付きの鼻眼鏡というオヤジも、絶滅してしまった様に思う。クリスマスは必ずしも「何時もと違う世界」では無くなり、「日常世界」と陸続きになってしまった感も在る。
そう言えば昔は、クリスマス・イヴよりもクリスマスの方を重視してはいなかったか?クリスマス・イヴに重きが置かれる様になったのは、コマーシャリズムのも大きいのだろうが・・・。

もう35年位前になりますが、家族で地方をドライブしていた際、ガス欠を起こしそうになった事が在ります。地方と言ってもそんな田舎では無かったのだけれど、その日が日曜日という事も在って、ガソリンスタンドが軒並み休み。そう、今でこそガソリンスタンドは原則的に何時でもやっているけれど、当時は日曜日が定休日っていう所が結構在ったんですよね。「もう直ぐガス欠で、車が止まってしまうよ。何処かガソリンスタンドはないか?見逃すなよ!」といった感じで、家族が戦々恐々とし乍ら街中をゆっくり走ったもの。ガソリンスタンドが1年中開いている様になっても、暫くはその恐怖心が消えなかったし、今でも常に早め早めにガソリンを入れる習慣が付いてしまっています。spa supernova様と同じく、幼き頃の体験って尾を引くんですよね。
1日からスーパーはやっているのに!
そして無駄な食料を溜め込んでしまう。
昔の「29日になると母親がヒステリーを起こしながら買い物をしていた」のが幼児体験として染み込み過ぎているんです。