“ホリエモン”事堀江貴文氏は、実に不思議な人物だ。「『ホリエモンはずるい!』と側近が発言」や「無責任」、「ホリエモン的思考」等、彼に関する記事を過去に何度か記して来たが、其の多くは「彼の言動に対して否定的な見解」で在り、友達になりたいタイプでも全く無いのだけれど、彼が口にする主張の中には「的を射ているなあ。」と頷いてしまう物も、時折在ったりする。だから、彼の言動に触れると、どうしても自分の頭で考える事になる。良くも悪くも、人を惹き付けるキャラクターを有しているのだろう。
そんな彼が5月11日付けの東京新聞(朝刊)で、集団的自衛権に関する持論を披瀝していた。
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「考集団的自衛権 国家の役目は縮小する」(実業家 堀江貴文氏<41歳>)
今の時代、ソーシャル・メディア(社会的な情報流通)の発達で、最早国家という物のウエートが小さくなっているんじゃないですか。情報は勿論、通貨発行権、徴税権、国防の分野等でもグローバル化が進んでいる。例えば、ビットコインや消費税非課税のデジタル商品、世界に拠点を持つ多国籍企業がロケット技術を有する等、国家を構成する要素が削られている感じがします。僕の場合、人との繋がりも、フェイスブックを介した繋がりの方が多い。
此れからは、個人や企業、都市が主導権を持つ時代になると思います。国単位でしか物事を見られなければ、取り残されますよ。国家の役目は縮小し、東アジアや環太平洋といった単位で、欧州連合(EU)の様な共同体が出来て行くイメージでしょう。何れ位の期間かは判らないが、流れは止められない。
そんな状況なのに、集団的自衛権で中国を牽制すると言っても。抑、米国だって日本だって、中国無しで商売は成り立たない筈です。「何で国同士が揉めるんだ。」って商売している人は思いますよ。領土問題と言うけれど、そういう物は有耶無耶にしておけば良いのに。
昔の素晴らしい日本ブランドにしがみ付いていたいのでしょうか。でも、世界で活躍している日本人は今、「日本は没落貴族の集まり。」だって嘆いていますよ。国内の一部には「愛国心」とか勇ましく叫んでいる人達が居るけど、強く見せ様というのは、自信が無い裏返しだと思います。其れしか拠り所が無いんじゃないですか。複雑な歴史を良く勉強する事もしてないみたいですし。
安倍晋三首相は、靖国とか従軍慰安婦の話をしなきゃ良いんですよ。遣りたい事が在るのなら、中国や韓国と上手く遣れば良いのに。でも、信念は貫くんじゃないですか。其れが駄目だと言っても、選挙で議席を与えて、そういう状況にしたのは、僕達国民なんだから。
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部分的には同意出来ない点も在るけれど、全体的には「其の通りだろうなあ。」と、珍しくホリエモンの主張に頷いてしまった。特に「国内の一部には『愛国心』とか勇ましく叫んでいる人達が居るけど、強く見せ様というのは、自信が無い裏返しだと思います。其れしか拠り所が無いんじゃないですか。複雑な歴史を良く勉強する事もしてないみたいですし。」という件は、全くの同感。全部が全部とは言わないが、愛国心を声高に叫んでいる連中からは、「こんなに愛国心を持っている自分って、何て素敵なんだろう。」といった自己陶酔の思いしか感じられないし、「結局は、其れしか拠り所が無いんだろうなあ。」と思っていたので。
まったく堀江さんのいうとおりです。
これだけ、全地球的に有機的に物事がつながっている時代、国単位で考えることは不合理ですね。
わが国の利益が、かの国の不利益になる。またその逆も。だから国どおしの利害がバッティングして、いさかいになるのでしょう。
今の時代、かの国の不利益はわが国の不利益になるのです。とても1国だけでは処理できない問題が、今後も増えるでしょう。
好例が中国の大気汚染問題です。ギクシャクした関係にある、日本、韓国、中国が共同であたらなければ処理できないでしょう。
中韓の主張には「身勝手過ぎる。」と思う部分も結構在り、そういう所に憤りを感じる人が居るのは理解出来る。自分も腹立たしく感じる事が少なく無いし。
でも、だからと言って、中国や韓国の人達を十把一絡げにしてバッシングするのは変だし、況や「中国人や韓国人を皆殺しにしろ!」なんぞと狂気的&野卑な言葉を投げ掛けるのは言語道断。こういう連中を見ると、「何で中国人だ韓国人だ日本人だと、そういう枠でしか捉えられないんだろう?どうして同じ『地球人』という捉え方が出来ないんだろう?」と残念な思いになります。
雫石様の御指摘、全く其の通りです。地球という“家”を失ったら、“地球人”は生きて行けない。地球人全員で、地球を守って行かなければいけないのに、其れ其れが私利私欲を前面に押し出して、不毛ないがみ合いをしている。
地球の年齢からすれば、我々人類の年齢なんぞは足元にも及ばないけれど、でも、人類には人類が積み上げて来た「知恵」が在る筈。御互いに知恵を働かせ、引く所は引かないと、皆が不幸になるだけ。
チェコの自動車会社で、チェコに行くとそのマークばかり見る「シュコダ」(英国、北欧、旧東欧でもシェアを持つが、一方でチェコ国境を越えて西側のオーストリアやドイツへ行くと一切見ない)。この会社は現在ドイツのフォルクスワーゲン系です。第二次大戦前のチェコはこのシュコダとタトラという二大メーカーがドイツやアメリカの自動車メーカーよりも評価が高かった時代があり、共産主義時代に大きく立ち遅れてしまったものの、民主化後政府が、ドイツの巨大企業の傘下に売却したことで生き残ったのです。VWは他にもスペインの自動車会社などローカルブランドを持っています。
EUになってからこういう例は増加しているでしょう。
一方、かつて携帯電話のシェアが1位だったノキア(2位がサムソンやモトローラ)。携帯電話部門をマイクロソフトに売却することになった際のフィンランドでのヒステリックな反応は、意外なほどでした。売却前からマイクロソフトが役員を送り込んでいたことを「トロイの木馬」に例え、そしてそれを受け入れた役員たちを売国奴と罵ったのです。
EU一人勝ちドイツも「反EU」政党が党勢を拡大し、ショックを与え、イギリスではEU脱退論が力を得たかと思ったら、冷水を浴びせるようにスコットランド独立派が4割存在し、9月には住民投票が行われます。
独立の根拠はナショナリズムだけではない。スコットランド沖には北海油田があるから。
結局こういうナショナリズムは「経済的な没落」が原因とは言い切れない。良い例が中国とロシア。もっとも両国の堀江チックな富裕層はいつでもイギリスやカナダに逃げる。
堀江の論は確かにもっともですが、超富裕層の発想ともいえます。税金をケイマン諸島に納め、預金をキプロスやスイスに預けたロシア人みたいな連中の発想です。元気なようだけど、マルサが見張ってるよ。
孫子の有名な教えに「百度戦って、百度勝利を収めたとしても、其れは最善の策で無い。実際に戦う事無く、敵を屈服させることこそが、最善の策なのだ。」というのが在りますね。「相手が理不尽な言動をしているのだから、此方も同様の言動をしているだけだ。」といきり立ち、揚句に戦うというのは、愚の骨頂としか思えない。叡智を絞り出し、如何に損失を出さないで纏めて行くかが、優れた人類の在り方。ネット上だけでしか憂さを晴らせないとしたら、余りにも情けないですよね。
今回の件に関してはホリエモンの主張に共感出来る部分が多いけれど、概して彼の主張に共感を覚えられないケースというのは、彼の主張が「極度に無機的」で在る様に感じるからです。彼としては「そんなの、全くナンセンス。」と一笑に付すのだろうけれど、「情緒的な部分」を全く介在させないというのは、人間社会で在る以上、どうしても破綻を生じさせる様に思うからです。
世界的に極右勢力が台頭して来ている昨今、何処の国でも「貧富の差」が余りにも激しくなり、其の不満の捌け口が「異なる存在」に向けられている。端的なケースで言えば、「異なる存在=移民」となる訳ですが、こういう流れって、第一次世界大戦や第二次世界大戦前の雰囲気と似た感じが在りますね。
「人類皆が、等しく幸せになる。」というのは、余りにも理想に過ぎるけれど、でも、「より多くの人間が、安寧且つより幸せに暮らせる社会をどうすれば築けるか?」というのは、人類が追求して貰いたい命題では在ります。
>「国内の一部には『愛国心』とか勇ましく叫んでいる人達が居るけど、強く見せ様というのは、自信が無い裏返しだと思います。其れしか拠り所が無いんじゃないですか。複雑な歴史を良く勉強する事もしてないみたいですし。」
という部分は私も同感です。欧米諸国でも過激な人種差別に走るのは比較的社会的地位の低い人々で、人種差別主義者のインテリ層が彼らを焚き付けているとか。
今から4、50年くらい前までは、大阪の臨海部では貸家や工場の入り口に貼られた入居者募集や求人の貼り紙に「朝鮮人・琉球人お断り」と書かれていることも珍しくなかったと聞きます。日本に限らず、「何々人お断り」などという貼り紙が堂々とまかり通るような国になったら、美しい国だとは私には思えない。私も「持たざる者」ではありますが、こういう風にはなりたくないですね。
私の敬愛する陳舜臣氏の作品『耶律楚材』にこんな言葉が出てきます。「世の中には自分たちの知らない大切なものもあるのだと彼ら(=支配者であるモンゴル族)がわかってくれればそれでよいのです」 自分たちが価値を置いていなくてもそれを大切にしている人々もいると思うことのできる人が増えれば世の中は平和に近づくのだろうなと。かなり遠い道のりですが。
「日本人」というアイデンティティーを持つ事は決して悪い事では無いのですが、其れが過ぎてしまい、排他性に結び付いてしまうのは困り物ですよね。
「自分自身が同様に排除される側に回ったとしたら、どう思うのか?」という想像力が、余りに欠如している人が多くはないか?「相手がした嫌な事を、自分もしているだけだ。」というのでは、其の不毛さに於いて、知性の「ち」の字も感じられない。相手を愚かと少しでも思うのなら、同じ土俵に乗って同様の事をするのでは駄目。そんな人間が多数を占める国は、仰る様に「美しい国」足り得ないと自分も思います。
現実を全く見ずして、理想にのみ走り過ぎるのはどうかと思うけれど、高き理想を全く持てないというのでは、「人類は、他の動物よりも高等だ!」なんて言えないでしょうね。
ロシアの成長率は4%前後と新興国の中では低いですが、西欧ではロシアと同程度の成長率はEUに入っていない産油国のノルウェーのみ。
いろいろ言われていた五輪を成功させたことが自信になり、いろいろ難癖つけていた米国への鬱憤も当然ロシア人にはあったと思うからです。
日本の場合自身、あるいは近しい人物の記憶にある戦後昭和期の愛国運動は経済が良い時期のものです。
1:戦没者遺児の集団靖国参拝
私の住む地域の遺児の方々がよく話されるのが昭和27年ごろの集団参拝の話です。多くの人にとってこれが唯一の参拝体験のようです(もちろん熱心な人も中にはいますが、未亡人ら同世代に比べると遺児の世代になるとそんなもんです)。当時としては1日仕事だった東京行きが何よりの思い出話。強烈な体験だったようです。中には東京行き自体がそれが最初で最後という人も。
彼らの旅費は誰が出していたんでしょう?27年なので独立直後&朝鮮戦争特需のころです。
http://wolfdoragon.island.ac/yasukuni/nenpyo_2.htm
2:私の親類の米国転勤
1966年ごろの話です。某超大手企業に勤める親類がアメリカに転勤に。我々、羽田空港まで見送りに行きました。日の丸振る人も。年賀状でしか知らないような親類やら、その転勤の人が疎開したときに散々いじめていたらしい長野の遠縁の一家まで旗振りに来ていました。
「お国のためにがんばれよー」というわけです。
ちょうどこの年、紀元節が建国記念の日として復活しました。
もっとも転勤の人の奥さんの家系は大手企業の城下町の地主一族で、すでに何人も米国留学者や勤務者を出していたらしく、我々田舎者の実に土俗的な送り出しの姿とは違って、ハンカチ振る程度のスマートなものだったのも覚えています。まるで石坂洋次郎ものに出てきそうな人たちだ、と思ったことも。
不勉強な身故、「戦没者遺児の集団靖国参拝」というのは初めて知りました。「そんなのが在ったのか。」という驚きと共に、AK様も書かれておりますが、「其の費用は、何処からどういう形で出されたのだろう?」という疑問が湧きますね。何等かの“ガス抜き”を企図しての物ならば、国が機密費等から当てたのかなあという気も。
羽田空港での見送りの話を拝読し、自分の頭に浮かんだのは、転勤の為新幹線で上京する人を、大勢の人間が「頑張れ!」等と大声で送り出しているシーン。自分が子供だった頃、名古屋駅で見たシーンだと思うのですが、昔は「田舎から上京する。」のも一大イヴェントでしたね。