母方の祖父は身内の自分が言うのも何だが、可成り優秀な人だった。と同時に、祭囃子が聞こえて来ると、ソワソワし出す程の祭り好きという子供っぽい面も持っていた。どうやら自分の場合、祖父の頭脳は全く受け継がなかったものの、祭り好きという面は確実に遺伝した様だ。此の年になっても祭りシーズンになると、心浮き立ってしまうのだから困った物で在る。
昨夜は、近所の祭りに足を運んだ。此処数年感じている事だが、自分が子供の頃に比べると、祭り自体が格段に整然とした雰囲気で執り行われている。“健全な運営方式”とでも言うのだろうか、地元の商店街等が完全に飲食物販売&遊戯提供を行なう様になり、的屋を排除している所が目立つ。確かに、的屋の中には暴力団の資金源となっている物も在ると思うし、祭りの健全化という流れの中では的屋排除も仕方無いのかもしれないが、何か整然とし過ぎていて物足りない気がしている。
以前にも書いたが、昔は子供達をターゲットにした胡散臭い大人が結構居た。小学校の前では“カラーひよこ”を売っている親父が手薬煉引いて待ち構えていたし、祭りの場にもそういった的屋が結構居た。展示されている豪華な商品が欲しくて、じっくり時間を掛けて針で型抜きをし、「完璧に仕上げた。」と確信して的屋の親父の元に持って行くと、何だ彼んだといちゃもんを付けられた挙句、“参加賞”のちんけな商品しか貰えなかった。酷い時には、親父が此方に背を向けた状態で型を指で傷付け、「ほら、此処が欠けているから駄目だよ。」等と平然と言う始末。其の他にも「絶対に当りの出ない(としか思えない)手製のルーレット」や、「1等の当り籤が入っていない(としか思えない)籤引き」等、「子供相手に良くもまあ、此処迄する物だ。」と子供心に思った物だった。
しかし不思議な物で、子供はそういった胡散臭い物が好きだったりもするのだ。胡散臭い大人に騙され、そして反論&反発し乍らも、其れを心の何処かで楽しんだり、「今度は騙されないぞ!」と“成長”させられた面も在った様に思う。余りにも整然とした祭りを見ていると、昔の様な胡散臭い雰囲気を知らない子供達が、一寸気の毒にも感じてしまう。
先日の話に、寅さんのことが出てたね。
丸々、一本見たこともないとも、俺もそうだったんだ。
で、ある機会に見ることがあった。
見終えて、祭に行きたくなったよ。
遠い昔の、醤油やソースや青海苔の香りがする、あの裸電球がまぶしい夜店が並んだ、祭りにね。
よくサーキットであって話をしてたのですが
テキ屋組織と暴力団はまったく別個の組織で、暴力団からの圧力に屈しないようにいつも張り詰めていたようです。
見た目はどちらもあまり差は無かったようですが^^;
あの、衛生的にも健康的にも悪いとしかいいようのないあの
食べ物が、未だに好きです。
テキ屋がすべて暴力団関係者かといえば、それも違いますね。
ただ、暴力団関係者が多いのも事実。
少年、少女が暴力団関係者に接触する機会になっているのも、また事実です。
小学生くらいで、
「これください。」
「はいどうぞ。」
ですめばいいのだけど、中高学生くらいになると、テキ屋を通じて、ズルズルと深く踏み込んでしまう場合もあるようです。
実際に、暴力団関係者のテキ屋で、中学生がバイトしているのをみると、これでいいのかという気はします。
友人の言いたいのには続きがあって、
彼女としては
お金を盗られ傷つく子どもに対し、
大人としてきちっと説明をし、フォローすべきで
それを学校の指導のせいにして、そちらを責めるのはいかがなものか・・、
何でも災い転じて福となす、ということができるのだから、それをひっくるめて500円なら安い、と言いたい。
そんな事だったと思います。
スルメの件、
確かに何でも偏食は良くないですね。
でも大丈夫。
今夜もスルメと他のおやつの二刀流です。
お母さんたちが屋台をやって、子ども達がお小遣いを持っていく、確か500円位って決められていたかも。
聞いた話なのですが、そこで来た早々お財布を落とした子どもがいて、
財布は出てきたのですが中身の500円はなくなっていたとか・・。
親たちは学校側に
「財布を落とさないようにヒモをつけて、などの指導をすべきだ。」
と要望したそうです。
その子がどんなに傷ついたかと思うと可哀相だと。
shoe友人はそこで
「500円で世の中そんなに甘くないと学べば安いもんだ。」と言い、他の親たちに白い目で見られたとの事です。
shoeは友人意見に賛成です。
ちょっと違う話になったかもしれませんが、
giants-55さんもおっしゃるように
子どもでも世の中の汚い部分はある程度知る機会が必要だと思います。
そんなに守って守って、子どもを汚いものからヤミクモに遠ざけることは
本当に良いことなのでしょうか。
無菌状態で育てて、一生そのまま行けると思っているのか、不思議です。