川崎市の「男児投げ落とし殺害事件」を始めとし、残忍非道な殺人事件の報に触れる度に、加害者への憎悪の気持ちが沸々と湧いて来る。被害者とは赤の他人の自分ですらこれ程の憎悪の気持ちが湧いて来るのだから、況や被害者の親族の気持ちは如何ばかりか・・・。
これ迄に嫌になる程数多くの殺人事件報道に触れて来たが、殺害に到る迄の詳細を知るにつれ、その常軌を逸した鬼畜の所業と喩えても未だ足りない程の残忍さを感じた事件が2つ在る。1989年に発覚した「女子高生コンクリート詰め殺人事件」と、1999年に発覚した「栃木リンチ殺人事件」だ。
加害者達の残忍さがどれ程で在ったのかはリンク先に詳しく載っているのだが、何度読んでも薄ら寒さと同時に、憎悪を超えた加害者への殺意を覚えてしまう。そもそも人間は残忍な面を誰しも持っているものだが、此処迄人間は悪魔になれるものなのか?法を少しは齧った事が在る身故、本来はこんな事を書いてはいけないと頭では理解しているが、もし自分がこの2つの事件の被害者の親だったならば、加害者を司直の手に委ねる事無く、我が手で同じ様に惨殺する道を選ぶだろう。
「栃木リンチ殺害事件」の公判で加害者の少年は、「須藤君(被害者)の分迄頑張って生きたいというのが本当の気持ち。」と述べたそうだが、これ程迄に残忍な行為を為したのに、「加害者が少年で在る事。」や「殺害したのが1人だけ。」という事から、死刑に処せられないというのが全く以って信じ難い。法体系や判例がそうなっている以上致し方無い事なのかもしれないが、それならば以前の記事「刑罰体系の見直し案 ~『罪と罰、だが償いはどこに?』より~」で触れた様に、被害者が泣き寝入りしないで済むシステム構築をいち早く望みたい所だ。
「栃木リンチ殺害事件」では加害者の少年達以外に、警察に対しても憎悪に近い気持ちを覚える。被害者の少年が監禁されてから間もなく、少年の両親が捜索を何度も依頼したのにも拘わらず、全く動こうとしなかった石橋署。両親が独自に掻き集めた証言や証拠を無視し、挙句に被害者を死に到らしめた事だけでも許し難いのに、一旦はその非を認めながらも被害者の父親&姉から損害賠償を起こされると一転して、「警察には非が無かった。」と言い放ったばかりか、被害者の母親に死の責任を転嫁する卑劣さ。
昨日、宇都宮地裁でこの訴訟の判決が下された。「警察権を行使しなかった事で、殺害行為の招来を防止出来ず死亡に到ったと言える。警察権の不行使は、国家賠償法の違法な公権力の行使に該当する。」として、県と加害者に計約1億1,200万円の支払いを命じたのだが、当然過ぎる判決だろう。加えて言うならば、こういった鬼畜の所業を為した少年達をしっかりと管理出来なかった親達の責任も問われるべきだったと思う。(原告側は、加害者の両親の賠償責任が認められなかった点を不服として、控訴する方針だとか。)
この判決を受けて栃木県警は、「厳しい判決で、主張が認められず非常に残念。今後、判決文を見て内容を検討して対応したい。改めて被害者の御冥福を御祈りします。」 とのコメントを出したが、検討も糞も無いだろう。”組織”として警察の体面を保つ事に汲々とするのでは無く、まともな”人間”としてその非を全面的に認めるべきではないか。
間接的にとは言え、被害者の少年とその母親を死に追い遣った罪は万死に値すると思う。
これ迄に嫌になる程数多くの殺人事件報道に触れて来たが、殺害に到る迄の詳細を知るにつれ、その常軌を逸した鬼畜の所業と喩えても未だ足りない程の残忍さを感じた事件が2つ在る。1989年に発覚した「女子高生コンクリート詰め殺人事件」と、1999年に発覚した「栃木リンチ殺人事件」だ。
加害者達の残忍さがどれ程で在ったのかはリンク先に詳しく載っているのだが、何度読んでも薄ら寒さと同時に、憎悪を超えた加害者への殺意を覚えてしまう。そもそも人間は残忍な面を誰しも持っているものだが、此処迄人間は悪魔になれるものなのか?法を少しは齧った事が在る身故、本来はこんな事を書いてはいけないと頭では理解しているが、もし自分がこの2つの事件の被害者の親だったならば、加害者を司直の手に委ねる事無く、我が手で同じ様に惨殺する道を選ぶだろう。
「栃木リンチ殺害事件」の公判で加害者の少年は、「須藤君(被害者)の分迄頑張って生きたいというのが本当の気持ち。」と述べたそうだが、これ程迄に残忍な行為を為したのに、「加害者が少年で在る事。」や「殺害したのが1人だけ。」という事から、死刑に処せられないというのが全く以って信じ難い。法体系や判例がそうなっている以上致し方無い事なのかもしれないが、それならば以前の記事「刑罰体系の見直し案 ~『罪と罰、だが償いはどこに?』より~」で触れた様に、被害者が泣き寝入りしないで済むシステム構築をいち早く望みたい所だ。
「栃木リンチ殺害事件」では加害者の少年達以外に、警察に対しても憎悪に近い気持ちを覚える。被害者の少年が監禁されてから間もなく、少年の両親が捜索を何度も依頼したのにも拘わらず、全く動こうとしなかった石橋署。両親が独自に掻き集めた証言や証拠を無視し、挙句に被害者を死に到らしめた事だけでも許し難いのに、一旦はその非を認めながらも被害者の父親&姉から損害賠償を起こされると一転して、「警察には非が無かった。」と言い放ったばかりか、被害者の母親に死の責任を転嫁する卑劣さ。
昨日、宇都宮地裁でこの訴訟の判決が下された。「警察権を行使しなかった事で、殺害行為の招来を防止出来ず死亡に到ったと言える。警察権の不行使は、国家賠償法の違法な公権力の行使に該当する。」として、県と加害者に計約1億1,200万円の支払いを命じたのだが、当然過ぎる判決だろう。加えて言うならば、こういった鬼畜の所業を為した少年達をしっかりと管理出来なかった親達の責任も問われるべきだったと思う。(原告側は、加害者の両親の賠償責任が認められなかった点を不服として、控訴する方針だとか。)
この判決を受けて栃木県警は、「厳しい判決で、主張が認められず非常に残念。今後、判決文を見て内容を検討して対応したい。改めて被害者の御冥福を御祈りします。」 とのコメントを出したが、検討も糞も無いだろう。”組織”として警察の体面を保つ事に汲々とするのでは無く、まともな”人間”としてその非を全面的に認めるべきではないか。
間接的にとは言え、被害者の少年とその母親を死に追い遣った罪は万死に値すると思う。

人権主義を標榜する方からすると言語道断と言われてしまうかもしれませんが、自分もこういった御時世で在る以上、「理想国家の上に成立するで在ろう性善説」で臨むよりも「現実に即した性悪説」で臨むべきではないかと常々思っております。
許し難い行為で在る事は何等変わりませんし、厳罰に処されるべきものでも在ると思っておりますが、「女子高生コンクリート殺人事件」や「栃木リンチ殺人事件」の様な己が快楽&欲望を満たす”だけ”の為に、他者の尊厳を踏み躙った人の行為を為した挙句に死に到らしめた犯罪と、「無知の涙」を著した永山則夫元死刑囚(http://964.jp/Z3L3)の犯罪とを”必ずしも”同一視出来ない気がしております。
幼き頃よりの筆舌に尽くし難い劣悪な家庭環境で育ち、やがて世間を恨む様になって「連続射殺事件」(http://964.jp/Z3L4)を為してしまった永山元死刑囚。上記した様に、どんな理由で在れ他者の命を理不尽に奪い取る行為は絶対に許されるべきではないし、厳罰に処されて然るべきと思っておりますが、少なくとも己が快楽&欲望の為”だけ”で人を殺めた輩よりは、更正出来る可能性が在ったかもしれません。でも、「女子高生~」や「栃木~」の加害者達にそれを望むのは100%不可と自分は断言したい思いが在ります。
公開処刑という点に関しては賛否が当然在るでしょう。唯、人の所業を為した者はそれ相当の厳罰、つまり死刑が為されるというのを広く知らしめる必要は在りなのではないかと思っています。(公開処刑云々とは別の話ですが。)
これからも宜しく御願い致します。
なぁ、よく考えてくれよ。ウィニーだけが悪いような風にとってるが、、実際にはウィニーだけじゃないだろ、どんなソフトもなりうる。
特に京都府警ならそれくらいの事わかるはずだがな・・。
そんなんで税金使って欲しくねえよなぁ。
パソコンくらい自分で買わせろよ。
もう、国民も黙ってないぞ。
キレた、、で終わりになってしまうような気がする。
我慢は、何処に行ってしまったんだ、と思えるなぁ。
警察の怠慢さは、俺もうすうす感じてるんだが、ネズミ捕りの現場での会話、信じられないぞ、テープが何かにとって公開するのもいいのかもしれない。
TVで、警察24時間ってのがあるんだが、まあ、あれもにわかに信じられなくなってきてるよな。まさかやらせじゃないだろうな・・。
本来は書き込んで下さった方のブログに直接レスを付けさせて戴いているのですが、貴ブログのURLを失念してしまいました為、こちらに書かせて戴く失礼を御許し下さい。
他者の命を理不尽な形で奪い取るというだけでも許し難いのに、この事件といい「女子高生コンクリート詰め殺人事件」といい、被害者を死に至らしめる過程で為された数々の卑劣で人間の尊厳を踏み躙った行為には憎悪の念しか沸いて来ません。
人を裁く上では冷静に当たらなければいけないのは判っているものの、此処迄残忍さを見せ付けられ、且つ加害者の側が過剰に守られている現状では、「加害者にも人権を。」等という似非人道主義者の声も唯々虚しい戯言にしか聞こえないです。
下らない体面を守る事だけに汲々としているのでは無く、警察には一刻も早くその非を全面的に認め、被害者家族に心から謝罪をして貰いたいと切に願います。
これからも宜しく御願い致します。
この記事に多くの方が書き込みをして下さいました。それだけ持って行き様の無いモヤモヤとした思いや憤りを抱えた人が少なくなかったという事でしょうか。
「栃木リンチ殺人事件」がこれ程迄に事件化させようとしなかった、つまり隠蔽しようという力が働いた様に思える要因に、麗菜様が書かれておられる様に「主犯格の少年の父親が警察の御偉いさんだったのが影響しているのではないか?」とか、「日産が圧力をかけていたのではないか?」等、色々言われていますね。真偽の程は定かでは在りませんが、もしこれ等が事実ならば、権力に近い人間乃至はその身内が凶悪犯罪を犯しても隠蔽が図られ、そうでない人間は当然の刑罰を受ける。これでは或る意味、小泉政権がもたらした刑罰の格差社会とでも言えるのではないかと。全くおかしな話です。
上でおまさぼう様が書かれておられる様に、この手の事件が起きると、「鬼畜の所業」という言葉を使うのに躊躇してしまう自分が居ます。鬼もそうですが、畜生ですらこんな残忍さは無いと思うからです。
人の命を理不尽な形で奪ってしまう行為だけでも許し難いのに、この事件といい「女子高生コンクリート詰め殺人事件」といい、加害者達は書くのも(読むのも)おぞましい程の卑劣で人間の尊厳を踏み躙る行為を為している事に憎悪の念を募らせてしまいます。自分の愛する者が同じ目に遭ったとしたら、否、自分が同じ目に遭ったとしたら・・・。そういった”当たり前の”判断力が欠落している事に空恐ろしさを禁じ得ません。
「女子高生コンクリ事件」で、犯人が出所後、恐喝で再逮捕されたニュースを見て以来、このような犯罪に憤りを覚えるようになりました。
喧嘩をして死んでしまったとか、そういうのなら遺族も納得いくでしょうが、一方的に拘束して死に至らせしめ、人命を奪うと言う行為を受けた被害者そして被害者家族の心中は察して余りあるものだと思われます。やったもん勝ちと言う感じがして許せません。
これからの日本が被害者そして遺族に対してもっとやさしい国になっていってくれればと思います。人生はリセットがきかないのですから。
栃木県警の話からずれてしまって申し訳ありませんでした。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」にしても「栃木リンチ殺人事件」にしても、被害者が死に到らしめられる迄の経緯を目にする度に、身の毛のよだつ思いが在ります。同じ人間なのに、何故これ程迄残忍な行為を為せたのだろうか。「知りたくなかった。」、「聞きたくなかった。」という思いが湧いてしまうのは、決して雪様だけでは無いと思います。
でも、そういった残忍な事が起こったのは事実で在り、同じ社会に住む人間としては事実を直視して、その”過ち”を何等かの形でより良き社会作りに行かして行く”義務”が在るのではないかと思うんです。「こんな残忍な事を自分がする訳は無い。」殆どの人が思う事でしょう。でも、記事でも触れた様に、人間には誰しも邪悪で残忍な部分を秘めているのも確かで、何かのきっかけでその邪悪で残忍な部分が顔を出してしまう事は絶対に無いとは言えないと思うんです。勿論、その程度が人によっては異なる所でしょうが、そういった部分を出来るだけ”自制心”と”モラル”で表出化させない様にする。その為にも、こういった現実は直視して、自らも戒めて行く必要が在るし、社会のシステムも良い方向に変えて行かなければならないのではないかと。そうで無ければ、無念の内に一生を終えさせられた被害者が報われません。(勿論その親族もですが。)
警察官が「うちの会社。」って言ったんですか。でも、その気持ちも判らなくも無いですね。知り合いの教師もやはり飲んでる席では「うちの会社。」って言っています。やはり、昨今の状況では警察と同じくバッシングを受ける事が多い為、その肩身の狭さから「うちの会社。」という言い方をしていると言っていました。
警察も教師も、一生懸命やっている人は一生懸命やっていると思うんです。寧ろ、好い加減な連中の方が数的には少ないのではないかと。でも、組織として見ると、何とか組織を守ろうと妙な方向に行ってしまっているのは似ている気がしますね。
本来は、「国民の安全を守る」&「将来の人材を育成する。」といった尊い職業の筈なのに、妙に肩身が狭い思いをしなければならない”環境”は、内部改善も含めて早急に取り組まなければならない課題の様に感じます。
全く反省のない栃木県警。控訴なんかしたら暴動起きちゃいますよ。まさに「素直に非を認めよ!」ですね。それか、「だって日産が・・・」って告白するかですね。
頑張ってる素晴らしい警察官の方もたくさんいる。その人達の為にも、お父さんが言うとおり、今回の判決を改革の礎にしてほしいものですね
この川崎の事件も何の理由も持たないどうしようもない連中の犯罪ですが、文中にあった「栃木リンチ殺人事件」も「女子高生コンクリート詰め殺人事件」はどちらも僕は覚えています。
女子高生コンクリート事件、出所した加害者がニュースステーションにインタビューされていたことを思い出しました。
のうのうと出所して結婚までして、ふざけるな、と感じました。
事件発覚当時、須藤夫妻を雑誌の取材で訪れたつかこうへい氏が事件の詳細を知り、絶句していた姿を思い出します。
鬼畜の判決がでたとき、裁判長は確か「被告たちは鬼になっていた」と言いましたが、私はなにか違和感を覚えました。日本では鬼はとくに悪者ではないはずです。鬼と鬼畜では雲泥の差があります。
もうあちこちで書かれていますが、主犯だったかが「出所できたら須藤くんの分まで幸せになります」と言ったとかいうせりふも忘れられません。こいつらは最悪悪悪です。
死刑が現法のなかで極刑である以上、やつら3匹にこれ以外の刑は見当たりません。でも、1匹は5~10年の不定期刑、もうすぐ出てくるでしょう。
すみません。こういう事件のことになると、つい過激になってしまいます。
これは、それだけ残忍な犯罪が増え、
なおかつ、警察のあるべき当然の犯人検挙があるべきではなく、
あるべくどころか、まったく、警察の国家権力をあからさまにして、全うされることがない、怠慢さを数字が有無を言わせず明白にしてるような気がします。
(証拠をデッチあげ、体裁と見栄が不当逮捕だと被告人が死亡したいまなお裁判の続く狭山事件も警察の、虚栄と怠慢のような気がします。)
確か、栃木リンチ殺人の犯人の中に、
父親が警察職員であったように思います。
求刑は、無機懲役でした。
この時点で犯人は少なからず、「死という恐怖」から、逃れられるんですもの。
人を、生きるもの、命あるものと、感じず、
己の保身のために、
液晶に映し出されるゲームのように楽しむやつが、
死の恐怖に怯える事無く。
ゲームオーバーになっても、
かんたんにコンテニュ~ができるなんて、
リセットが可能\なんて、
ゲーム、漫画の仮想の空間が、バーチャルではなく、リアルに体感できる。
何が本当か違うのか、区別のつかない世の中。
親子ですら、
お互いが同じ人間に思わないから、
加害者の親も、自己保身の塊なんだと思います。
死刑制度の賛同の理由は
人を殺したものは殺されるという、応報刑思想。
犯罪抑止力。
遺族のもつ、応報、復讐感情。この3つが死刑存置論らいのですが、
生殺与奪は国家権力が握っているということを誇示するために死刑制度がある。という、本質になるんだと聞きました。
殺したいからヤッタ。
ストレス社会の、ストレス解消に殺人がおきてる。
自己保身の責任転換ばっかりです。
自分が傷つく前に殺しちゃえと、臆病度が強いんじゃないかしらと考えてみたりです。
長文、駄文で申\し訳ないです。
コンクリート事件の時もそうでしたが、想像したら怖すぎて、心が苦しくて・・耳をふさぎたくなりました。でも、いつも思うんだけど、聞きたくない~というのは、どこかちがってるような気もして・・うまくいえないけど、逃げてるような気がするんです。被害者とは見ず知らずのわたしでも、知ってあげることで、少しでも被害者の供養になるんではないかな?というふうにも感じます。
それはそうと、警察が、最後の電話でも失態を被害者の母親のせいにしたこと。このデレスケ!と怒鳴ったとか。。あれは、うまくごまかそうとしたにしても、あまりにもとんでもないうそ。母親が、監禁されてるのでは?と心配してる我が子にたいして、そんな言葉は絶対ありえません。TVで見てるふつうのお母さんなら絶対だまされない。。
あ、タイトルなんですが、以前、警察の人と話したことがあるんですが、ほんとうに自分の勤務先のこと、うちの会社は~っていうんですよ。
人前で警察っていうとまずいのと同時に、人の命にもかかわる大切な仕事って意識が薄れてきてるようなそんな感じもしました。毎日のルーティンワークをこなしてるふつうの公務員っていう感じ。。
やり切れない、切ない気持ちで一杯です。
警察の対応は勿論、日本の裁判とはどうしてこんなに時間がかかるのでしょうか?この事件も6年という永いの月日が経ってしまってからの判決。親御さん(被害者)の気持ちを考えれば、もっと敏速な対応は出来ないのでしょうか?どの裁判でも同じ事が言えると思います。また、事件によっては、裁判の非公開も時と場合だと思うんです。ありのままを見せることも大切だと思います。
未成年の犯罪が増える中、自分が加害者の親だったら…。親として不安になります。
被害者の少年のご冥福を心からお祈りしております。
この判決とは別に、御殿場事件では、少年達の有罪判決が出てしまいました。被害者といわれるうそつき少女の言葉に振り回されっぱなしの、どう考えてもおかしい事件もあります。どの事件にしても、警察が、変。
最近の警察は、「市民の味方」ではなくなっているような気がしてなりません。
なんか聞いたことがあるようなお名前ですね。
それはともかく、「刑罰体系の見直し案 ~『罪と罰、だが償いはどこに?』より~」を読ませていただきました。
こういう鬼畜のやつらをどう裁けばいいのか、妄想の範囲ですが、考えているところです。