ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「ヘヴン」

2010年01月31日 | 書籍関連
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「わたしたちは仲間です。」。4月の或る日、14歳の「僕」に届いた1枚のメモ。僕の斜視を「ロンパリ」と嗤い、日常的に暴力を振るう「彼等」が見付けた新しい遊びかと塞ぐ僕の前に現れたのは、クラスメートの「コジマ」だった。彼女も又、外見を不潔と罵られ、女子生徒から日常的に虐められていた。

密やかに不器用に始まったコジマとの交流は、やがて、陰鬱でしかなかった僕の「世界」に輝きを与えて行く。僕の世界に明るい面をくれたコジマとの友情は、永遠に続くだった。もし彼等が、僕達を放っておいてくれたなら。

「何故彼等は、僕を虐めるのだろう?」、「人は何故理由も無く、人を傷付けられるのだろう?」、「善と悪を分かつ物は、何なのか?」、「人は何の為に生きるのか?」。
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2007年、「乳と卵」で第138回芥川賞を受賞した川上未映子さん。作家業以外にも歌手業や女優業も熟しているマルチな才能の持ち主だ。冒頭に記したのは、そんな彼女の作品「ヘヴン」の梗概で、テーマは「虐め」に付いて。

自分(giants-55)は虐めに関して、加害者と被害者の立場の両方を経験している。共に小学生の時で、その期間は短かったが。加害者の立場の時はハッキリ言って相手の気持ちを斟酌する事は無かったけれど、逆に被害者の立場になった事で、「嗚呼、自分はふざけて虐めてただけだったが、相手はこんなにも嫌な思いをしていたんだなあ。」と思い知らされた。何事にも言えるけれど、虐めもその立場になってみないと見えて来ない物は結構在ると思う。

話を「ヘヴン」に戻すが、この作品は「虐める側」と「虐められる側」の思いが対立する。激しい虐めを受ける側が「何故、自分を虐めるのか?」と問うと、虐める側は「、したい事をしているだけ。」として「虐め」の意味自体を否定する等、加害者と被害者の「善」と「悪」の概念が全く噛み合わない。そして厄介な事は、「『虐めている側の主張』を『虐められている側』が、感情面では受け容れ難いのに、理屈としては納得出来なくも無いと思えてしまう。」点。川上さんはこの作品に付いて「善悪のグレー・ゾーンを扱ってみたかった。」としているが、感情面と理屈面で「うーん・・・。」と悩んでしまう読者が居るかもしれない。

読んでいて、心が苦しくなる。自分の様に加害者&被害者の経験を有する者ならば、余計に辛さは増す事だろう。良くも悪くも、感情移入易い作品と言えよう。

総合評価は星3.5個

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2 コメント

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人間が集団になるといじめは起こるのです (マヌケ)
2010-01-31 13:38:26
脱いでしまうところはあり得ないでしょうね。 フィクションではありますが、著者自身か身近にいじめの経験があるのかもしれないという不愉快で複雑な読後感に終わり、どちらかと言うと読まなくてもよかったという気持ちになる作品でした。 ラストに僕と母親との明るく前向きな会話が救いとなるのがとってつけたように感じたのは私だけでしょうか。 世相を反映していじめによる自殺をモチーフにしたミステリーや文学が多く見受けられるようになりましたね。 暗い面に引き込まれるのが嫌なのでなるべく読まないようにしています。 今、カツマというおばさんを痛烈に皮肉った笑える作品を読んでいます。 経済評論家で働く女性の憧れらしいですね。 彼女を真似る女性たちをカツマーと呼ぶそうですが、宗教じみてきていますなあ。 そろそろアブナイみたいな。 だまされたと騒ぎだす後の祭りか?
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>マヌケ様 (giants-55)
2010-01-31 17:22:01
書き込み有難う御座いました。

最後の「僕と母親との遣り取り」は、自分も「取って付けた感じだなあ。」と思いました。仰る様にあれが無かったら、後味の悪さだけしか残らない内容なので、それで作者が・・・というのは在ったかもしれません。そうは言っても、コジマの“その後”に触れていないのは後味の悪さを増させましたけれど。

兎に角、陰鬱としたシーンが多かったですよね。「公園での虐めのシーン」や「“同志”と思っていた僕に、裏切られたと感じたコジマが切れるシーン」は特に・・・。
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