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{五穀豊穣}{万民快楽} ~{南無観世音} 1265回 東大寺.二月堂{十一面悔過}  

2016年03月15日 | 環境.伝統芸術 詩歌 ペット.スポーツ ボラ-
天平勝宝{752年}~連綿と途切れず幾多の辛酸を潜り抜け
1250年以上に渡り連綿と続けられている1265回目
東大寺二月堂 {修二会}~[十一面悔過]


厳格な清浄さで 慰霊と災害.復興への 祈願.

二月堂本尊の十一面観音に人々の罪を 懺悔
{五穀豊穣}{万民快楽}---幸せを祈る 東大寺
二月堂{修二会}今年は1265回目を迎えました


須弥壇の周りを駆ける[走りの行]躍動的な
[達陀の行](3月12日~14日){炎}の力!

邪悪を払い 燃え盛る籠松明を持った火天役が
内陣に水天役と向き合い飛び跳ねる仕草を
繰り返した後 松明が礼堂に投げ出され 春寒の
弥生三月十五日未明 大和路の春を呼ぶ
煌めく{炎} 古都の祭典は世の平穏.祈りを捧げ
三月十五日未明に 満行 を迎えますね! 

「お水取りが終わるまでは暖かくならない」


[神に近い子]~{中灯 童子 敏 丸}

[東大寺二月堂大欄干] 聖域に入ることを許された
神に近い子《童子》{中灯 童子 敏丸} として
大松明を持つ{童子}を務められたのが小生宅の
ご近所にお住まいの 門谷敏也さんです

今年は御家庭の事情により休場となりましたが-
{中灯さん~行きまぁ~すぅ}あの元気な声が
聞かれず~東大寺二月堂大欄干で乱舞した
勇壮な炎 {籠松明}を持たれた 門谷敏也さん
今年は 御家庭の御事情であの時の雄姿が
観られないのが~残念な限りです

童子は聖域に入ることを許された神に近い子の
資格を持った人達であり《練行衆》に 其々
一人ずつ付かれいますね!
門谷さんは 二月堂・大宿所で大松明の作成
食事等 練行衆の御世話で 昼夜を問わず
多忙を極められていました

門谷敏也さん宅の門前に{今年も}ある---
二月堂大欄干--勇壮な炎が闇夜に乱舞した
「籠松明」 《無病息災》を齎して頂く
大松明(8M)・重さは 80キロと言われます
満行を迎えた『籠松明』を身近に眺め手に
触れる事が出来.あの日の感動が蘇えります
本当に有難う御座いました

東大寺.法華堂{三月堂}「北門」芭蕉の句碑

二月堂へ往く前に 広い東大寺境内で
最初に訪ねたのが大仏殿の創建より古く
天平四年(733) 良弁僧正創建 {金鐘寺}の
一堂でもある 法華堂{三月堂}でした

水取りや 氷の僧の 沓の音 {芭蕉~二月堂}

東大寺・三月堂「龍王之瀧」の 前
水取りや 氷の僧の 沓の音
《 水取りや 籠の僧の 沓の音 》

天下安泰.万民幸福・1265回目を迎えた伝統行事
粛々と行われている~ニ月堂 {修二会} 御隣りの
{法華堂}~{北門}にある 芭蕉の句碑は

《水取りや 籠の僧の 沓の音》

ところが 松尾芭蕉が 貞享元年 伊勢.・伊賀.大和
近江を巡った[野ざらし紀行]の稿本.写本の中でも
芭蕉 直筆とされている 『天理本』には
[籠の僧]ではなく[氷の僧]
となっているそうです

 二月堂に籠りて (前書)
水取りや 氷の僧の 沓の音


{天理大学付属 天理図書館は 小生の地元
高校生時代から屡 受験勉強と称して利用させて
頂いていましたが残念乍ら未だ芭蕉 直筆と
されている『天理本』原本を拝読する機会がありません
俳壇の大御所(談)~「氷の僧だから名句!
籠の僧とすれば駄句に過ぎない!

{ダーン! ダーン!~二月堂 堂内では上堂した
練行衆は沓を鳴らし本尊に{参りました}と告げます

{ダン!ダン!ダン!}~{ダダダダッ!}
「差懸」(木製の履物)~沓の音は更に激しく
二月堂.舞台の下まで響き渡り練行衆は内陣に
駆け入って行きますね!

『佳景寂寞として心すみゆくのみおぼゆ』
推敲の名手.俳聖 芭蕉

{奥の細道} 山寺 {立石寺~蝉の句}は
推敲例として 有名ですが~  
山寺や石にしみつく蝉の声   {曾良書留}
淋しさの岩にしみ込せみの声 {木がらし}
さびしさや岩にしみ込蝉のこゑ {初蝉.泊船集}
 
閑さや 岩にしみ入蝉の声

{閑さや}~{岩にしみ入}~推敲にて~
『奥の細道』本文には~
「佳景寂寞として心すみゆくのみおぼゆ」
と言ったのでしょうね!

平泉中尊寺に詣でた時の{光堂(金色堂)}
{五月雨の降のこしてや光堂}

蛍火の昼は消えつつ柱かな
五月雨や年ゝ降りも五百たび
五月雨の降のこしてや光堂

{随行日記}--曾良によれば日は{天気朗}
芭蕉は{五月雨}を降らし{鮮やかな光堂}となり
余にも名句として残っているのでしょうね!


これよりは恋や事業や水温む  高浜虚子

大正5年.高商句会で虚子が東京高等商業の
卒業生を送る俳句~{水温む}~そんな季語が
相応しい季節を迎えますね!

「お水取りが終わるまでは暖かくならない」

ちりぬれば 匂ひばかりを 梅の花
       ありとや袖に 春風の吹く

 千利 連八 尓保 比者可 越 里 二 能
       藤原 有家(新古今)