『若葉して 御目の雫 拭ぐはばや』
唐招提寺 開山堂で鑑真像を拝み詠う 芭 蕉
鑑真和上が 天平宝字七年(763) 5月6日 結跏趺坐し
西に面し七十六年間の 生涯を終えらましたが
弟子 忍基は講堂の棟や梁のくじける夢を見て
鑑真和上の遷化近いこと予感!
高80㎝ 脱活乾漆造り穏やかな微笑--眼許から
顎にかけて 感じられる 強い意志!
そんな和上の像を刻んだと言われていますね!
筋骨逞しい体膈---拝する人々の 心に迫り
静まり返っている盲いた双つの眼(鑑真和上坐像)
鑑真和上が亡くなってから九百年後.元禄元年四月
芭蕉は唐招提寺 鐘楼の北側の鑑真の往坊跡に
建てられていた開山堂で鑑真像を拝んで
『若葉して 御目の雫 拭ぐはばや』と詠った作品!
芭蕉は鑑真像の盲いた双の眼に露わならぬ悲しみ
涙を感じとり----辺りは若葉で埋まっていて
その若葉で御眼の涙をぬぐって差し上げたい
そんな気持ちが伝わってきますね!
盲いた眼を持って日本に渡って来られた
{鑑真像}を拝し 静かに閉じられている
双の眼に打たれますね!
『天平の甍』の著者 井上靖は『おん目の雫』と
題する著述で芭蕉の句についてこの様に書いています
「芭蕉は鑑真像の 盲いた双の眼に それと露わならぬ
悲しみを 涙を感じ取ったのである」
{天平8年前後は 鑑真にとっては最も苦しい時期で
あった その苦しい時期のことを思い出す度に必ず
榮叡と祥彦の二人は鑑真の瞼の上に浮かんできたに
違いないと思う そして その都度 鑑真の盲いた
眼は 何ものでも拭うことができぬ涙であった
ことであろうと思う---芭蕉はその涙を 若葉で
ぬぐって差し上げたいと思うたのである}(井上靖)
水楢の柔き嫩葉(わかば)はみ眼にして
花よりもなほや白う匂はむ
盲ひてなお浄慧の人は明らけし
面もちしろく春を寂びてぞ 若山牧水
鑑真和上の故郷.江蘇省揚州市の名花「瓊花」
ガクアジサイに似た 白い可憐な花を咲かせ
御影堂供華園が特別開園されます
鑑真和上遷化1200年の昭和38年(1963)に
記念事業の一環とし中国仏教協会から贈られた
(瓊花)は種子で殖えない為.接ぎ木で増やし
隋の煬帝がこの花を愛し門外不出にしたとも
言われていますね!
中興忌梵網会~ハート形の宝扇・うちわまき・奉納舞楽
鎌倉時代~唐招提寺 中興の祖~大悲菩薩覚盛上人
蚊を叩たこうとした弟子に「血を吸わせるのも修行の
うち」と説かれ蚊も殺さないほど不殺生を貫いた上人を
讃え.授戒の弟子である法華寺の尼僧たちが徳を偲んで
蚊を払う団扇を作って覚盛上人の忌日に霊前に供えた
ことに始まる {ハート形の宝扇}~「うちわまき」
約760年続く伝統法要「中興忌梵網会」(5.19)が
行われました
サンスクリット語の真言が書かれた ハート形の(宝扇)
(うちわ)を赤い和紙で1本ずつ丁寧に縁取り~
「覚盛さんが大切にした不殺生の精神をうちわから
感じて頂きたいです」~(石田太一副執事長)
(中興忌梵網会)は南都楽所による雅楽演奏から始まり
(講堂正面)には舞台が設営され法要と合わせて
南都晃耀会による奉納舞楽が執り行われます
境内にある2階建ての(国宝.鼓楼)の上から僧侶が
鐘の合図に合わせ(うちわ)を2.3本ずつ計500本!
厄よけを願う多くの参拝に来られた人達は歓声を
上げながら舞うハート形のうちわに競い合って
手を伸ばしておられましたね!
観音の千手の中に筆もたす
み手一つありき涙す我は 白秋
観世音像千手の指のことごとに
眼坐しにき清みかがやかに 白秋
大寺の まろき柱の 月かげを
土に踏みつつ ものをこそ思へ 会津 八一
LINK Lucky PAL (PAL is My Family)
http://okamotogen.blogspot.com/
http://okamotogen.blog.fc2.com/
http://gen-okamoto.at.webry.info/
http://blog.goo.ne.jp/gogogen2000
http://blogs.yahoo.co.jp/gogogen2005
唐招提寺 開山堂で鑑真像を拝み詠う 芭 蕉
鑑真和上が 天平宝字七年(763) 5月6日 結跏趺坐し
西に面し七十六年間の 生涯を終えらましたが
弟子 忍基は講堂の棟や梁のくじける夢を見て
鑑真和上の遷化近いこと予感!
高80㎝ 脱活乾漆造り穏やかな微笑--眼許から
顎にかけて 感じられる 強い意志!
そんな和上の像を刻んだと言われていますね!
筋骨逞しい体膈---拝する人々の 心に迫り
静まり返っている盲いた双つの眼(鑑真和上坐像)
鑑真和上が亡くなってから九百年後.元禄元年四月
芭蕉は唐招提寺 鐘楼の北側の鑑真の往坊跡に
建てられていた開山堂で鑑真像を拝んで
『若葉して 御目の雫 拭ぐはばや』と詠った作品!
芭蕉は鑑真像の盲いた双の眼に露わならぬ悲しみ
涙を感じとり----辺りは若葉で埋まっていて
その若葉で御眼の涙をぬぐって差し上げたい
そんな気持ちが伝わってきますね!
盲いた眼を持って日本に渡って来られた
{鑑真像}を拝し 静かに閉じられている
双の眼に打たれますね!
『天平の甍』の著者 井上靖は『おん目の雫』と
題する著述で芭蕉の句についてこの様に書いています
「芭蕉は鑑真像の 盲いた双の眼に それと露わならぬ
悲しみを 涙を感じ取ったのである」
{天平8年前後は 鑑真にとっては最も苦しい時期で
あった その苦しい時期のことを思い出す度に必ず
榮叡と祥彦の二人は鑑真の瞼の上に浮かんできたに
違いないと思う そして その都度 鑑真の盲いた
眼は 何ものでも拭うことができぬ涙であった
ことであろうと思う---芭蕉はその涙を 若葉で
ぬぐって差し上げたいと思うたのである}(井上靖)
水楢の柔き嫩葉(わかば)はみ眼にして
花よりもなほや白う匂はむ
盲ひてなお浄慧の人は明らけし
面もちしろく春を寂びてぞ 若山牧水
鑑真和上の故郷.江蘇省揚州市の名花「瓊花」
ガクアジサイに似た 白い可憐な花を咲かせ
御影堂供華園が特別開園されます
鑑真和上遷化1200年の昭和38年(1963)に
記念事業の一環とし中国仏教協会から贈られた
(瓊花)は種子で殖えない為.接ぎ木で増やし
隋の煬帝がこの花を愛し門外不出にしたとも
言われていますね!
中興忌梵網会~ハート形の宝扇・うちわまき・奉納舞楽
鎌倉時代~唐招提寺 中興の祖~大悲菩薩覚盛上人
蚊を叩たこうとした弟子に「血を吸わせるのも修行の
うち」と説かれ蚊も殺さないほど不殺生を貫いた上人を
讃え.授戒の弟子である法華寺の尼僧たちが徳を偲んで
蚊を払う団扇を作って覚盛上人の忌日に霊前に供えた
ことに始まる {ハート形の宝扇}~「うちわまき」
約760年続く伝統法要「中興忌梵網会」(5.19)が
行われました
サンスクリット語の真言が書かれた ハート形の(宝扇)
(うちわ)を赤い和紙で1本ずつ丁寧に縁取り~
「覚盛さんが大切にした不殺生の精神をうちわから
感じて頂きたいです」~(石田太一副執事長)
(中興忌梵網会)は南都楽所による雅楽演奏から始まり
(講堂正面)には舞台が設営され法要と合わせて
南都晃耀会による奉納舞楽が執り行われます
境内にある2階建ての(国宝.鼓楼)の上から僧侶が
鐘の合図に合わせ(うちわ)を2.3本ずつ計500本!
厄よけを願う多くの参拝に来られた人達は歓声を
上げながら舞うハート形のうちわに競い合って
手を伸ばしておられましたね!
観音の千手の中に筆もたす
み手一つありき涙す我は 白秋
観世音像千手の指のことごとに
眼坐しにき清みかがやかに 白秋
大寺の まろき柱の 月かげを
土に踏みつつ ものをこそ思へ 会津 八一
LINK Lucky PAL (PAL is My Family)
http://okamotogen.blogspot.com/
http://okamotogen.blog.fc2.com/
http://gen-okamoto.at.webry.info/
http://blog.goo.ne.jp/gogogen2000
http://blogs.yahoo.co.jp/gogogen2005