『去年今年 貫く棒の 如きもの』 (高浜 虚子)
「ゆく年」を心静かに振り返り「くる年」に思いを
はせる(NHK)「ゆく年」~「くる年」
金堂(昭和51年)西塔(昭和56年)中門.回廊.大講堂.
食堂等々白鳳伽藍が次々と再建された(薬師寺)から
始まり(成田山.新勝寺)がキーステーションとして
話題の(令和)太宰府(坂本八幡宮)京都東山(知恩院)
人の心にある(百八つの煩悩)を祓う (除夜の鐘)が
厳かに響き渡り『令和』最初の年を越された皆様も
健やかに元朝を迎えられ事でしょう!
『東から あれあれ 春がくるわいな』(正岡子規)
『寿與亀鶴永』(庚子.元朝)御目出度う御座います!
『新しき 年の初めに 思ふどち
い群れて居れば 嬉しくもあるか』
(道祖王) 《萬葉 巻19》
(丑年正月 於治部少輔石上朝臣宅嗣家宴歌三首)
新年始尓思共 伊牟礼乎礼婆 宇礼之久母安流可
『そらみつ 大和の國は 神からか ありがほし
國からか住みがほしき ありがほしき国は
あきつしま大和』(琴歌譜 正月元日慶歌)
我が家の『恭頌新禧』~(元朝 詣)は
(春日大社.布留社.生駒聖天.往馬大社)です
『式年造替』20年に一度.御本殿以下の諸社殿
連綿と建て替えられてきた (春日大社)
(年越大祓式.この一年間の 穢れを祓い去り
新年を清らかな心身で迎える 春日社.神事
(初太鼓)(歳旦祭)一番太鼓で(春日大社)の
元朝詣が始まりました!
『二拝 二拍手 一拝』武甕槌命が白鹿に
遣って来られたとされる《春日大社》
(平城京の守護)の為に創建された御社とされており
和銅3年(710)藤原不比等が 平城遷都の際
藤原氏の氏神を祀ったのが起こり(神護景雲2年)
今の地に社殿を造営興福寺と同様 藤原氏が勢力を
伸ばすにつれ社殿の造営が行われ 平安後期には
現在のような規模を整えられました
本殿向って{右}--第一殿 茨城 鹿島神宮から
迎えられた武甕槌命{タケミカヅチのミコト}
第二殿 千葉 香取神宮から迎えられた経津主命
第三殿 天児屋根命{アメノコヤネのミコト}と
第四殿 比売神)は 枚岡神社から
(春日の地)に 迎えて 祀られています
奈良時代の神護景雲二年(768) 現在地に四所の
神殿が創設されたのが始まりとされています
境内に含まれる主なものは標高295m御蓋山全域の
山林部と社頭から西方 飛火野.雪消の沢一帯の芝原
(春日.若宮 おん祭)の御旅所から一の鳥居に至る
参道の地帯を含む平野部です
また『萬燈籠』で知られる釣燈籠 石燈籠の多くは
庶民の寄進によるもので 庶民信仰の深さを
伺い知ることができますね!
毎年2月(節分の日)と8月14・15日の(中元)に
全ての燈籠に火を入れる“萬燈籠”の行事が
行なわれていますね!
春日大社---「福の神12社」
第1番社 若宮神社 正しい智恵をくださる神様
第2番社 三輪神社 子孫繁栄.子供の無事成長-神様
第3番社 兵主神社 延命長寿を守ってくれる神様
第4番社 南宮神社 金運を守ってくれる神様
第5番社 広瀬神社 衣食住を守る神様・御稲荷様
第6番社 葛城神社 心願成就の 神様
第7番社 三十八所社 正しい勇気と力をくださる神様
第8番社 佐良気神社 商売繁盛を守る恵比寿様
第9番社 宗像神社 諸芸発達を守る神様・弁天様
第10番社 紀伊神社 万物の正気 命の根源を守る神様
第11番社 金龍神社 開運財運を守ってくれる神様
第12番社 夫婦大國社 夫婦円満 良縁 福運守護の神様
『山めぐる 大和国原 日の始』(岡本艶女)『松 苗』
『石上 布留の神杉 神さびし
恋をもあれは 更にするかも』
柿本人麿歌集 (萬葉 巻11 2417)
『布都御魂大神』を主祭神とされる
《石 上 振 神 宮》『石上神宮』
石上布留社は 古代の山辺郡石上郷に属する
布留山の西北麓に鎮座し(布都御魂大神)は
神体である{布都御魂剣に宿る神霊}とされ
布都斯魂大神 宇摩志麻治命 五十瓊敷命
白河天皇 市川臣を 配祀されています
市川臣は 孝昭天皇の皇子.天足彦国押人命の
後裔で 当社社家の祖ですね!
『古事記』・『日本書紀』に既に(石上神宮)
石上振神宮との記述が有り古代軍事氏族である
物部氏が祭祀し.ヤマト政権の 武器庫としての
役割も果たしてきたと考えられています
社伝によれば(布都御魂剣)は 武甕槌.経津主
二神による葦原中国平定の際に使われた剣で
神武東征で熊野において神武天皇が危機に
陥った時に 天津神から高倉下の手を通して
天皇の元に渡りその後 物部氏によって宮中で
祀られていたが神天皇7年勅命~物部氏の
伊香色雄命が現在地に遷し(石上大神)として
祀ったのが当社の創建とされています
また(禁足地)は今もなお『布留社』と
刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれています
『未通女等が 袖布留山の 瑞垣の
久しき時ゆ 思ひきわれは』
柿本朝臣人麿 (萬葉 巻4 501)
『春山に 向ひて奏 す祝詞かな』(高野 素十)
『山めぐる 大和国原 日の始』(岡本艶女)松苗
凛とした元朝 国家安寧.皆様の弥栄を祈念致します
「ゆく年」を心静かに振り返り「くる年」に思いを
はせる(NHK)「ゆく年」~「くる年」
金堂(昭和51年)西塔(昭和56年)中門.回廊.大講堂.
食堂等々白鳳伽藍が次々と再建された(薬師寺)から
始まり(成田山.新勝寺)がキーステーションとして
話題の(令和)太宰府(坂本八幡宮)京都東山(知恩院)
人の心にある(百八つの煩悩)を祓う (除夜の鐘)が
厳かに響き渡り『令和』最初の年を越された皆様も
健やかに元朝を迎えられ事でしょう!
『東から あれあれ 春がくるわいな』(正岡子規)
『寿與亀鶴永』(庚子.元朝)御目出度う御座います!
『新しき 年の初めに 思ふどち
い群れて居れば 嬉しくもあるか』
(道祖王) 《萬葉 巻19》
(丑年正月 於治部少輔石上朝臣宅嗣家宴歌三首)
新年始尓思共 伊牟礼乎礼婆 宇礼之久母安流可
『そらみつ 大和の國は 神からか ありがほし
國からか住みがほしき ありがほしき国は
あきつしま大和』(琴歌譜 正月元日慶歌)
我が家の『恭頌新禧』~(元朝 詣)は
(春日大社.布留社.生駒聖天.往馬大社)です
『式年造替』20年に一度.御本殿以下の諸社殿
連綿と建て替えられてきた (春日大社)
(年越大祓式.この一年間の 穢れを祓い去り
新年を清らかな心身で迎える 春日社.神事
(初太鼓)(歳旦祭)一番太鼓で(春日大社)の
元朝詣が始まりました!
『二拝 二拍手 一拝』武甕槌命が白鹿に
遣って来られたとされる《春日大社》
(平城京の守護)の為に創建された御社とされており
和銅3年(710)藤原不比等が 平城遷都の際
藤原氏の氏神を祀ったのが起こり(神護景雲2年)
今の地に社殿を造営興福寺と同様 藤原氏が勢力を
伸ばすにつれ社殿の造営が行われ 平安後期には
現在のような規模を整えられました
本殿向って{右}--第一殿 茨城 鹿島神宮から
迎えられた武甕槌命{タケミカヅチのミコト}
第二殿 千葉 香取神宮から迎えられた経津主命
第三殿 天児屋根命{アメノコヤネのミコト}と
第四殿 比売神)は 枚岡神社から
(春日の地)に 迎えて 祀られています
奈良時代の神護景雲二年(768) 現在地に四所の
神殿が創設されたのが始まりとされています
境内に含まれる主なものは標高295m御蓋山全域の
山林部と社頭から西方 飛火野.雪消の沢一帯の芝原
(春日.若宮 おん祭)の御旅所から一の鳥居に至る
参道の地帯を含む平野部です
また『萬燈籠』で知られる釣燈籠 石燈籠の多くは
庶民の寄進によるもので 庶民信仰の深さを
伺い知ることができますね!
毎年2月(節分の日)と8月14・15日の(中元)に
全ての燈籠に火を入れる“萬燈籠”の行事が
行なわれていますね!
春日大社---「福の神12社」
第1番社 若宮神社 正しい智恵をくださる神様
第2番社 三輪神社 子孫繁栄.子供の無事成長-神様
第3番社 兵主神社 延命長寿を守ってくれる神様
第4番社 南宮神社 金運を守ってくれる神様
第5番社 広瀬神社 衣食住を守る神様・御稲荷様
第6番社 葛城神社 心願成就の 神様
第7番社 三十八所社 正しい勇気と力をくださる神様
第8番社 佐良気神社 商売繁盛を守る恵比寿様
第9番社 宗像神社 諸芸発達を守る神様・弁天様
第10番社 紀伊神社 万物の正気 命の根源を守る神様
第11番社 金龍神社 開運財運を守ってくれる神様
第12番社 夫婦大國社 夫婦円満 良縁 福運守護の神様
『山めぐる 大和国原 日の始』(岡本艶女)『松 苗』
『石上 布留の神杉 神さびし
恋をもあれは 更にするかも』
柿本人麿歌集 (萬葉 巻11 2417)
『布都御魂大神』を主祭神とされる
《石 上 振 神 宮》『石上神宮』
石上布留社は 古代の山辺郡石上郷に属する
布留山の西北麓に鎮座し(布都御魂大神)は
神体である{布都御魂剣に宿る神霊}とされ
布都斯魂大神 宇摩志麻治命 五十瓊敷命
白河天皇 市川臣を 配祀されています
市川臣は 孝昭天皇の皇子.天足彦国押人命の
後裔で 当社社家の祖ですね!
『古事記』・『日本書紀』に既に(石上神宮)
石上振神宮との記述が有り古代軍事氏族である
物部氏が祭祀し.ヤマト政権の 武器庫としての
役割も果たしてきたと考えられています
社伝によれば(布都御魂剣)は 武甕槌.経津主
二神による葦原中国平定の際に使われた剣で
神武東征で熊野において神武天皇が危機に
陥った時に 天津神から高倉下の手を通して
天皇の元に渡りその後 物部氏によって宮中で
祀られていたが神天皇7年勅命~物部氏の
伊香色雄命が現在地に遷し(石上大神)として
祀ったのが当社の創建とされています
また(禁足地)は今もなお『布留社』と
刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれています
『未通女等が 袖布留山の 瑞垣の
久しき時ゆ 思ひきわれは』
柿本朝臣人麿 (萬葉 巻4 501)
『春山に 向ひて奏 す祝詞かな』(高野 素十)
『山めぐる 大和国原 日の始』(岡本艶女)松苗
凛とした元朝 国家安寧.皆様の弥栄を祈念致します