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ちょうど1週間の日程で行ってきました。
僕はシングルスと男子ダブルスMD8に出場しましたが、どちらもメダルの獲得には至りませんでした。
シングルスは決勝トーナメント1回戦敗退。
ダブルスは予選敗退でした。
エントリー数が思いのほか少なかったのもあり、どちらもあと一つ勝てばメダルだったのにと、悔しい思いです。
しかも、負け惜しみじゃないですけど、勝てる試合を落としてしまった感が強くあります。
それが僕の大きな大きな課題です。
フランス大会の時もそう。
練習の時もそう。
出来ることが出来ない。
出来ることをやらない。
なぜなのか?
「メンタル」と一言で言うのは簡単ですが、それをクリア出来なければ意味がない。
意気込んで挑んだフランス大会で大きく躓き、そのモヤモヤを抱えたままで挑んだタイ。
最初のシングルスは同じように躓いてしまいました。
でも今回はコーチにも帯同いただいていたので、アドバイスにより修正は出来たりもしましたが、根本の部分での解決には至らず敗退という結果でした。
コーチからも「練習の時とは全くの別人」「練習の時に出来ていること、やっていることが全く出来ていない」「動き出しが遅いし、そもそも動いていない」と叱咤いただきました。
自分でも何故そうなるのか腑に落ちない。
ゆっくりと蟻地獄に陥る様な、負のスパイラルに落ち込んでいくような、そんな感覚を覚えました。
がしかし、ある試合途中でのコーチからのアドバイスもあり、「あ、これだ」というポイントを得て、自分の中でスイッチが入り、ようやくエンジンがかかった感があったのでした。
ここしばらくは「何か違うぞ!?どうした渡邊剛!?」と自問自答を繰り返していましたが、その原因がようやく理解出来た、そんな感覚を覚えました。
時すでに遅し、でしたが。
結果は残念で不甲斐ないものでしたが、その「いつもと全然違う試合っぷり」をコーチに確認してもらい、それを共有できたことはプラスであり大きな収穫です。
そして自分自身のスイッチの入れ方を確認出来たこと。
これが何よりも大きな収穫。
そうだったのか!
以前の僕はそうじゃなかったのに、このコロナ禍でのそれまでとは異なる活動による影響だとか、久々の国際大会という点も大きな要因としてあります。
でも、それを自分で修正しなければならないのに出来ないからそういう結果になってしまう。
他の選手はみんなきちんとそれが出来ている。
きっと一人一人スイッチの入れ方もスイッチそのものも違うし、入れるべきタイミングも人それぞれ違っているはず。
そしてそれは成長の度合いで随時変化していくものだろうし、TPOでも変化するものだと思います。
これで良いと思っていても、それではダメな瞬間もある。
いずれにしても、思っていた以上の修正と「ケア」の必要性を痛感したタイ大会。
早速修正には取り掛かっているけど、でもそれ以上に身体のケアをしなければちょっとやばいところまで来ているように思ったのでした。
考えてみれば、練習もトレーニングも頑張らなきゃと取り組んでいるけど、例えばマッサージとかケアというのを全く行っていない。
意識しているのはせいぜい栄養面の接種のみ。
トレーナーにチェックしてもらうのも身体の動きがメインだし、ちょっと疲れや違和感を覚えた時は湿布で対応する程度。
実はこれまでに交通事故以外で、パラ卓球活動でスポーツ整形とか整形外科を受診したことは全くないのでした。
でもそれでは済まないレベルまで来ていると実感出来る。
それが自分のケア不足だったことに気づいたのは大きな収穫といえる。
でもこれはまさに自分の認識不足。
ここにも修正を加えて、良いパフォーマンスを発揮できるようにしていきたい。
身体のケア、心のケア。
心身を支えるのはトレーニングで積み重ねたフィジカルと、毎日の食事と睡眠。
それらの根底となる心の健康。
だけではなく、競技活動を行うからこそ負うダメージの回復、ケアという取り組み。
そこにも注意を置かなければならない。
そして心身を支えるのは、そうした意識や行動だけでなく、もっと大きな存在、それは「人」だと思う。
側で支えてくれる人、遠くから応援してくれる人、見えないところで陰ながら支えてくれる人、様々な「人」の支えがあって自分がここにいる、ここで生きているということを忘れちゃいけない。
「人」にはそれぞれに「心」があって、それが行動の源泉となるのだから、その「心」がこっちを向いていないと支えてもらえる訳がない。
まさに諸行無常。
心の移り変わりは雲や時間の流れよりも早く激しく大きいもの。
それを当たり前とするのは問題外の更に外。
そうしていただけることへの感謝の気持ちを忘れずに、真摯に、謙虚にいなければならない。
突っ走るのはいいけど、それだけじゃダメなんだと気づけたのはタイの人たちのごく自然な人柄やその土地の空気に接したからなのかもしれない。
まずは、身体のケア。回復。
でも同時進行でメンタルと技術の修正。
真逆のことだけど、別々にやってる時間はないから同時に行っていく。
混ざらないようにきちんとセパレートさせて。
今回の滞在先のホテルは、部屋のドアを出ると正面に像の飼育エリアがあって、毎朝像の鳴き声が聞こえてくる環境でした。
もちろん像だけでなく小鳥たちの賑やかな声も。
水の流れる音、木が風に揺れる音。
人間の手が加わっていない自然の音がたくさん聞こえてきて、時間の流れが東京よりもゆっくりだったのが印象的です。
こんな状況下でもこうした経験が出来るのはまさに「人」の支えがあればこそ。
次回は結果で恩返しできるように、日々取り組んでいきます。
僕はシングルスと男子ダブルスMD8に出場しましたが、どちらもメダルの獲得には至りませんでした。
シングルスは決勝トーナメント1回戦敗退。
ダブルスは予選敗退でした。
エントリー数が思いのほか少なかったのもあり、どちらもあと一つ勝てばメダルだったのにと、悔しい思いです。
しかも、負け惜しみじゃないですけど、勝てる試合を落としてしまった感が強くあります。
それが僕の大きな大きな課題です。
フランス大会の時もそう。
練習の時もそう。
出来ることが出来ない。
出来ることをやらない。
なぜなのか?
「メンタル」と一言で言うのは簡単ですが、それをクリア出来なければ意味がない。
意気込んで挑んだフランス大会で大きく躓き、そのモヤモヤを抱えたままで挑んだタイ。
最初のシングルスは同じように躓いてしまいました。
でも今回はコーチにも帯同いただいていたので、アドバイスにより修正は出来たりもしましたが、根本の部分での解決には至らず敗退という結果でした。
コーチからも「練習の時とは全くの別人」「練習の時に出来ていること、やっていることが全く出来ていない」「動き出しが遅いし、そもそも動いていない」と叱咤いただきました。
自分でも何故そうなるのか腑に落ちない。
ゆっくりと蟻地獄に陥る様な、負のスパイラルに落ち込んでいくような、そんな感覚を覚えました。
がしかし、ある試合途中でのコーチからのアドバイスもあり、「あ、これだ」というポイントを得て、自分の中でスイッチが入り、ようやくエンジンがかかった感があったのでした。
ここしばらくは「何か違うぞ!?どうした渡邊剛!?」と自問自答を繰り返していましたが、その原因がようやく理解出来た、そんな感覚を覚えました。
時すでに遅し、でしたが。
結果は残念で不甲斐ないものでしたが、その「いつもと全然違う試合っぷり」をコーチに確認してもらい、それを共有できたことはプラスであり大きな収穫です。
そして自分自身のスイッチの入れ方を確認出来たこと。
これが何よりも大きな収穫。
そうだったのか!
以前の僕はそうじゃなかったのに、このコロナ禍でのそれまでとは異なる活動による影響だとか、久々の国際大会という点も大きな要因としてあります。
でも、それを自分で修正しなければならないのに出来ないからそういう結果になってしまう。
他の選手はみんなきちんとそれが出来ている。
きっと一人一人スイッチの入れ方もスイッチそのものも違うし、入れるべきタイミングも人それぞれ違っているはず。
そしてそれは成長の度合いで随時変化していくものだろうし、TPOでも変化するものだと思います。
これで良いと思っていても、それではダメな瞬間もある。
いずれにしても、思っていた以上の修正と「ケア」の必要性を痛感したタイ大会。
早速修正には取り掛かっているけど、でもそれ以上に身体のケアをしなければちょっとやばいところまで来ているように思ったのでした。
考えてみれば、練習もトレーニングも頑張らなきゃと取り組んでいるけど、例えばマッサージとかケアというのを全く行っていない。
意識しているのはせいぜい栄養面の接種のみ。
トレーナーにチェックしてもらうのも身体の動きがメインだし、ちょっと疲れや違和感を覚えた時は湿布で対応する程度。
実はこれまでに交通事故以外で、パラ卓球活動でスポーツ整形とか整形外科を受診したことは全くないのでした。
でもそれでは済まないレベルまで来ていると実感出来る。
それが自分のケア不足だったことに気づいたのは大きな収穫といえる。
でもこれはまさに自分の認識不足。
ここにも修正を加えて、良いパフォーマンスを発揮できるようにしていきたい。
身体のケア、心のケア。
心身を支えるのはトレーニングで積み重ねたフィジカルと、毎日の食事と睡眠。
それらの根底となる心の健康。
だけではなく、競技活動を行うからこそ負うダメージの回復、ケアという取り組み。
そこにも注意を置かなければならない。
そして心身を支えるのは、そうした意識や行動だけでなく、もっと大きな存在、それは「人」だと思う。
側で支えてくれる人、遠くから応援してくれる人、見えないところで陰ながら支えてくれる人、様々な「人」の支えがあって自分がここにいる、ここで生きているということを忘れちゃいけない。
「人」にはそれぞれに「心」があって、それが行動の源泉となるのだから、その「心」がこっちを向いていないと支えてもらえる訳がない。
まさに諸行無常。
心の移り変わりは雲や時間の流れよりも早く激しく大きいもの。
それを当たり前とするのは問題外の更に外。
そうしていただけることへの感謝の気持ちを忘れずに、真摯に、謙虚にいなければならない。
突っ走るのはいいけど、それだけじゃダメなんだと気づけたのはタイの人たちのごく自然な人柄やその土地の空気に接したからなのかもしれない。
まずは、身体のケア。回復。
でも同時進行でメンタルと技術の修正。
真逆のことだけど、別々にやってる時間はないから同時に行っていく。
混ざらないようにきちんとセパレートさせて。
今回の滞在先のホテルは、部屋のドアを出ると正面に像の飼育エリアがあって、毎朝像の鳴き声が聞こえてくる環境でした。
もちろん像だけでなく小鳥たちの賑やかな声も。
水の流れる音、木が風に揺れる音。
人間の手が加わっていない自然の音がたくさん聞こえてきて、時間の流れが東京よりもゆっくりだったのが印象的です。
こんな状況下でもこうした経験が出来るのはまさに「人」の支えがあればこそ。
次回は結果で恩返しできるように、日々取り組んでいきます。
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