車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

忘れるべからず。

2017年11月09日 22時24分01秒 | 日記
卓球に直接的なものではないけれど、備忘録として書きとどめておきたい。

「失ったものを嘆くのではなく、今あるものを最大限に活かせ!」

とは、パラ・スポーツにおける最も有名なスローガンだ。



僕はふと思った。



「今あるもの」とは身体機能、能力だけを言うのかな?と。



例えば、身体障害者といってもその内容は人それぞれ。

卓球では身体障害だけでクラスが10に分けられるほどだし、同じクラスでも人それぞれ背負う障害は異なっているので、厳密に言えば似て非なるものなのだ。

事故や怪我で障害を負った人もいれば、生まれた時から障害を背負っている人もいる。

同じように見えてみんなそれぞれ違っている。

だから、「今あるもの」もみんな違う。

それをどう活かすのか、その手段も人それぞれ異なってくるから、その方法も誰かが的確に教えてくれるものでもないし、結局のところ自分で見つけるしかないから、だからものすごく難しく、時間もエネルギーも膨大に費やすから、だから「活かす」よりも「嘆く」が先に来ちゃうのかもしれない。



そこで話を戻そう。



僕は思う。

「今あるもの」は身体のことだけじゃないな、と。

どんな障害も越えて、さらには障害者も健常者も関係なく、僕らには全員が同じく持っているものがある。

それは「可能性」。

さらには「希望」。

それは間違いなく「今あるもの」だと思う。



障害を負っているからこそ、辛く悲しく、悲観的な境遇に身を置かざるを得ないという人も少なくは無い。

スポーツ活動を行いたくても、環境面で思うようにいかないことだって多々ある。

でも、そんな時でも、どんな時でも、僕らには「可能性」があり「希望」があるのだ。

それが自分の掌に無くたって、足元に一輪の花として小さく咲いているものだ。

それを、嘆き悲しんでその場で地団駄踏んでいると、その小さな花を踏みつぶしてしまうことになりかねない。

「今あるもの」とは、手の中にあるものだけでなく、手の届くところにあるもののことをいうのだと思う。

少し頑張って手を伸ばせば、届くものだってたくさんあるはず。

そう考えると、地団駄踏んでいる暇はない。

手を伸ばしてみる、精一杯手を伸ばしてみる。

すると思いのほか簡単に掴めるものだってきっとあるはず。

今はずっと遠くに見えるものだって、自分でそちらへ歩いていけば、ほら、手の届くところにそれがあるはず。

それを手にして、また1歩前進していく。

すると、見える景色も変わってくる。

もっと手を伸ばしたくなるかもしれない。

手を伸ばせば掴めるものがさらに見えてくるはずなのだ。



なんだか詩人のようだなぁ(笑)



自分自身の可能性に限界を設けない。

今あるものを最大限に活かしてやる!

チャンスはいくらでもある!

全ては自分次第!

という備忘録。

さぁ、頑張れ、俺!

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