卓球に直接的なものではないけれど、備忘録として書きとどめておきたい。
「失ったものを嘆くのではなく、今あるものを最大限に活かせ!」
とは、パラ・スポーツにおける最も有名なスローガンだ。
僕はふと思った。
「今あるもの」とは身体機能、能力だけを言うのかな?と。
例えば、身体障害者といってもその内容は人それぞれ。
卓球では身体障害だけでクラスが10に分けられるほどだし、同じクラスでも人それぞれ背負う障害は異なっているので、厳密に言えば似て非なるものなのだ。
事故や怪我で障害を負った人もいれば、生まれた時から障害を背負っている人もいる。
同じように見えてみんなそれぞれ違っている。
だから、「今あるもの」もみんな違う。
それをどう活かすのか、その手段も人それぞれ異なってくるから、その方法も誰かが的確に教えてくれるものでもないし、結局のところ自分で見つけるしかないから、だからものすごく難しく、時間もエネルギーも膨大に費やすから、だから「活かす」よりも「嘆く」が先に来ちゃうのかもしれない。
そこで話を戻そう。
僕は思う。
「今あるもの」は身体のことだけじゃないな、と。
どんな障害も越えて、さらには障害者も健常者も関係なく、僕らには全員が同じく持っているものがある。
それは「可能性」。
さらには「希望」。
それは間違いなく「今あるもの」だと思う。
障害を負っているからこそ、辛く悲しく、悲観的な境遇に身を置かざるを得ないという人も少なくは無い。
スポーツ活動を行いたくても、環境面で思うようにいかないことだって多々ある。
でも、そんな時でも、どんな時でも、僕らには「可能性」があり「希望」があるのだ。
それが自分の掌に無くたって、足元に一輪の花として小さく咲いているものだ。
それを、嘆き悲しんでその場で地団駄踏んでいると、その小さな花を踏みつぶしてしまうことになりかねない。
「今あるもの」とは、手の中にあるものだけでなく、手の届くところにあるもののことをいうのだと思う。
少し頑張って手を伸ばせば、届くものだってたくさんあるはず。
そう考えると、地団駄踏んでいる暇はない。
手を伸ばしてみる、精一杯手を伸ばしてみる。
すると思いのほか簡単に掴めるものだってきっとあるはず。
今はずっと遠くに見えるものだって、自分でそちらへ歩いていけば、ほら、手の届くところにそれがあるはず。
それを手にして、また1歩前進していく。
すると、見える景色も変わってくる。
もっと手を伸ばしたくなるかもしれない。
手を伸ばせば掴めるものがさらに見えてくるはずなのだ。
なんだか詩人のようだなぁ(笑)
自分自身の可能性に限界を設けない。
今あるものを最大限に活かしてやる!
チャンスはいくらでもある!
全ては自分次第!
という備忘録。
さぁ、頑張れ、俺!
「失ったものを嘆くのではなく、今あるものを最大限に活かせ!」
とは、パラ・スポーツにおける最も有名なスローガンだ。
僕はふと思った。
「今あるもの」とは身体機能、能力だけを言うのかな?と。
例えば、身体障害者といってもその内容は人それぞれ。
卓球では身体障害だけでクラスが10に分けられるほどだし、同じクラスでも人それぞれ背負う障害は異なっているので、厳密に言えば似て非なるものなのだ。
事故や怪我で障害を負った人もいれば、生まれた時から障害を背負っている人もいる。
同じように見えてみんなそれぞれ違っている。
だから、「今あるもの」もみんな違う。
それをどう活かすのか、その手段も人それぞれ異なってくるから、その方法も誰かが的確に教えてくれるものでもないし、結局のところ自分で見つけるしかないから、だからものすごく難しく、時間もエネルギーも膨大に費やすから、だから「活かす」よりも「嘆く」が先に来ちゃうのかもしれない。
そこで話を戻そう。
僕は思う。
「今あるもの」は身体のことだけじゃないな、と。
どんな障害も越えて、さらには障害者も健常者も関係なく、僕らには全員が同じく持っているものがある。
それは「可能性」。
さらには「希望」。
それは間違いなく「今あるもの」だと思う。
障害を負っているからこそ、辛く悲しく、悲観的な境遇に身を置かざるを得ないという人も少なくは無い。
スポーツ活動を行いたくても、環境面で思うようにいかないことだって多々ある。
でも、そんな時でも、どんな時でも、僕らには「可能性」があり「希望」があるのだ。
それが自分の掌に無くたって、足元に一輪の花として小さく咲いているものだ。
それを、嘆き悲しんでその場で地団駄踏んでいると、その小さな花を踏みつぶしてしまうことになりかねない。
「今あるもの」とは、手の中にあるものだけでなく、手の届くところにあるもののことをいうのだと思う。
少し頑張って手を伸ばせば、届くものだってたくさんあるはず。
そう考えると、地団駄踏んでいる暇はない。
手を伸ばしてみる、精一杯手を伸ばしてみる。
すると思いのほか簡単に掴めるものだってきっとあるはず。
今はずっと遠くに見えるものだって、自分でそちらへ歩いていけば、ほら、手の届くところにそれがあるはず。
それを手にして、また1歩前進していく。
すると、見える景色も変わってくる。
もっと手を伸ばしたくなるかもしれない。
手を伸ばせば掴めるものがさらに見えてくるはずなのだ。
なんだか詩人のようだなぁ(笑)
自分自身の可能性に限界を設けない。
今あるものを最大限に活かしてやる!
チャンスはいくらでもある!
全ては自分次第!
という備忘録。
さぁ、頑張れ、俺!
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