肖像画のお問い合わせは フリーコール 0120-945-655
日本最大の肖像画家の祭典”全日肖展”にて「内閣総理大臣賞」受賞!
今日二度目の更新ですが、暇だったわけではなく、気分転換というやつですかね。
高校生の時初めて油絵具で描いた自画像です。当初腕の部分もあったF30号だったのですが、その後持ち運びに便利なようにF10号サイズにカット、張り直しをしたものです。青春真っ只中の自分がそこに、天然パーマバリバリのリーゼント!?昔描いたほとんどの絵の所在は分からなくなっているのですが、この絵だけは引っ越しの際もなぜか身近に持ち歩いておりました。この頃はテクニックも何もあったものじゃありませんが、試行錯誤ひたすら納得のいくまで筆を走らせたという痕跡がてんこ盛りになっています。鏡に写した自分を見ながら描いた記憶が蘇ります。この当時の感性は今以上だったのではないかと思えるのですが・・・・、この前に描いた油絵処女作は人物画で高校一年のときで、難関だった”県展”で初出品、初入選でした。人生生活が絡むと単純に感性だけでは物申せなくなっていくようです。人間長く生きていくにつけ、良しにつけ悪しきにつけ、”汚れていく”ということでしょうか。
当時同じ美術クラブで親しくしていた高野君はアニメの美術監督でご活躍とか、大手企業系列のIT企業社長の西巻君。懐かしいですね。以前ホームページを見たらしくメールを頂いたのですが、パソコンの故障でアドレスを消滅してしまい連絡がつかない状況です。お元気だと思いますが、ブログを見る機会があったらご連絡ください!三人で飲みに行きましよう!この自画像にまつわるいろいろな当時のことが懐かしく思い起されます。そもそも美術クラブなるものに入部したのは、一年生で入部したラグビー部での練習中の怪我が原因でした。小学校の時、父の他界で生活状況が一変し、”絵の道”は子供心なりに断念していたようです。小学校では6年間美術の成績はオール5といいたいのですが、ショックでしたが一回だけ4をもらったことがあります。その年は父が亡くなった年で、子供心なりにいろいろなことに反発していたようです。不思議なもので、遠回りしたようですが現在肖像画家として絵に携われる今日があるのは、幼少のころからの忘れられなかった絵心だったと思います。父の死によって頼るものがなくなったことが、物事に逃げることなく前向きに生きてこれた、今日の精神的な支柱になってきたかと思うと、ある意味感謝です。四十数年近く昔のことを自画像を通して思い起しました。すっかりタイムスリップしましたね。肖像画って素晴らしいですね。
肖像画の制作原点は2,3歳の頃にさかのぼるようです。環境というやつでしょうか、狭い我が家なりに父が描いた日本画や掛け軸、短冊の類が処せましに、洋画も壁に掛けてあり、本棚には画集や絵に関する本が沢山あったような記憶があります。裕福ではなかったにせよ気骨があり、風流を好んだ父の生き方は、父親が生きていた年数を十数年経過した現在でも私には到底追いつけないものがあります。小学生の時は遊ぶことも夢中でしたが、なぜか昼休みには頻繁に図書室通い、美術の画集に見入っていました。中世の西洋写実絵画です。子供心なりに絵に引き付けられ気持ちは高揚していたようです。
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