時代、ときのよ、世は代である、ときはその生のながさ、己を見るに、生きたヨであるから、それを自分時代とすれば一世一代なる切りのことである。その代を治世として、治政であるが、写してみる。それが変わる。その思いを持つ、それにかかわりなく、また次の世を迎えて、代がどうであれ、自分時代をとらえているのもよし、生きてきた思いには、誰も同じであるから、そのそれぞれに時代があってよい。人間と世間である。にんげん、せけん、この間には、空間があった、時間があった、一間四方は両の手のぐるりになる。それをつなげば世間とあわせて、世界となるから、自分の生きている時間の、この世である。 . . . 本文を読む