もののけ
もの の け に、物の怪 物恠 また、物気 を宛てる。モノノケ姫の名称で知られるようになった。古代漢文に、物怪 の語が見える。妖怪の類とするも、日本では、もの そのものが、鬼、精霊、荒魂と捉えられていたようで、その、け 怪とは、なんであったか。此の語の形態は、もののふ と同じ構成で、ふ について、け についての意味がある。
け について、気 を宛てると、時気 ときのけ と書いて、疫病を意味する例があり、け とは病気のことを指していたという解説がウイキペディアの項目にある。もののけ とは、もの によって生じる病気のことを指していたと見られ、枕草子にも、胸のけ 脚のけ もののけ の病気名がある。
次は、日本国語大辞典の引用である。
>もの‐の‐け 【物怪・物気】名〕
人にとりついて悩まし、病気にしたり死にいたらせたりするとされる死霊・生霊・妖怪の類。また、それらがとりついて祟ること。邪気。
*貞信公記‐抄・延喜一九年〔919〕一一月一六日「庚辰、依 病不 参、五節一人忽煩 物気 」
*延喜御集〔967~1000頃〕「東宮の女御はむまれ給てのち、うちはへ物のけにかくわづらひ給て」
*小右記‐永延元年〔987〕三月二九日「終霄風雨無 極、似 物恠 」
*枕〔10C終〕一八八・病は「病は 胸。もののけ。あしのけ。はては、ただそこはかとなくて物食はれぬ心地」
次は、ニッポニカの喜寿である。
>平安時代の文献にはよくこのことが記録されている。『紫式部日記』には、中宮のお産のとき、物の怪に対して屏風(びょうぶ)を立て巡らし調伏(ちょうぶく)したことが記されている。『源氏物語』葵(あおい)の巻に、「物の怪、生霊(いきすだま)などいふもの多く出で来てさまざまの名のりする中に……」とあり、また同じ巻に「大殿(おおとの)には、御物(おんもの)の怪(け)いたう起こりていみじうわづらひたまふ」などとある。清少納言(せいしょうなごん)も『枕草子(まくらのそうし)』のなかで、昔評判の修験者(しゅげんじゃ)があちこち呼ばれ、物の怪を調伏する途中疲れて居眠りをしたので非難されたことなどを記している(「思はむ子を」)。ほかに『大鏡』『増鏡』などにも物の怪の記述がみえ、これらは閉鎖的な宮廷社会での平安貴族の精神生活の一面を反映したものとみられる。
もの の け に、物の怪 物恠 また、物気 を宛てる。モノノケ姫の名称で知られるようになった。古代漢文に、物怪 の語が見える。妖怪の類とするも、日本では、もの そのものが、鬼、精霊、荒魂と捉えられていたようで、その、け 怪とは、なんであったか。此の語の形態は、もののふ と同じ構成で、ふ について、け についての意味がある。
け について、気 を宛てると、時気 ときのけ と書いて、疫病を意味する例があり、け とは病気のことを指していたという解説がウイキペディアの項目にある。もののけ とは、もの によって生じる病気のことを指していたと見られ、枕草子にも、胸のけ 脚のけ もののけ の病気名がある。
次は、日本国語大辞典の引用である。
>もの‐の‐け 【物怪・物気】名〕
人にとりついて悩まし、病気にしたり死にいたらせたりするとされる死霊・生霊・妖怪の類。また、それらがとりついて祟ること。邪気。
*貞信公記‐抄・延喜一九年〔919〕一一月一六日「庚辰、依 病不 参、五節一人忽煩 物気 」
*延喜御集〔967~1000頃〕「東宮の女御はむまれ給てのち、うちはへ物のけにかくわづらひ給て」
*小右記‐永延元年〔987〕三月二九日「終霄風雨無 極、似 物恠 」
*枕〔10C終〕一八八・病は「病は 胸。もののけ。あしのけ。はては、ただそこはかとなくて物食はれぬ心地」
次は、ニッポニカの喜寿である。
>平安時代の文献にはよくこのことが記録されている。『紫式部日記』には、中宮のお産のとき、物の怪に対して屏風(びょうぶ)を立て巡らし調伏(ちょうぶく)したことが記されている。『源氏物語』葵(あおい)の巻に、「物の怪、生霊(いきすだま)などいふもの多く出で来てさまざまの名のりする中に……」とあり、また同じ巻に「大殿(おおとの)には、御物(おんもの)の怪(け)いたう起こりていみじうわづらひたまふ」などとある。清少納言(せいしょうなごん)も『枕草子(まくらのそうし)』のなかで、昔評判の修験者(しゅげんじゃ)があちこち呼ばれ、物の怪を調伏する途中疲れて居眠りをしたので非難されたことなどを記している(「思はむ子を」)。ほかに『大鏡』『増鏡』などにも物の怪の記述がみえ、これらは閉鎖的な宮廷社会での平安貴族の精神生活の一面を反映したものとみられる。