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国語文法論、日本語文章論12

2016-07-18 | 日本語文章
文が開かれた単位であり、文章が閉じられた単位であるとするのは、文法論の便宜である。言語の現象は常に、この喩えを用いるならば、開かれている、大海にたたえられた言葉である。そこにうちよせる波は風波ともあって、その波のラインは文のようである。波は続き、切れ、また続いては切れる。さて、その文が開かれているとするのは、言語に主体客体とを合一する現象を見るときに、その表現に見える主語述語を一体とするあらわし方と、主語述語を一体とするのを、体用の現象とみる表し方の違いにある。主語に文を統括する働きがあるのを、その述語との結びつきが述語と関係するほかの語よりも、主語が最優先であるとする捉え方に対して、体用の現象には必ずしも主語との結びつきをしめざず、いうところの目的語また客語との一体である。したがって、主語を結びつきに絶対とするのに、主語との結びつきに相対のひとつであると考え方であるから、閉じた体系となる主述語に、開かれた体系の体用の現象である。文が閉じた関係構成ならば、文章もまた閉じた関係構成であるので、日本語の文の閉じた関係を超えた特徴を見出そうとする

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文法論議は文法の分析対象とする言語の現象から単位を設定する。国語文法は文を設定した。のちに、語構成論、文章論をもってそれぞれの単位設定を行い、学校文法で単位に加えている。すなわち語、文、文章である。この単位に形態を勘案して形態素を設けて分析するのが現代日本語文法の学説である。学校教育文法に国語文法があり、ないいぽオン語教育文法に日本語文法がある。形態素を文法にとらえる文法の形態論は拠るべき学説によって、言語現象に文法単位を次のようにした。形態、語、句、節、文、段落、文章である。形態はモーフ、morphである。形態素morphemeが文法の表れをとる形式である。
文法単位は関係し構成して形態が語となり、語が句となり、句が節となり、節が文となる。文法論は文の単位をさらに関係構成して段落となり、段落が関係構成して文章となるとらえ方である。形態文法が統語文法へと文法を展開していくと、言語の現象が閉じられた体系として仮設される。国語文法論では文の構成をとらえることで最大文法単位としてきたが、それは、文法が品詞論と構文論で議論されていたからであるが、そこに文よりも大きい単位である文章単位を設けてきた経緯がある。しかし、国語文法論は、いわば、品詞論で語と文の構成を明らかにしてきた。文における職能である。したがって、文を最大単位とする文法は、日本語においては文章を最大単位とすることになり、文そのものは閉じら得た体系ではなく、文章そのものが閉じた体系であるとするべきである。



林 大

 なお,文法研究上で従来,文章法,文章論などと呼ばれてきた部門があるが,それはシンタクスにあたり,主として文法上の〈文〉の構造に関するもので,構文論などと呼ぶのがふさわしい。〈文章〉の構造の研究は,従来文法論の範囲では取り上げられなかったが,文法論の一部門とする考え方も現れている。
[林 大]




世界大百科事典

文章
ぶんしょう
一つの文(センテンス)またはある脈絡をもって二つ以上の文の連続したものが,一つの完結体として前後から切り離して取り上げられるとき,これを文章という。文もそれ自体完結したものではあるが,文章の脈絡の中においては,低次の部分をなすにすぎない。長い文章では,いくつかの文が部分的にまとまって段落をなすのが普通で,小さい段落が互いに結合しつつしだいに大きい段落をなして,ついに一つの文章をなす。その各段階の段落も,それ自身文章と見ることもできる。このような低次から最高次の文章へとまとめていく脈絡は,それぞれの段階での主題に導かれて,ついには文章全体としての一つの主題に統括されるわけである。

日本大百科全書(ニッポニカ)

文章
ぶんしょう
文がいくつか集まり、かつ、まとまった内容を表すもの。内容のうえで前の文と密接な関係をもつと考えられる文は、そのまま続いて書き継がれ、前の文と隔たりが意識されたとき、次の文は行を改めて書かれる。すなわち、段落がつけられるということであり、これは、書き手がまとまった内容を段落ごとにまとめようとするからである。この、一つの段落にまとめられる、いくつかの文の集まりを一文章というが、よりあいまいに、いくつかの文をまとめて取り上げるときにそれを文章と称したり、文と同意義としたりすることもあるなど文章はことばの単位として厳密なものでないことが多い。

これに対して、時枝誠記(ときえだもとき)は、文章を語・文と並ぶ文法上の単位として考えるべきことを主張し、表現者が一つの統一体ととらえた、完結した言語表現を文章と定義した。これによれば、一編の小説は一つの文章であり、のちに続編が書き継がれた場合には、この続編をもあわせたものが一つの文章ということになる。俳句、和歌の一句・一首は、いずれも一つの文章であり、これをまとめた句集・歌集は、編纂(へんさん)者の完結した思想があることにおいて、それぞれ一つの文章ということになる。
[山口明穂]


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