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言い間違いになるか、どうか

2014-02-02 | 新日本語百科
間が持たない、間が持てない、どちらが正しく、どちらが言い間違いか、間違った意味理解とされた、ハッカーに続いて、これがトップにあげられていた。どちらの用法も、意味が通じるし、使い分けもできる、というところで、正しいのは、間が持てない、ということらしいが、それがまた文化庁の国語世論調査の結果による話題へと展開する。詳しく論じるブログがあって、ほぼそこに述べられていることでつきている。要するに、どちらも同じ意味内容で、質問がその意味に当てはまる言い方を聞いているのだから、文化庁は例によってこれが正しいので、これを答えた人はパーセントとして示すだけで、間が持てないと言う使い方についての正しい説明はどうなのだろうか。まずこの誤用は打消しの表現であることに注意して、語用に及ぶことがある。間が持つ、間が持てる、として見て、慣用句に、間が持てない、として使われるから、その間を時間として意識することになる。気まずくて、間が持てないならば、それを何とかしようとして、間を持たせようとすると、やはりうまくいかない、間が持てないことから、間を持たせること、つまり間が持たないということが起こるのである。だから、あっさりと、間が持たせられないということで、間が持たないと使っている。言い間違いでもなんでもなく、間が持てないから、間が持たないのである。



デジタル大辞泉の解説
間(ま)が持(も)てない 【間が持てない】
1 時間をもてあましてどうしたらよいかわからない。「待ち時間が長すぎて―ない」
2 途切れがちの会話などを、うまくつなぐことができない。「無口な相手で―ない」
◆文化庁が発表した平成22年度「国語に関する世論調査」では、本来の言い方である「間が持てない」を使う人が29.3パーセント、間違った言い方「間が持たない」を使う人が61.3パーセントという逆転した結果が出ている。

大辞林 第三版の解説
まがもてない【間が持てない】
①することがなくて時間をもてあます。
②人との会話がとぎれて,気まずい時間ができる。




式のことば報道はよくない――「間が持てない」と「間が持たない」yeemar.seesaa.net#:#http://yeemar.seesaa.net/article/226333649.html
yeemar.seesaa.net/article/226333649.html‎
2011/09/17 - 調査項目のうち、「間が持てない」「間が持たない」を取り上げましょう。これは、どちらが誤用とも言いがたいものです。報道では、〈慣用句でも「間が持てない」を6割以上が「間が持たない」と誤って理解していることが分かった〉(「MSN産経 ...

きょうのことばメモ
飯間浩明のブログです。
日々の日本語に関するつぶやきを記します。

>調査項目のうち、「間が持てない」「間が持たない」を取り上げましょう。これは、どちらが誤用とも言いがたいものです。報道では、〈慣用句でも「間が持てない」を6割以上が「間が持たない」と誤って理解していることが分かった〉(「MSN産経ニュース」2011.09.15)と説明していますが、さあ、はたして「誤って」なのでしょうか。

まず、歴史的にどうだったかをたどってみます。『日本国語大辞典』には「間が持てない」の用例は出ていないので、いつ頃から使われたことばか、よく分かりません(この辞書では、文献に用例のあることばは、その例を載せています)。私の調べた範囲では、漱石・鴎外も、芥川も、太宰も使っていません。もともと、古くからの慣用句というほどではなさそうな印象を受けます。

ウェブの「青空文庫」では、戦後の例が出てくるだけです。

・三芳 (間が持てないで)君の家でも皆さん元気だそうだ。(三好十郎「猿の図」〔1947年〕)
・これは舞台の上でも或る意味で、間を黙つてる人物の「間」がもてないといふことを救ふことにもなるけれども、(岸田國士「対話」〔1949-50年〕)

私が検索したところでは、以上の2例が出てきました。

一方、「間が持たない」は「青空文庫」にはありません。「Googleブックス」で検索すると、中野重治(1902年生まれ)の「中国の旅」(1958年、『中野重治全集 第二十三巻』筑摩書房 p.414)の例が出てきます。

「堀田さん、ちよつときてくださいよ。僕らのところにオーストラリアの御婦人がひとりいるんですよ。何ということもないことはないんですが、どうにも、間がもたないんだ。郭さんは英語ができるらしいんですが、話すとなるとらくに行かぬらしいんですよ。頼みます、掘田さん……」(原典で確認)

三好十郎や岸田國士よりも若干遅れますが、まあ、「間が持たない」も、かなり前から使われています。

次に、文法的に考えます。「持てない」の肯定形「持てる」は、『日本国語大辞典』に〈保たれる。維持できる〉と説明されています。『浮世床』(1813-23年)に〈此上に飲ぢゃア身は持(モテ)ねへ〉とある「持ねへ」は、ちょうど「間が持てない」の「持てない」と同じ用法です。

ところが、「身が持てない」は、また「身が持たない」とも言います。ごくふつうの使いかたです。「持つ(保つ)」は、これも『日本国語大辞典』の語釈では〈長くその状態が継続される。維持される。保たれる〉だから、「身が持てない」「身が持たない」いずれも意味は通ります(歴史的な新古はともかく)。

「間が持てない」と「間が持たない」の関係も、これと同じです。「間が持てない」は「間が保たれない、間が維持できない」ということ、「間が持たない」は「間が維持されない、保たれない」ということであって、ニュアンスは違うけれど、両方とも理屈は通ります。世論調査では〈することや話題がなくなって、時間をもて余すこと〉をどう言うかを尋ねていますから、どちらを答えても「誤り」ではありません。

手元の小説の資料を見ると、作家の世代によって差があるのは事実です。戦後に活躍した作家はずっと「間が持てない」を使っていますが、「間が持たない」も徐々に現れます。上記の中野重治の例のほかには、野坂昭如(1930年生まれ)の長編『エロ事師たち』(1963年)にも見え、若い世代の村上春樹(1949年生まれ)、町田康(1962年生まれ)、三浦しをん(1976年生まれ)といった人々の作品にもあります。

世論調査では、さらに若い世代でこの傾向が強まっているという、おもしろい結果が現れています。それを単なる正誤の観点でまとめてしまっては、内容が浅くなります。

国語辞典の記述はどうかというと、私のたずさわる『三省堂国語辞典』を含め、「間が持てない」のみを載せる辞書が大部分です。これは、「間が持たない」を誤用と考えるからではなくて、この語形を見落としたり、軽視したりした結果と言うべきです。こうした中で、『明鏡国語辞典』は、新形の「間が持たない」のほうだけを載せているのは、現代語の辞書としてきわめて妥当です。

『明鏡』がせっかく「間が持たない」を載せても、報道でこれを「誤り」としてしまっては、辞書の利用者は混乱するでしょう。「なぜ『誤用』のほうを載せるんだ?」と『明鏡』の編集部に批判が殺到していないことを祈ります。くどいようですが、報道のしかたのほうが短絡的なのです。


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