戦争と文学 全20巻 集英社 創業85周年記念企画 別巻1 全巻を買った。
第1巻は、朝鮮戦争というタイトル。現代篇、ほか近代篇、テーマ篇、地域篇がある。
第1巻、2012年6月発行、この巻きは、第12回配本、その帯には、断という文字がある。
新しい視点で精選とあって、言の葉の集大成とうたう。20巻の配本を終えたばかりで、その1冊目を手にする。コレクションとあるが、戦争×文学には、何を表そうとするか。日本文学の歴史では、昭和文学にあって、日本の戦争に多くの文学者たちは抗することができなかったという苦い反省がある、はたして、コレクションが訴えるものはなんだろう。
戦争と文学の責任は、日本文学にとって課題である。それはいまだ解決を見たとは言えない。
次のようなサイトの言及がある。
文学者の戦中戦後責任
www.waseda.jp/bun-russia/dayori-016.html - キャッシュ
文学者の戦中戦後責任 ――自著『花咲ける孤独』を通して――. 重本恵津子. 大東亜戦争中に「詩歌翼賛運動」というものがありました。大政翼賛会宣伝部発行のB6判60頁ほどの仮綴、これが何巻も出されていて、1巻づつの初版が3万部です。扉には「この本 ...
> 大東亜戦争中に「詩歌翼賛運動」というものがありました。大政翼賛会宣伝部発行のB6判60頁ほどの仮綴、これが何巻も出されていて、1巻づつの初版が3万部です。扉には「この本をお読みになったら隣組やお友だちに回覧してください。これからは本でも、一冊を十人も百人もで読めるように工夫してください」と印刷してあります。この仮綴の中には当時、詩人として名を知られた人々全員が網羅されています。たとえば北原白秋は《とどろけよ、よろづよの道の臣、大御軍、いざふるへ、いくさびと....》という調子です。佐藤春夫は「大東亜戦争史序曲」と題して《勇猛果敢は相模太郎が膽、神速適確は源九郎が略、日本男子由来たたかひにくはし…》という調子で書いています。
尾崎喜八にも同じような蒼古調の詩があります。《わが戦ふは敵にして、この世にわれをうちほろぼし、地上よりわれを抹殺し去らんとするもの、実に即ちこの敵なり…》云々というものです。草野心平、三好達治、伊東静雄、室生犀星、西条八十、大木惇夫、壷井繁治その他多勢、戦意昂揚のための愛国詩を書いています。金子光晴はどういうわけか戦争中も反戦を貫いた詩人だと伝説になっていましたがとんでもない、しっかり書いています。櫻本富雄氏はこうした詩人たちの戦争中の表現活動を50年間検証し続け、今年5月、青木書店から『日本文学報国会―大東亜戦争下の文学者たち―』という500頁にわたる本を出されています。また昭和30年代には吉本隆明と武井昭夫が、『文学者の戦争責任』という本を書き、当分は戦争中の作品の暴露と責任追及が続いたのですが、やがて「いったい、手の汚れていない者が日本人にいるのか」という論義になり、次第に立ち消えになったようです。たとえば吉川英治はじめ高名な作家の全集から「撃ちてし止まむ」式の作品はすべて削除され、今ではまるでそんなことなんかなかったかのように、隠蔽され、若い人なんかもう本当に何も知らない社会が出来上がっているのです。
集英社「戦争×文学」編集委員の言葉
www.shueisha.co.jp/war-lite/editor/index.html - キャッシュ
戦争を知らぬ編集委員のみによる戦争文学全集の刊行は、わが国においてはむろんのこと、おそらく世界で初めての試みではあるまいか。ゆえに意義は深く、責任の重い大仕事であった。収録作の多くは表現の不自由な時代に書かれ、また道義的制約のもとに ...
サイト検索していると、この文学全集の編集の言葉を見ることができる。
http://www.shueisha.co.jp/war-lite/editor/index.html
第1巻は、朝鮮戦争というタイトル。現代篇、ほか近代篇、テーマ篇、地域篇がある。
第1巻、2012年6月発行、この巻きは、第12回配本、その帯には、断という文字がある。
新しい視点で精選とあって、言の葉の集大成とうたう。20巻の配本を終えたばかりで、その1冊目を手にする。コレクションとあるが、戦争×文学には、何を表そうとするか。日本文学の歴史では、昭和文学にあって、日本の戦争に多くの文学者たちは抗することができなかったという苦い反省がある、はたして、コレクションが訴えるものはなんだろう。
戦争と文学の責任は、日本文学にとって課題である。それはいまだ解決を見たとは言えない。
次のようなサイトの言及がある。
文学者の戦中戦後責任
www.waseda.jp/bun-russia/dayori-016.html - キャッシュ
文学者の戦中戦後責任 ――自著『花咲ける孤独』を通して――. 重本恵津子. 大東亜戦争中に「詩歌翼賛運動」というものがありました。大政翼賛会宣伝部発行のB6判60頁ほどの仮綴、これが何巻も出されていて、1巻づつの初版が3万部です。扉には「この本 ...
> 大東亜戦争中に「詩歌翼賛運動」というものがありました。大政翼賛会宣伝部発行のB6判60頁ほどの仮綴、これが何巻も出されていて、1巻づつの初版が3万部です。扉には「この本をお読みになったら隣組やお友だちに回覧してください。これからは本でも、一冊を十人も百人もで読めるように工夫してください」と印刷してあります。この仮綴の中には当時、詩人として名を知られた人々全員が網羅されています。たとえば北原白秋は《とどろけよ、よろづよの道の臣、大御軍、いざふるへ、いくさびと....》という調子です。佐藤春夫は「大東亜戦争史序曲」と題して《勇猛果敢は相模太郎が膽、神速適確は源九郎が略、日本男子由来たたかひにくはし…》という調子で書いています。
尾崎喜八にも同じような蒼古調の詩があります。《わが戦ふは敵にして、この世にわれをうちほろぼし、地上よりわれを抹殺し去らんとするもの、実に即ちこの敵なり…》云々というものです。草野心平、三好達治、伊東静雄、室生犀星、西条八十、大木惇夫、壷井繁治その他多勢、戦意昂揚のための愛国詩を書いています。金子光晴はどういうわけか戦争中も反戦を貫いた詩人だと伝説になっていましたがとんでもない、しっかり書いています。櫻本富雄氏はこうした詩人たちの戦争中の表現活動を50年間検証し続け、今年5月、青木書店から『日本文学報国会―大東亜戦争下の文学者たち―』という500頁にわたる本を出されています。また昭和30年代には吉本隆明と武井昭夫が、『文学者の戦争責任』という本を書き、当分は戦争中の作品の暴露と責任追及が続いたのですが、やがて「いったい、手の汚れていない者が日本人にいるのか」という論義になり、次第に立ち消えになったようです。たとえば吉川英治はじめ高名な作家の全集から「撃ちてし止まむ」式の作品はすべて削除され、今ではまるでそんなことなんかなかったかのように、隠蔽され、若い人なんかもう本当に何も知らない社会が出来上がっているのです。
集英社「戦争×文学」編集委員の言葉
www.shueisha.co.jp/war-lite/editor/index.html - キャッシュ
戦争を知らぬ編集委員のみによる戦争文学全集の刊行は、わが国においてはむろんのこと、おそらく世界で初めての試みではあるまいか。ゆえに意義は深く、責任の重い大仕事であった。収録作の多くは表現の不自由な時代に書かれ、また道義的制約のもとに ...
サイト検索していると、この文学全集の編集の言葉を見ることができる。
http://www.shueisha.co.jp/war-lite/editor/index.html