定年、停職年齢、リターイアーを55歳時代は、そうならなくなった60歳定年の1998年から以前となる。それは何によっているか、高年齢者雇用安定法という法律らしい。1994年の改正、その施行時期となる。その結果、企業によって65歳に定年を取り決めるのは、ここ数年動向となる。1994年に60歳となって、それからの10年ばかりに変わってきた。
https://allabout.co.jp/gm/gc/463234/
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1986年「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律」(=以後「高年齢者雇用安定法」とする)の改正で60歳定年が努力義務に、1994年の改正で60歳未満定年制が禁止(1998年施行)されました。これが60歳定年の始まりです。
その後も「高年齢者雇用安定法」が改正され、2012年の改正「原則希望者全員の65歳までの雇用を義務化」により、働きたい人は65歳まで働くことができる環境が整いました。
「高年齢者雇用安定法」の改正の推移
1986年 「高年齢者雇用安定法」で60歳定年を努力義務化
1990年 定年後再雇用を努力義務化
1994年 60歳未満定年制を禁止(1998年施行)
2000年 65歳までの雇用確保措置を努力義務化
2004年 65歳までの雇用確保措置の段階的義務化(2006年施行)
2012年 希望者全員の65歳までの雇用を義務化(2013年施行)
65歳定年が増えているといっても、定年制を導入している常用労働者1000人以上の企業の9割は60歳定年です。現時点の定年年齢の平均は60歳になりますが、次のように65歳定年を導入する大手企業が増えています。
ホンダ:2017年65歳定年制を導入。
日本ガイシ:2017年65歳定年制を導入
太陽生命:2017年65歳定年制と最長70歳までの継続雇用制度を導入
明治安田生命:2019年に65歳定年制を導入する方向で労働組合と調整中。
日本生命:2021年65歳定年制を導入する方向で労働組合と調整中。
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人生は節分
2008年02月03日02:04
春の訪れだ
節分は季ごとにあるけれど
春夏秋冬を草木と生きる
人々にはこのおとずれが待ち遠しい
人生は鬼が出るか福が来るか
豆をまいて鬼やらいの厄払いをするか
ことほどさように鬼とはどこにひそむか
節分行事は笑いとともに気を運ぶ
ついな召しのじもく
>12月晦日の追儺の儀式の時に行われる除目
春の県召の除目
秋の司召の除目に漏れた人を任じた
追儺の除目とも
除は前官を除いて新官を任ずる意味
目は目録に記すことを意味
追儺とは、大晦日、12月30日 、旧暦の宮中の年中行事であり、平安時代の初期頃から行われている鬼払いの儀式
鬼やらい(鬼遣らい、鬼儺などとも表記)
儺(な)やらい、とも呼ばれる
追儺とはもとは中国の行事であり、この行事が日本に輸入され、ついに宮廷の年中行事となった
>平安時代の宮中の追儺の儀式を簡単に説明すると
戌の刻(午後八時頃)から始められ、天皇は紫辰殿に出御
まず、陰陽師が祭文を読み、次に童子二十人ほど従えて、鬼払い役の方相氏が登場
黄金の4つ目の怖い面をつけた方相氏、主役の祓い役が矛と盾を持ち、その矛を地面に打ち鳴らしながら、鬼やらい、鬼やらい、と大声で唱えながら、宮中を歩き回り、目に見えない疫鬼を内裏の四門に追い回し退散
殿上人たちが桃の弓と葦の矢を持って続き
今年は学科主任と専攻主任がやってくる
専攻はあと2年で終える
学科はあと2年で変わる
いつものごとくクローザー、苦労さー、だな
研究会、古い昔のメンバーの新年会だ、大阪に出かけてきた
先生を囲む会と称して、御大は84歳になられたよし
そうするとこちらも長いもので、ゆうに25年を3年ほど超えて
年よりのメンバーとなって、筆頭格になってしまった
先生は弱られて足腰が動くうちのつもりだろう
幕引きにしたいなどとおっしゃってそれを聞き逃さず
間髪を得ず、すかさず、米寿のお祝いまでも傘寿までもと
申し上げるも年の老いたものの役目だろうに
愛知大に11年、豊橋技術科学大に11年、そして愛知淑徳大に8年を経て
飯が食えうようにしてもらったのは恩師のおかげである
今でこそ博士導師の仕事にあと幾年を数えて定年かと思うこのごろだが
自らの齢を重ねた感懐は先ゆくを見るからこそ未だしの歩みである
そうとも言えない3時間近くの宴であった