0706 梅雨に、中休みに、昨日に続く、蒸し暑い日だった。この梅雨時期に土砂降りとなるのはとてもおそろしい。線状に動く降雨量のすさまじさに、梅雨が重なるのは天と地にご勘弁を願いたい。梅雨時期でなければいいのかということではない。危険級とは偏西風と高温海水の複雑な寄り合いで日本列島がその土壌に合うような地域になってしまうのは、人災のなせることというめぐりあわせを対応していかなければならない。台風があるでしょうに。
この77年は平和の思想に生きてきた。自らが自覚するものではない。敗戦の混乱と特需景気の復興、そして米国庇護のもと、20世紀に平和があったとは、平和思想を唱える日本の1945年以降のことになる。平和主義という、平和憲法という、非戦、非核、非武装、非暴力の言葉が思い浮かぶ。
新札の肖像に見える、そのサイトで次の文章を掲げる。
戦後の政治や社会の混乱に心を痛めた渋沢翁と見える、日清日露の戦争後、日本国際連盟協会を作り、推されて会長に就任とある。大正十年、82歳の翁の演説とか。
>翁は自ら「私は平和論者であります」と前置きして、武力によって他国を制圧することに反対し、日清・日露戦争を「忌まわしい戦争だ」として「戦争を喜ぶということは人類のもっとも恥ずべきことである」と言います。また戦争をしないためには「軍艦を造るよりも、台場を築くよりも、飛行機よりも、潜水艇よりも、国際連盟が必要である」と述べます。さらに軍国主義化する政府の外交方針を厳しく批判し、中国問題では「山東省の処分および漢口の駐屯兵の廃止を早くなさらぬと、中国の日本人排斥はいつまでも続く」と警告しました。最後に現在の我が国が「甚だ憂慮すべき」状況にあり、政府や霞ヶ関だけに外交を任せられないと言い、国際連盟が「完全なる機関となるよう」「我々国民の奮発すべき時機到来」したので、この協会への参加は「諸君の義務」ではないかとも述べました。
https://www.city.fukaya.saitama.jp/shibusawa_eiichi/shokai/story/1400203334044.html
26.平和思想に学ぶ 更新日:2023年03月27日