日本哲学3
日本語には言葉が先にあった、その前に、ことばは文字になかったので、日本語ではまず、漢字が先にある、はじめに文字ありきではなかったのである。言葉の探究は、漢字と、漢語から、これは日本語になるかならないかを考える。
哲学の語について、ウイキペディアでは、
> 「士希賢」(士は賢をこいねがう)との文言があり、ここから「希哲学」の語が生まれ、中国西学が<Philosophy>の訳語として転用したものを西は採用し、さらにこれを変形させて(「希」の省略)、「哲学」とした
と説明する。しかし、この語句は、賢をねがう、宋学での捉え方であるから、儒教にある教えである。したがって、ここをもって、上記の訳語との出典とはならない。その原文を次に引用する。
ウイキ―ソースによって、維基文庫には、「聖希天,賢希聖,士希賢。」『通書」に、この語句が見える。
>志學第十
聖希天,賢希聖,士希賢。伊尹、顏淵,大賢也。伊尹恥其君不為堯、舜,一夫 不得其所,若撻於市。顏淵「不遷怒,不貳過」「三月不違仁」。志伊尹之所志,學顏子之所學。過則聖,及則賢,不及則亦不失於令名。
通書
>中国の儒家書。一巻。北宋の周敦頤(しゅうとんい)撰。旧称「易通」。哲学・倫理上の問題事項を解釈、「太極図説」の理論の応用を示したもの。誠・聖・道などを主題とした四〇編から成り、易経・書経・礼記・孟子などの思想を取り入れている。
出典 精選版 日本国語大辞典
https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%80%9A%E6%9B%B8#.E5.BF.97.E5.AD.B8.E7.AC.AC.E5.8D.81
通書 作者:周敦頤 北宋
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志學第十
聖希天,賢希聖,士希賢