Q:「私が」は「私は」よりも「私」が強調されているように感じるのはなぜか。―― わたしは という語法は、取り立て、強調という文法機能を説明する。それは係り受けの用法でもあったから、わたしは なにか どうするか どうなのかと、そういう問いかけに対応する用法でもあったが、言語主体が自らを指し示しての言い方は普通の言い方になると、わたしは との表現に、取り立て強調による話題を持たせない言い方となる。つまり、ニュートラルな用法として は の用法が話題の持ち出しになることがわかる。わたしは と言えば、自分のことで、ふつうに物言いをしているのである。わたしが という語法には、語の関係性を求める次の表現となるものを示す、その語法で、例えば動詞が要求されて、主格であるから、わたしが どうする なにをどうする という言い方を表わしている。そこには聞き手のとらえ方でいうと、が という響きの強いこともありそうである。は に、ニュートラルな意味を捉えるとすれば、それは、が に対する強調用法が対比されることになる。わたしは たべる わたしがたべる この違いにおいて、わたしは いまここにいる自分をふつうにみるのである、わたしが いまここにいる自分を指示してほかの誰でもない自分が行う、という表現法となる。
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