万代橋(よろずよばし 那珂川 国道349号線)
昭和61年におこった那珂川の大洪水をきっかけに建設されて平成5年開通した橋だそうです。2本の主塔からそれぞれ12本ずつのワイヤーロープが橋桁をつるす、斜張橋というタイプのようです。以前はこの橋のすぐ下流に棚倉街道の青柳の渡しがあったそうで、さしずめ、万代橋は現代の青柳の渡しということなのでしょう。
境橋(さかえばしと橋柱にあります 新川 渋井町)
吉沼町と渋井町の境にあるのでいうようです。水戸方言で「さかえ」というのでしょう。すぐ近くに渋井町緑地があり、ここは江戸時代、刑死した罪人を葬った場所だったそうで、そのためでしょう、地獄橋ともいわれていたそうです。
八幡橋(桜川 県道30号線)
河和田の吉田神社脇にあるかつての塩街道にかかってます。吉田神社は、はじめ八幡神社だったそうですが、徳川光圀によって吉田神社に改称されたそうです。八幡橋は、その名前を残した橋名であるようですが、神社にゆかりの軍配団扇を残した源義家が八幡太郎といわれたため、その八幡の名を付けたという説もあるようです。八幡橋というバス停もあります。矢印は八幡橋と書かれた橋柱です。
美都里橋(桜川 市道駅南4号線(逆川との合流点すぐ下流))
徳川斉昭のとき、千波湖を南北に渡る新しい橋を計画し、それとともに千波湖南岸に武家屋敷建設を計画したようですが、埋め立ての道や橋はできたものの屋敷はそのままになってしまったそうです。その橋が今の美都里橋の初めで、その後、明治になって、180m位の木橋がつくられたりしたそうです。大正から昭和初期の千波湖干拓で、千波湖の2/3が埋め立てられて、橋は位置を移して今の地に移ったようです。以前は水戸里橋と書かれたようですが、今は美都里橋と書くようです。昭和47年の竣工です。
常陸山橋(備前堀 市道浜田91号線)
酒門の共有墓地に墓参りに来た19代横綱・常陸山が老朽化した橋をみて、直そうという話をして帰ったまま年が経ってしまい、地元では常陸山小便橋といわれていたそうですが、忘れたころになって、今の橋の前にあった、コンクリート製の橋が寄贈されたそうです。別の文献によると、遺族が寄贈したともあります。もしかすると、忙しい常陸山は忘れてしまって、後でそれを知った遺族が約束を果たしたということだっかのかも知れません。今の橋には相撲とりや軍配のデザインがほどこされています。