ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸市制百周年の記念物

2022-04-30 20:04:40 | 水戸

 平成1年は水戸市制100周年の年だったそうです。それを記念して、市だけでなく、いろいろな団体もその記念物をつくったようです。ぶらっと歩きで見かけたそれらのいくつかです。

 

竜頭共用栓(本町36°21'53.7"N 140°29'27.0"Eあたり)
 徳川光圀が完成させた笠原水道の記念碑として、明治になって水道栓として数多く作られた竜頭水道栓を、市制100周年事業の一環として復元したそうです。

 

常陸山(堀原運動公園 新原2-11-1)
 横綱在位11年間で83勝10敗17引分け2預りという成績を残したという、水戸出身の横綱・常陸山の像が、市制100周年の記念として堀原運動公園の建てられたようです。製作は山崎猛です。

 

母と子(水戸市総合運動公園 見川町2256)
 水戸商工会議所婦人部が結成20周年に、小鹿尚久作の母と子という像を、水戸市総合運動公園に、市制100周年を記念して設置したようです。

 

さわらび(ファミリーマート水戸駅北口店(宮町1-1-1)前)
 水戸ライオンズクラブ25周年に、これもたぶん小鹿尚久の作品であろう、「さわらび」という像が、水戸駅北口ペデストリアンデッキ上に建てられたようです。

 

100周年記念共同宣言(水戸市役所 中央1-4-1)
 市制施行100年共同記念事業事業連絡協議会が作成した、共同宣言プレートのようです。ここには、協議会39市の名前も記されています。市役所に展示されていました。 

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水戸の地名の由来(10)

2022-04-29 20:03:58 | 水戸

 城東以外は、今はない旧地名です。

 

赤沼
 鉄分の多い赤い色をした沼があったのでついた名前のようです。今はないので埋め立てられたのでしょう。ここには、獄舎があり、幕末争乱時代、悲しい舞台の一つだったようです。今の城東2・3・4丁目、東台2丁目あたりのようです。

 

一ノ町(いちのちょう)
 もとは内川崎とよばれていたそうですが、元禄3年に一ノ町と名付けられたそうです。南北に並ぶ3つの道路にそって、一ノ町から三ノ町の名前がその時つけられたそうです。城に近い方から番号がついているようです。㈱トッパンプロスプリント(城東1-6-1)の東側のようです。

 

桜町
 水戸藩初期にこのあたりに多くの寺を移築したので、上寺町といわれたそうです。寛永6年(1629)に、それらをさらに移して、武家地にしたそうです。桜の木が多いので桜町といわれたようです。崖下には、徳川斉昭夫人吉子がもたらした桜の木があったそうです。現在の金町2、3丁目あたりのようです。

 

渋井町
 このあたりも水が悪かったようで、鉄分を含んだ渋い水にちなんだ名前のようです。嘉元4年(1306)の吉田神社文書に「社領志太尻(したじり)村渋江5反」とあるそうで、この頃は、渋江といっていたようです。写真は旧渋井村の村社だった鹿島神社です。

 

城東
 昭和45年の住居表示法施行によってつけられた地名だそうです。1丁目には城の堀があり、1丁目と2丁目の境には桜川の那珂川流入点があったそうです。それらは、明治以降埋め立てられて平地になったようです。その他の住居可能地は、江戸時代、武家地だったそうです。

水戸の地名の由来(9)

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水戸で見られた木の鳥居(6)

2022-04-28 19:22:55 | 水戸

 鳥居は、神社の神域の入口をあらわし、結界の意味があるそうです。徳川光圀は、通りがかりで神社に寄るときは鳥居をくくらず、参詣のときは潔斎して衣冠を整えて鳥居をくぐったそうです。

 

大山阿夫利(あふり)・富士浅間神社(下入野町富士山36°18'36.0"N 140°31'11.3"Eあたり)
 下入野町の崖上にある石祠にある、小ぶりな木の落居です。神社は、鳥居に対して崖下の田園地帯を眺めるような感じで、後ろ向きに建っています。写真鳥居の奥が崖で、少し手前に石祠があります。

 

六所神社(大串町723)
 前後に控え柱を建てた両部鳥居です。神仏混淆だった神社に多く見られる鳥居だそうで、権現鳥居ともいうそうです。六所神社は、大串稲荷神社近くにある、6神を祀った小さな神社です。

 

水神(圷大野36°21'46.9"N 140°32'16.8"Eあたり)
 このあたりは、那珂川の洪水対策のために、堤の内側になった地区です。すでに家は移転したようですが、この神社は屋敷神ではなかったので、残ったのでしょうか。現在の圷大野バス停の近くにあります。背後はすぐ那珂川です。

 

鷲の宮稲荷神社・稲荷三明神(大場町)
 稲荷三明神は、「学問」「武術」「農興」の3神のようで、そのほかに、「火の神」「氏神」「水の神」も祀られていました。私祭の神社のようです。鳥居は、社のある小高い山に登る参道の途中にありました。

 

屋敷神(大町)
 屋敷神のようですが、堂々とした木の鳥居が神前に建っていました。

水戸で見られた木の鳥居(5)

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水戸の手水鉢(8)

2022-04-27 19:21:57 | 水戸

  今回は、奉納年が分かる手水鉢です。

 

千波神社(千波町503)
 「奉上 元文二年(1737)十二月吉日」とあります。手水鉢では、奉上、奉献を中心書いて、左右に年月を分けて書くというこの手水鉢のような書式が一般的なようです。

 

有賀神社(有賀町1032)
 「奉上 安永九(1780)庚子(かのえね)九月吉日」とあります。そのあとに武士らしい名前が刻まれています。一部が割れたようで、今は使われていない古い手水鉢です。

 

住吉神社(東前2)
 「奉上御宝前 寛政十二(1800)庚申 二月吉日東前村中」とあります。これもひびが入ったせいか、今は使われていないようで、上に蓋が置かれています。この年に徳川斉昭が生まれています。

 

田野不動尊(田野町662-1)
 「堀壇中 享和壬戌(じんじゅつ)冬」のように見えます。壬戌は、享和2年(1802)です。「堀壇」に自信がないのですが、たぶん、堀という坪の檀家中という意味なのではないかと思います。変わった形の自然石を使っているようです。

 

折居神社(塩崎町折居1)
 「奉献 享和三年(1803)癸亥(きがい)六月十五日」とあり、あとに願主と「当村氏子中」が刻まれています。これには珍しく十五日という日にちが記されています。そうとうひびが入ってきていますが、よくもっているといった感じの手水鉢です。

水戸の手水鉢(7) 

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水戸の子供アート(2)

2022-04-26 20:08:19 | 水戸

 子供アートをあちこちで見かけます。増えてきているようですが、もっとずっと増えてもいいのでしょう。そのうちに大人しろうとアートも普通に見ることができるようになっていくのでしょう。

 

護国神社(見川1-2-1)
 自分で絵も描いた見川幼稚園の園児たちの絵馬がたくさん並んでいました。これも子供アートの一つでしょう。水戸八幡宮にも子供絵馬がありました。

 

常陸山誕生の地碑付近(城東36°22'20.1"N 140°29'24.7"Eあたり)
 相撲の絵を、城東小学校各学年に一人ずつ選んで飾ったようです。手前に見えるのは土俵形の花壇で、左手に常陸山像があります。

 

水戸南IC下トンネル内(元石川町36°19'47.5"N 140°29'20.5"Eあたり)
 ハイウェイギャラリーという名前で、高速道下のトンネル内に酒門小学校生徒による6枚の壁画がありました。これは学年ごとに1枚ずつ共同製作した大作のようです。

 

ハミングパーク水戸(本町1-8-2)
 施設の窓に、内側から子供たちが描いた絵です。下の方を幼い子たちが、上方を年長の子たちが描いたようです。年長の子たちは、順序を逆に描かなければいけないことがわかって描いているようです。なかなか面白い試みだなとと思いました。令和1年の写真です。コロナのせいか、その後見ることはありません。

 

MEGAドン・キホーテ上水戸店(上水戸2-9-10)
 渡里幼稚園の園児の手形アートがドンキホーテの外壁に展示してありました。これは幼稚園の先生の作といった方がいいのでしょうが、なかなか上手でした。ほかに手形の花や鳩の絵もありました。

水戸の子供アート(1)

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