ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の釜(2)

2024-10-02 21:31:08 | 水戸

釜井戸(飯富町36°25'58.1"N 140°24'55.5"Eあたり)
 大井神社三井戸の一つだそうです。加満井とも書いたようです。初代・那珂国造(なかのくにのみやつこ)だった建借馬命(たけかしまのみこと)が、旱魃に苦しむ住民を救うためにこれらの井戸を掘ったという伝説があるそうです。なお、大井神社は建借馬命を祀っているそうです。

 

神事の釜場(水戸八幡宮 八幡町8-54)
 写真は元日に撮りましたが、神事のおこなわれるのが1月4日なので、まだ釜はのっていませんでした。神事当日には、釜の若水を煮えたぎらせて、榊葉で参列者に湯を振りかけて邪気を払うそうです。

 

農家庭の釜(杉崎町)
 杉崎町の農家の庭に釜が出ていました。写真は9月なので、味噌造りの大豆を炊くためなのかもしれません。まだ現役の釜のようでした。背後に組亀甲の土蔵壁が見えます。

 

吉田神社の釜(宮内町3193-2)
 吉田神社では、古い釜を植木鉢として使っているようでした。釜にも第二の人生があるようです。

 

天水受けの釜(神応寺 元山町1-2-64)
 神応寺では、寺社屋根の雨水を受ける天水受けに釜を使っていました。

水戸の釜(1)

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水戸の印(いん)

2024-10-01 21:43:14 | 水戸

台渡里官衙遺跡長者山地区出土(渡里町)
 昭和61年に渡里町の畑から出土した、8-9世紀に作られた青銅製の印だそうです。文字や使途についてはわかっていないそうです。個人から寄託されたもののようです。

 

弘道館(三の丸1-6-29)
 「弘道館印」と彫られているようですが、「道」の字が読めません。ネットで見ると、篆字(てんじ)でこういう「道」の書体があるようです。徳川ミュージアムでも同じ印が展示されていました。蔵書印などとして使われたようです。

 

水高(第一中学校水高資料展示室 東原3-1-1)
 旧制水戸高等学校(水高)は、茨城大学の前身だった学校の一つだそうです。写真は、その図書館で使われた印鑑のようです。水高建物の多くは昭和20年の戦災で焼けたそうですが、図書館書庫は戦災を免れたそうで、焼け残った蔵書は茨城大学へ引き継がれたそうです。

 

中村光哉(水戸市立博物館 大町3-3-20)
 市立博物館で、染色作家・中村光哉の作品展が去年開催されて、この「光哉」という印鑑も展示されていました。ほかにもう2つの印もありました。1960年代の作品から印章が用いられていると解説にありました。 

 

ご朱印(吉田神社 宮内町3193-2)
 最近、参拝しながらご朱印集めをするのが盛んなようです。吉田神社では、自社のご朱印とともに、祭りを吉田神社でおこなう、兼務社という、いくつかの神社のご朱印も写真のように捺しているようです。銭谷稲荷(浜田町150)、金山稲荷(元吉田町1429)、金刀比羅(白梅4-7-16)、水戸(笠原町994)、八坂(本町3-6-29)の各神社があるようです。兼務社で、小さな神社はもっとあるようです。

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水戸の好文

2024-09-30 21:35:43 | 水戸

 好文亭は、徳川斉昭が、好文木という梅の異名を名前にしたのだそうです。その「好文」という言葉はあちこちで使われているようです。

 

好文亭(常盤町1-3-3)
 好文木は、晋の武帝が学問に親しむと花が開き、怠ると開かなかったという故事から来た言葉だそうです。一張一弛の「一弛」の部分である偕楽園で、学問に関係した名前をつけるのもどうかと思いますが、たくさん植えられていて花の楽しめる梅の方に力点をおいたのでしょう。

 

好文橋(36°22'06.9"N 140°26'43.1"Eあたり)
 たぶん、ここから好文亭が見えるのでつけられた名前なのでしょうが、桜川にかかる橋です。平成3年の竣工で、画家の松平雪江による、常盤公園攬勝(らんしょう)図誌(明治18年出版)という偕楽園などの風景をまとめた本にある好文亭の遠景を含む風景画パネルがつけられています。

 

好文カフェ(千波町3080)
 千波湖畔にあるカフェです。白黒の白鳥シュークリームは、話の種になりそうです。屋上から見た千波湖の眺めはなかなかなものです。ギャラリースペースではときどき作品展示がおこなわれているようです。

 

好文亭表通り(36°22'35.6"N 140°27'00.8"Eあたりと36°22'43.7"N 140°27'29.6"Eあたりの間)
 通りの名前にも好文が使われています。写真は偕楽園の表門に通じる道路です。写真のあたり(36°22'35.6"N 140°27'00.8"Eあたり)は梅林坂というようです。また、好文橋のある道路(市道千波・御茶園線)は、好文橋通りというそうです。

 

好文碑(緑岡高校 笠原町1284)
 昭和57年度卒業生が寄贈した、8代篠田校長の書による「好文」の石碑がありました。

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水戸のペア

2024-09-29 22:26:50 | 水戸

ヒドリガモ(千波湖)
 ヒドリガモのつがいです。ヒドリガモの雌雄は外観を見るとわかるようで、写真右がオスのようです。

 

雛人形(水戸市立博物館 大町3-3-20)
 享保年間(1716-36)に京都で生まれて広がったという、享保雛のお内裏様です。童謡の「お内裏様とお姫様」という表現は間違いで、お内裏様は男雛と女雛をいう言葉だそうです。異論はあるそうですが。作詞したサトウ・ハチローは子供が歌うと、嫌な顔をしたと何かで見ました。水戸市立博物館の「水戸城下の雛まつり」に飾られていました。

 

仁王(仏性寺 栗崎町1984)
 仏を守護する神だそうです。金剛力士ともいわれ、サンスクリット語ではヴァジュラダラといって、「金剛杵(こんごうしょ)を持つもの」という意味がある言葉だそうです。口を開いた阿形(あぎょう)、口を閉じた吽形(うんぎょう)で一対になっているようです。山門内に置かれる場合が多いようですが、写真の仏性寺にある仁王は石製で、門外に置かれています。水戸の指定文化財だそうです。

 

狛犬(回天神社 松本町13-33)
 神社の参道などに置かれる狛犬は、寺社を守る霊獣だそうです。狛犬でも阿形、吽形なっている場合が多いようです。かつては、向かって右側が獅子像で阿形、左側が狛犬で古くは角のある吽形だったそうです。

 

ボチ(日吉神社 酒門町36°20'32.2"N 140°29'32.8"Eあたり)
 かつて、年末に神社で恵比寿・大黒の一対を授かって各家では棚に飾ったようです。年が終わって返却された恵比寿大黒像が、今も境内に残って並んでいることがよくあります。

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水戸のお札に書かれた言葉

2024-09-28 05:35:16 | 水戸

  道かどに立てられるお札には、特有な言葉が使われているようです。そのいくつかです。

 

御璽(筑地町36°22'08.3"N 140°22'46.4"Eあたり)
 加波山神社のお札です。「ぎょじ」と読むと天皇の印章ということになりますが、「みしるし」と読むようです。お札は神の力が宿る「御印(みしるし)」ということのようです。

 

神璽(春日天満神社 下国井町1574 )
 春日神社境内にある、春日天満神社のお札です。璽は、天子の印という意味のようですが、神様の印という意味でも使われるようです。

 

太告刀祈攸(下入野36°19'07.7"N 140°31'13.9"Eあたり)
 鹿島神社のお札です。「ふとのりと きゆう」と読むようです。太告刀(ふとのりと)の「太」は美称で、「告刀」は祝詞(のりと 神に対して述べる言葉)だそうです。祈攸(きゆう)は、祈るところという意味だそうです。

 

御祈祷大祓(五平町)
 愛宕神社のお札です。「ごきとうおおはらい」と読み、御祈祷は神様に祈りをささげることで、大祓は身についたけがれを払うことだそうです。

 

牘(大場町36°19'32.7"N 140°31'08.1"Eあたり)
 長福寺のお札です。牘は、音読みは「とく」ですが、訓読みは「ふだ(札)」のようです。大般若経という600巻のお経を、パラパラと転読することによるごりやくを配るお札ということなのでしょう。

水戸のお札(5)

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