光明真言百万遍の碑をご紹介してきましたが、光明真言供養塔もたくさん見ることができます。その多くは、丸形碑の上方に光明真言の梵字24字を丸く刻み、下方の中央に光明真言供養塔と大書して、その左右に建碑年月日が刻まれるという形が一般的なようです。飢餓や疫病流行の年に救いを光明真言に求めて供養塔を建てたとしている解説書がありました。
光明真言塔(経塚共同墓地脇 河和田市民運動場(河和田町3438-3)隣)
天明3年(1783)とあります。この年は浅間山の噴火があり、天明の大飢饉に襲われます。
天明3年(1783)とあります。この年は浅間山の噴火があり、天明の大飢饉に襲われます。
奉唱光明真言供養塔(堀あさひこども園(堀町209-1)脇)
文政10年(1827)とあります。西原坪講中ともあります。念仏講のようなものが建てたのでしょう。
供養塔(宿坪墓地 香積寺(渡里町111)隣)
文政13年(1830)とあります。これは光明真言の文字がありませんが、上の梵字をその代わりにしているのでしょう。下方に講中安全ともあります。
川の名前を冠した橋をあちこちで見かけます。その川の代表的な橋というものもあるのでしょうが、早いもの順などでついた橋名もたぶんあるのでしょう。
石川川橋(国道6号線酒門町信号北東約300m)
かつては、川の水源あたりに刑場があったため、「石川川の水飲むな」ということわざがあったそうです。
かつては、川の水源あたりに刑場があったため、「石川川の水飲むな」ということわざがあったそうです。
内川橋(青柳町那珂川河川敷 あいずや(青柳町223-6)あたりから河川敷へ)
那珂川への合流点に近いところにある橋です。すぐ上流に前田川との合流点にかかる出合橋があります。
桜川橋(有賀町 ニュートラルカフェ(大足町1936-3)脇)
4本の橋柱に桜の字がいろいろな字体で書かれています。別に、那珂川との合流点近くに、新桜川橋もあります。
逆川橋(千波町県道50号線 ハッシン(千波町748)近く)
ここは逆川が曲がっていて、県道に合流する市道にかかる船付橋(写真手前)もあります。
境川橋(外岡自動車整備工場(上河内町147)西方約200m)
400mくらい下流で那珂川に合流しています。先日の那珂川洪水は、このあたりの田畑一帯にまで及んでいたようです。
400mくらい下流で那珂川に合流しています。先日の那珂川洪水は、このあたりの田畑一帯にまで及んでいたようです。
手子后神社(元石川町1728)
茅葺きの寺社もほとんどなくなってしまっているようですが、ここでは本殿が茅葺きです。鳥除けのためらしい網が掛けられていてます。
茅葺きの寺社もほとんどなくなってしまっているようですが、ここでは本殿が茅葺きです。鳥除けのためらしい網が掛けられていてます。
西大野の民家
水戸で極めて稀少な茅葺き民家で、曲がり屋のように見えます。倉庫として使われているようですが、そうとう痛んできているようです。
茨城県立歴史館(緑町2-1-15)
行方郡牛堀町(現・潮来市)にあった、茂木家」の住宅が寄贈され、移築されてきたのだそうです。江戸時代中期に建てられた、県南の特徴をもった古民家だそうです。
茨城県立歴史館(緑町2-1-15)
那珂郡山県町(現・常陸大宮市)の菊池家で使用されていた2階建ての水車小屋だそうです。中には4つの石臼があるそうです。これも寄贈されて水戸に移築されたようです。
偕楽園(常盤町1-3-3)
好文亭の茶室・何陋庵(かろうあん)に入る門です。写真は外側から撮りましたが、左が門で、右に見えるのは待合で、これも茅葺きです。門にいたる道を見ると、表門からも、南門からも来られるようになっているようです。
みとちゃん(センチュリー21エムズ・エステート 南町3-4-20) ハロウィン姿のみとちゃんですが、今日は水戸黄門漫遊マラソン仕様になっていました。
ハロウィーンパーティー会場(南町1-3-11) 高校生が企画したパーティーだそうです。17時までだったようです。
吉田小学校(元吉田町1757-1) 26日に行われた吉田小まつりのイベントの一つとして、国際交流という教室で、フェイスペインティングが行われていました。
木村屋本店(南町1-2-21) ウィンドウ展示物の中に、お化けなどのハロウィン用砂糖菓子セットがありました。
メゾンベニコ(泉町1-3-1) トリックオアトリートがありました。大人の負担は少し大きくなりそうです。
パパメイアン(泉町3-6-1) バルーンアートがはやっているようす。ハロウィンの飾り付けがされていました。
バースデイ(元吉田町字吉沢裏1050-5) 子供用品のバースデイで、ハロウィンセールをやっていました。