ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の炭(2)

2022-06-30 18:44:30 | 水戸

偕楽園表門(常盤町1-3-3)
 表門は偕楽園本来の入口になる門だそうです。黒門ともいうそうですが、この黒い色は、松煙塗りという、松を不完全燃焼させて集めたすすを顔料にしたことによるのだそうです。

 

七厘(七輪 埋蔵文化財センター 塩崎町1064-1)
 七厘は、かつてどこの家にもあった、料理用の炉だそうです。これは近世の出土物のようですが、現在の形とは多少違っているようです。燃料に炭を使った、便利な道具でしたが、炭に火をつけるのが大変だったような記憶があります。七厘(10厘が1銭で、100銭が1円です。)ほどの炭で間に合うという意味の名前だそうです。

 

            

     樫(カシ)炭               楢(ナラ)炭

樫(カシ)、楢(ナラ)炭(森林公園自然環境活用センター 全隈町1416-1)
 前回、櫟(クヌギ)炭をご紹介しましたが、樫(カシ)、楢(ナラ)炭も、それぞれ微妙に違っていて面白いので見くらべてください。

 

火消壺(茨城県立歴史館 緑町2-1-15)
 消し炭入れの壺のようです。以前、燃え切っていない炭は、この密閉した炭壷に入れて消火して、その後再び使ったものです。

 

書画用墨(茨城県近代美術館 千波町666-1)
 ミュージアムショップに色々な墨が並んでいました。左の墨は、「天女無縫」という古墨のようで、1万円の値段が付いています。書画に使われる墨は、油煙墨(主に菜種油)と松煙墨などがあるそうですが、古くなると味わいが変わってゆくようです。

水戸の炭(1)

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水戸の坊

2022-06-29 16:46:20 | 水戸

 大寺院に属した小さな寺院を坊というようになり、その主を坊主といい、それが室町時代以来、僧の称として使われることが一般化したそうです。また、坊さんという言葉も、僧のことをいうようになったようです。坊という字が末尾についた名詞は、坊さんが意識されている言葉であることが多いのでしょう。

 

唯円坊之碑(唯円(ゆいえん)道場跡伝承地 河和田町36°21'42.4"N 140°24'42.0"Eあたり)
 親鸞の弟子で、歎異抄を書いたという唯円が、はじめ道場をつくったのは、今の報仏寺(河和田町887)のある地から少し離れた地だったそうで、そこには「唯円坊之碑」が建っています。その後、廃寺になっていたそうですが、元禄2年(1689)に徳川光圀によって現在地に再興されたそうです。その報仏寺本尊の台座には、文明13年(1481)の年号や、「当旦那春秋(はるあき)尾張守」などとという文字があるそうです。唯円が本願寺で親鸞曾孫の覚如(かくにょ)を指導したという記録もあるそうです。写真は碑の題字部分です。

 

だいだら坊(水戸各地)
 「だいだら」はたぶん大きいという意味で、坊は「法師、坊主」でしょうから、仏教伝来以後の名前なのでしょう。本来は「おおひと(大人)」に類する言葉だったようです。水戸にはだいだら坊伝説が各所にあるようです。だいだら坊は、朝房山(あさぼうやま)を今の場所へうごかし、桜川、大塚池や三野輪池などをつくり、食べた貝殻が大串貝塚になり、大足(おおだら)で生まれた等々です。写真は大串貝塚ふれあい公園(塩崎町1064-1)にあるだいだらぼう像です。

 

てるてる坊主(センチュリー21エムズ・エステート 南町3-4-20)
  てるてる坊主がききすぎたのか、梅雨が去っていってしまったようです。「東京の俗に、女児の晴を祈る時に、紙にて人形を作りて、檐(のき)に懸くるもの。晴るれば物を供へ、或は、墨にて目睛(めだま)をかくと。」と大言海にあります。写真は今年のてるてる坊主を持ったみとちゃんです。

 

そば茶屋・風の坊(加倉井町1375-6)
  郊外型レストランですが、以前立ち寄ってそばを食べたら手打ちだったのでびっくりしました。そばの切り方が上手だなと思いました。この場合の「坊」は、住まい、棲み家といった感じなのでしょう。

 

葱坊主(有賀町)
 (ねぎ)の集合した蕾の様子が似ているので、「葱坊主」というそうですが、花が咲くと葉が固くなって食用に適さなくなるそうです。写真は、すでに花が開いてシベがたくさん出ているようで、坊主というより、いがぐり頭といった感じです。

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水戸の伝統模様(4)

2022-06-28 18:35:11 | 水戸

千鳥文碗(二の丸展示館 三の丸2-6-8)
 波と千鳥は、組み合わせの代表的なもののひとつのようです。雌雄で子育てするそうなので、家内安全を願ったり、「千取り」という語路合わせなどから好まれたようです。写真は、水戸城二の丸から出土した蓋付き碗だそうです。

 

菊水(安国寺 大足町 1184-1)
 中国で、崖の上にある菊の露が川にしたたりおち、それを飲むと長寿になったという伝説から来た模様のようです。楠木正成の家紋でもあったそうです。

 

組亀甲(くみきっこう 鯉淵町)
 長寿や吉祥の象徴である亀の甲羅は、恰好の模様素材だったようです。それだけに亀甲には色々な種類があるようですが、この組亀甲もその一つのようです。組亀甲は、組み込んで網目を六角形にした模様だそうです。水戸では、数軒の蔵などでこの模様を見ました。

 

源氏香(げんじこう 杉崎町)
 名前は香道の源氏香からきたそうです。聞香(もんこう)の時に使われた、縦5本の線と横線を組み合わせて、52種類の源氏物語にある名前を付けた模様群のことをいうようです。写真の右は、その52種類の内、紅梅のようで、左は真木柱(まきばしら)のようです。

 

四つ割り菱(水戸市立博物館 大町3-3-20)
  菱形を4つ並べた模様だそうです。家紋では武田(信玄)家が有名です。写真はひな飾りの、親王台(雛人形が座る台)にある四つ割り菱の模様です。水戸市立博物館で開催された、「水戸城下の雛まつり」展に展示された、明治時代の雛人形の親王台です。

水戸の伝統模様(3)

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ぶらっと歩きの風景in水戸(2-3)

2022-06-27 19:39:03 | 水戸

鳥の巣箱(渡里湧水群 渡里町)
 巣箱の入口に枝の止まり木が付けられていました。鳥にとって、ワンランクアップの住居になっているのでしょう。もっともカラスがくるとどうなのでしょう。「渡里湧水群を活かす会」は、去年、第41回緑の都市賞 内閣総理大臣賞を受賞したそうです。

 

アンズの実(茨城県メディカルセンター 笠原町489)
 アンズの実がたくさん色づいてなっていました。偕楽園のウメは大不作だったようですが、ここのアンズは、豊作のようでした。

 

取壊告知(笠原不動尊 笠原町994)
 崩壊の進んでいた笠原不動尊の建物が取り壊されるようです。「万が一権利を主張される方がおりましたら6月10日までに下記までお申し出ください。」などと書いた立て看板がありました。これで見ると、建物がある土地の権利者は水戸神社のようです。

 

川又書店の写真展(茨城県開発公社ビル 笠原町978-25)
 創業明治5年の川又書店は、エクセル店と県庁店で、「水戸と川又書店、みんなと歩んだ150年写真展」を開催していました。開業150年の記念事業の一つのようで、この写真展は150年にちなんで、150日間開催されるそうです。県庁店には、この開業当時の写真の外に、偕楽園の観梅や、新聞「いはらき」の創刊号の写真がありました。

 

弁天堂(桂岸寺保和苑 松本町13-19)
 保和苑にある池のほとりにある弁天堂には、以前だれかの悪戯とかで、河童が中に入っていましたが、最近出てもらったようで、近くに河童が置かれていました(写真中、弁天堂表示の所)。堂の中には、弁天の画像が納められているようでした。

ぶらっと歩きの風景(2-2)

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水戸の一本松

2022-06-26 17:32:16 | 水戸

 松は昔から、庭や街道筋に植えられる代表的な樹木だったようです。常緑で長寿の松は、姿のきれいさもあって、長く愛されてきたのでしょう。一本松といわれた目立つ大きな松は、目印にもなり、地名にもなったようです。水戸で、そうした一本松が地名になったところを、今のところ4か所で見ました。写真は、新荘(しんそう)にある樹齢150年という赤松です。マツクイムシのせいか、水戸では、松の古木を見ることがほとんどありませんが、こんなみごとな松が、かつてはあちこちで見られたのでしょう。

 

バス停(かがやきカフェ見川店(見川4-387-1)前)
 「見川一本松」というバス停は、古くからの土地の名前を伝えてくれるだいじなものの一つのようです。一般的に、地名となった、かんじんな松は、どこもすでに見ることはできなくなっているようですが、どこにあったんだろうと思うことがだいじなのでしょう。一本松という小料理店もあったようです。

 

バス停(上河内 36°24'54.9"N 140°27'24.2"Eあたり)
 このあたりは、街道沿いにある民家が途絶えたあたりで、いかにも松の大木があったのではないかと思えるような場所です。

 

元吉田一本松児童遊園(元吉田町214-82 )
 近くに、荒谷一本松(あらやいっぽんまつ)という信号もあります。小字(こあざ)名としては、「壹本松」と書かれたようですが、結構広い地域のようです。

 

ヤマネ&リリースクエア(全隈(またくま)町261)
 少し前までのリリースクエアの住所表示には、「全隈町字一本松261番」とありました。すぐ近くにある鹿島神社には、古木の山桜と杉がありますが、古い松はありませんでした。

水戸の松(6)

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