ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の伝統模様(5)

2022-09-30 23:16:11 | 水戸

桜(大手門前)
 着物レンタルで見た小桜模様です。

 

棒縞(水戸市立博物館 大町3-3-20)
 野球のユニフォームは棒縞が多いようです。この場合は、外来ユニフォームの模様が日本の伝統模様と同じだったということでなのでしょう。飛田穂洲展にありました。

 

巴(宝蔵寺 谷田町633)
 瓦に三つ巴の模様がよく見られるようです。

 

鹿の子(水戸市立博物館 大町3-3-20)
 鹿の子模様は、かつて、いろいろなところで見られたように思います。

 

唐草(鹿島神社 秋成町378)
 唐草文は、どこでも見られる伝統模様のようです。ツル植物の姿を模様化したそうで、ツル植物の生命力を長寿や子孫繁栄と見て、吉祥文として使われているようです。

水戸の伝統模様(4)

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水戸の百(2)

2022-09-29 20:39:40 | 水戸

秩父・西国・板東 百観音巡拝記念碑(満福寺跡 大塚町495-2)
 西国33所、板東33所、秩父34所の計100か所の観音霊場を参拝するという信仰形態が、江戸時代以前からあったようです。今でも大変でしょうから、ほとんどを歩いてまわる時代にはさぞかし大変な旅だったことでしょう。実際に百か所をまわったかどうかは分かりませんが、水戸では、秩父・西国・板東巡拝碑は10基くらい見ました。その外にも「伊勢・金刀比羅」、「西国・四国」といった組み合わせや、伊勢金刀比羅西国の単体や、富士山、出羽三山の参拝碑などの信仰の旅の碑もあります。昔から信仰の旅は多く行われ、参拝碑も数多く建てられたようです。写真は昭和61年満願とある新しい石碑です。

 

清酒一品 百歳(吉久保酒造㈱ 本町3-9-5)
 百歳まで愛飲してもらえることを祈念しつつ、市制が百周年を超えたことも含ませて醸した酒のようです。

 

明治百年事業記念之碑(河和田町36°21'57.1"N 140°25'05.2"Eあたり)
 県営団地建設のために部落共有地35アールを売却した代金で、明治百年を記念した事業を行ったという昭和44年に建てられた碑のようです。第二区会館、消防団詰所、観音堂、防犯灯等の建設、墓地の整備等々が行われたようです。

 

山百合(百樹園 元吉田町2618-1)
 日本原産の植物の中でも、きれいさでは上位にランクする花でしょう。ユリを百合と書くのは、ゆりの根が、重なり合っているからのようです。写真は、百樹園で見たヤマユリです。

 

 

茨城百景(水戸八幡宮 八幡町8-54)
 昭和25年に選定されたという、茨城県内の百景です。水戸市内では、偕楽園(常磐神社千波湖,桜川,桜山,神崎寺会沢伯民(正志斎)の墓)、弘道館と水戸城址、保和苑藤田東湖の墓 (二十三夜尊,水戸志士の墓(酒門村も含む(選定当時))、吉田神社の見晴台(朝日山,薬王院笠原水源地吉田古墳常照寺)、愛宕山とさらし井(愛宕神社,袴塚古墳,姫塚)、白幡山八幡宮(御葉附公孫樹(おはつきいちょう),那珂川鮭留漁場(青柳))の6か所で、1か所をけっこう広く見ているようです。写真は、水戸八幡宮にある石碑です。

水戸の百(1)

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水戸の植物名が入った小字(5)

2022-09-28 20:01:08 | 水戸

 作物の名前がついた小字を集めてみました。食べ物なのでたくさんあるかなと思いましたが、ほとんどが1か所だけでした。イネの稲荷前(いなりまい)は、稲荷神社のイネですから、これも早稲田台1つといえそうです。作物は地名になりにくいのでしょうか。写真の農産物共進会は最近見られないようです。どれも「改訂 水戸の町名」にある、植物名が入った小字(こあざ)の地名です。

 

アズキ(写真 平成29年水戸市産業祭農産物共進会)
小豆田(あづきた 下国井)

 

イネ(写真 イネの花 大場町)
稲荷前(いなりまい 全隈(またぐま))、早稲田台(わせだだい 木葉下(あぼっけ))

 

ウリ(写真 ハヤトウリ 平成29年水戸市産業祭農産物共進会)
瓜連越戸(うりずらこえど 藤井)

 

ムギ(写真 鯉淵町)
麦田(むぎた 青柳)

 

マメ(写真 ダイズ 平成28年水戸市産業祭農産物共進会)
豆田(まめだ 加倉井)

水戸の植物名が入った小字(4)

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水戸の石柱(3)

2022-09-27 20:33:44 | 水戸

秋葉神社(赤塚36°23'02.0"N 140°24'48.0"Eあたり)
 石柱に秋葉神社のやしろをはめ込んでいるようです。石柱が神社というのは大変珍しいのではないでしょうか。

 

県営双葉台東アパート(双葉台36°23'34.6"N 140°24'20.8"Eあたり)
 昭和62年から平成1年にかけて建てられたアパートのようですが、この頃は、団地などにこうした石彫がよく建てられたようです。

 

信願寺(緑町1-2-1)
 昭和29年に建てられた門柱のようで、小森邦夫の制作だそうです。

 

祇園寺(八幡町11-69)
 神社入口に建てられた石柱です。「開基徳川光圀公 曹洞宗寿昌山 旧寿昌派総本山」とあります。開山の心越(元禄9年(1696)死去)がもたらした曹洞宗寿昌派は、その死後に幕府の認可を得たようです。たぶんそれによって天徳2年(1712)に、それまで天徳寺だったこの寺は寿昌派本山の祇園寺となり、天徳寺は河和田へ移ったようです。現在の祇園寺は、明治以後に道元系の曹洞宗になっているそうですが、寿昌山祇園寺としているようです。

 

旧水海道小学校(茨城県立歴史館 緑町2-1-15)
 学校入口の石柱です。この学校は羽田甚蔵の設計で明治14年に竣工した、明治10年代に建設された明治洋風建築では県下唯一の遺構だそうです。改築されていたのを、元の設計図に基づいて現在地へ移転復元したそうです。この石柱はあまり古くなさそうです。

 

天徳寺(河和田町914-1)
 彫られているのは、生飯偈(さばげ)といって、寺での食事の一部を餓鬼や鬼神にほどこすために唱える言葉だそうです。斉昭の食事毎に農人形の笠に供える一箸の飯が連想されます。

水戸の石柱(2)

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ぶらっと歩きの風景in水戸(2-8)

2022-09-26 09:21:20 | 水戸

漱石所跡付近にある石(逆川緑地 千波町)
 漱石所は、徳川光圀が寛文5年(1665)につくった茶亭で、ここでは、自分に盃が流れつくまでに歌を詠むという曲水の宴などが催されたそうです。写真に見える、漱石所跡付近に散らばっている石は、ひょっとすると、その盃を流す小川に使われていたものではないかなと思いました。何か裏付けることのできる史料があるといいのですが。

 

認知症を知る月間(東部図書館 元吉田町1973-27)
 9月は茨城県認知症を知る月間だそうです。今、市内の図書館では、それにあわせていろいろな展示をしているようです。東部図書館では、関係する本や解説の展示とともに、認知症456(すごろく 写真左前)も置かれていました。

 

水戸黄門と萩まつり(偕楽園 常盤町1-3-3)
 すこしずつ偕楽園もかつての日常に戻りつつあるようです。萩まつりでは、水戸黄門一行も来園者と一緒の撮影を受けていました。来園者は撮影時にマスクをとっていましたが、黄門一行はマスクをしたままでした。それでいいのでしょう。園内のガイドも復活しているようです。

 

信願寺本堂(緑町1-2-1)
 信願寺本堂の震災復興工事が始まったなと思っていたら、少し行かないうちにあっという間にできあがっていました。

 

TXの県内延伸(水戸駅南ペデストリアンデッキ上)
 筑波まで来ているつくばエクスプレス(TX)の県内延伸では、水戸,筑波山,土浦,茨城空港までの4案が提示されたそうです。それに対して、水戸市などが、茨城空港経由の水戸行きを求めているようです。5月にTX水戸・茨城空港延伸促進協議会が結成され、その運動を進めているようです。水戸市、石岡市、かすみがうら市、鉾田市、小美玉市、茨城町が参加しているようです。それを表示した横断幕が水戸駅南口にありました。

ぶらっと歩きの風景in水戸(2-7)

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