ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の庚申塔(4)

2019-07-16 21:16:27 | 水戸

庚申塔の標示には何種類もあるようです。気のついた名称の石碑をご紹介します。

 

庚申のみ(藤井川にかかる工兵橋の藤井町側約100m先)
 下坪講中で建てた碑のようです。

 

庚申の文章(石川共同墓地 ニコニコレンタカー水戸石川店(石川2-4065-5)道向かい)
 「奉拝庚申供養為二世安楽(ほうはいこうしんくようにせいあんらくのために)」と刻まれた、正徳3年(1713)に建てられた碑のようです。一番下に人名が並んでいます。

 

庚申塔(国道50号線石川町信号を南に折れて約150m)
 塔と供養塔と刻まれた碑がいちばん多いようです。右下がよく読めませんが、嘉永3年(1850)に石川坪の講中が建てたようです。この年の干支は庚戌です。

 

庚申供養塔(杉崎町地蔵尊 杉崎町306)
 地蔵尊脇にある石仏群に中にありました。元文5年(1740)とあります。この年の干支は庚申です。上の梵字はウンと読んで、青面金剛をあらわしているそうです。

 

庚申塚(一里塚 元吉田町1504-1)
 寛政12年(1800)に建てられたようです。一里塚に建てられたので庚申塚というのでしょうか。背後に見える木は、樹齢100年というエノキだそうですので、江戸時代の水戸街道の名残りではなさそうです。

 

庚申供養塚(宝蔵寺 谷田町633)
 万延元年(1860)3月とあります。この年の干支は庚申で、8月には徳川斉昭が死去しています。山門をくぐって左手奥にあります。

 

庚申壇(県道2号線平戸信号を西に折れて約200m)
 寛政12年(1800)とあります。この年の干支は庚申です。庚申檀という書き方はここだけで見ました。

水戸の庚申塔(3)

 



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7 コメント

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Xフォローのお願い (totoro)
2024-06-15 09:16:37
XのDMでご質問をしたいので、よろしければフォローをお願いいたします。先ほど、フォローしました。
返信する
水戸の庚申塔(4) (goooid0)
2024-06-15 22:12:08
 私は後期高齢者で、あまりいろいろやることが面倒になってきていて、Xのメールはやったことがありません。ブログ内のコメントを使う今の形で通信はできるとおもうので、 必要がありましたらこれでお願いします。
返信する
天保期の常葉村と袴塚村合併について (totoro)
2024-06-16 09:41:22
ご面倒をおかけしております。
天保十三年の常葉村と袴塚村の合併後の村名について、お考えをお示しいただけますと幸いです。
水戸市役所、昭和60年発行『水戸の町名 地理と歴史改訂』p.31以降では、「合併して常葉村となり」とあるのですが、当該部分の図説では「常磐村」と記載されています。市役所に照会しましたところ、「はっきりしない」との中間回答でした。
それで、天保期以降の「常葉村」「常磐村」表記を探しています。
お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
返信する
水戸の庚申塔(4) (goooid0)
2024-06-16 23:34:03
 メールありがとうございます。
 私は水戸へ来て10年くらい、ブログを始めたのは平成28年、それまで全く水戸を知りませんでした。水戸に関しては、全く底の浅い、シロウトに毛が生えた程度の知識量の者です。ですから、水戸に関する専門的なことはほとんど分かりません。ブログで断定的な言い方を避けているのはそのためです。
 常葉、常磐の表記は、私も知りたいとは思ってはいましたが、それ以上に進んでいません。県史や市史の資料がネット上で見られるようになれば、調べるのがもっと楽になると思うのですが…。
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とても水戸歴10年とは思えない知識です (totoro)
2024-06-17 22:26:11
ありがとうございました。広い行動範囲と知識量は、敬服の至りです。とても水戸に来て10年とは思えません。また、ご教示いただくことがあろうかと存じますが、よろしくお願いいたします。
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天保期の常葉村と袴塚村合併後の村名について (totoro)
2024-06-26 17:13:15
>goooid0 さんへ
>水戸の庚申塔(4)... への返信

6/23、水戸市立博物館学芸員の方から、合併後割と早い嘉永元年(1848)の文書が同館に所蔵されていることを教えていただきました。その文書(常葉村原分田畑反別絵図)は村役人連名で作成したもので、「常葉村」とある、ということでした。
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水戸の庚申塔(4) (goooid0)
2024-06-26 22:27:29
 メールありがとうございます。
 探すといろいろ出てくるものですね。こうしたことが、しらべることの醍醐味なのでしょう。
 ちなみに、ガイドブックですが、「水戸わがまち発見⑦」に、常葉のことが少しありました。「常磐とは水戸の町にとってゆかり深い地名だが,その起源は律令時代に制定された郷の名から来ている。ただし、古代の郷の名としては常石と書かれた。常石郷は那珂郡に属し、その場所は,那珂川と千波湖のあいだの台地上だったと思われる。したがって、常石郷の先端部に,水戸という地名がついたことになる。現在では、ほとんど常磐と書きあらわされるのが普通だが、近世までは常石・常磐・常葉などと書かれ、明治時代以降に常磐という表記が定着した。」
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