ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸のすべり台(3)

2017-03-31 20:14:46 | 水戸

 すべり台もボーットして見ていると、色々なことに気がついて、ひょっとすると、これも今を見る強力な道具になるのでは、などと思ったりします。それにしても、つくる人たちの苦労の大きさは尋常なものではないのでしょう。あまり脈絡なく並べてみます。

 

 (1)複合型 これが今一番進化している形のようです。

 ①初期1 木製で、はじめは登り方を工夫しているようです。(城東児童公園 城東2-6-12)

 

 ②初期2  登り方に加えて、ほかの遊びを加えています。(河和田二丁目さくら街区公園 河和田2 )

 

 ③進化型 ごく最近できた逆川緑地のすべり台です。まさに複合型です。

 

(2)二重螺旋型 水戸ではここだけでしか見ていません。中心の棒に横棒の階段がついていて登りづらそうですが、二人で別々におりたら楽しそうです。(文京児童公園 文京1-5-19)

 

(3)石製 これはむしろ遊具というより作品といっていいのでは。(赤塚駅前公園 河和田1-4)

 

(4)デザイン性 見た目も快いデザインのすべり台が次々と現れてきているようです。(ロゼオ 笠原町978-39)

水戸のすべり台(1)(2)

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水戸藩彰考館総裁のお墓(1)

2017-03-30 22:11:08 | 水戸

佐々宗淳(さっさむねきよ) 1640-1698
 はじめ僧侶だったそうですが、仏教に疑問を持って、儒学を学んだそうです。還俗してその後、徳川光圀に見こまれて彰考館に入り、元禄元年(1688)総裁に任命され、大日本史の編纂をおこない、その資料収集のために各地をまわったそうです。総裁辞任後は、光圀隠棲地の西山荘で光圀に仕たそうです。通称を介三郎(すけさぶろう)といい、黄門漫遊記、助さんのモデルだそうです。墓は、水戸ではなくなく、常陸太田市増井町1514の正宗寺にあります。

 

安積澹泊(あさかたんぱく) 1656-1737
 祖父が小笠原藩を脱藩して、後に水戸藩初代徳川頼房に仕えたそうです。澹泊は、朱舜水に入門して儒学を学んで、彰考館に入り、元禄6年(1693)、38歳で佐々宗淳らとともに彰考館総裁になったそうです。退職後も、紀伝稿本などの点検を行なったそうです。名が覚(さとる)で、黄門漫遊記の格さんのモデルだそうです。墓は常磐共有墓地(松本町13-34)にあります。

 

立原翠軒(たちはらすいけん)   1744-1823
 徳川時代には異端だった徂徠(そらい 荻生徂徠)派の流れをくんだ学者だったために日陰にいたそうですが、水戸藩6代徳川治保(はるもり)によって登用されて、天明6年(1786)には彰考館総裁に任命され、滞っていた大日本史編纂事業を再びおしすすめたそうです。光圀100年忌には本紀・列伝を光圀の廟に献じたそうです。墓は六地蔵寺(六反田町767)にあります。

 

藤田幽谷(1774-1826)
 古着商の子だったそうですが、立原翠軒の門人となり彰考館へはいったそうです。大日本史編纂の方針で翠軒と対立を深めたそうですが、翠軒が身をひいたことによって、その後の流れがきまったようです。文化4年(1807)に34歳で彰考館総裁となり、翌年には郡(こおり)奉行になったそうです。また、幕末尊王攘夷の理論的支柱になった「新論」を書いたそうです。藤田東湖の父で、墓は常磐共有墓地(松本町13-34)にあります。

 

会沢正志斎  (1782-1863) 
 百姓出身の家で、父は下級武士だったそうです。幽谷に師事して、その後、彰考館に勤めるようになったそうです。江戸では、徳川斉昭の教育にも携わったそうです。文政13年(1830)に彰考館総裁になり、天保11年(1840)には藩校・弘道館初代頭取にもなったそうです。墓は本法寺(千波町2367)にあります。

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水戸の古民家レストラン

2017-03-29 20:21:12 | 水戸

 古民家を利用したレストランを、あちこちで目にするようになりました。
 中古住宅の空き物件が多くあり、レトロ感覚の喜ばれる時代趣味があり、新築より安上がりに店をオープンさせることができるということなどからなのでしょうか。今は和風が主流ですが、もう少しすると洋風、エスニック風もふえてくるのかも。
 どの店も、もとの民家の特長を生かしながら、落ち着いた、いい感じの雰囲気をつくっています。土蔵の扉を机にした店まであります。

 

  梅香 かふう(和食 宮町3-5-16)

 

  ル・ポアロン(フランス料理 泉町2-2-35)

 

  麦とろ すず(麦とろ 見川5-114)

 

  ノラズ カフェ(カフェ 緑町1-2-3)

 

  カフェ 清ら(カフェ 姫子2-352-114)

 水戸の居酒屋(1)(2) 水戸のフレンチ 水戸の喫茶店

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水戸で残っている旧町名

2017-03-28 21:50:33 | 水戸


 水戸では、昭和41年から55年にかけて行われた町名改正などで、多くの旧町名や地名が地図上から姿を消しましたが、まだ、色々な形でその名前が残っているようです。バス停、公園、公民館等々の名前に付けられているのですが、相当たくさんありそうです。水戸市は旧町名を100基をこえる石碑に残しましたが、こうした旧町名、地名の残り方もあるようです。これもある意味で、文化遺産の一つなのでしょう。

 

 公園名:裡(うら)一丁目児童公園(本町1-7)

 

 公民館名:三角(さんかく)公民館(石川町・県道40号線沿い)

 

 神社名:砂久保稲荷(新荘1-3-1)

 

 町内会名:細谷門前浮町町内会(城東)

 

 樋管表示板名:赤沼町樋管(桜川沿い)

 

 バス停名:三角田(みずみだ 吉沼町・県道174号線沿い)

 

 マンション名:舟付ハイツ(千波町 「改訂水戸の町名」では船付となっています)

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水戸の川べを散歩する-狭間川

2017-03-27 22:08:24 | 水戸

 春になると川べの様子が見たくなります。今回は、狭間川を歩いてきました。

 ①源流近くです。 狭間川は、水戸市植物公園隣になる、宮脇池が源流です。

 

 ②源流近くには、池の名前になったお宮の、香取神社があります。枯れたものの掘り出されて保存されている巨大な根株や、4対の並んだ灯籠、樹齢350年のスギなどが見られます。

 

 ③土手にタネツケバナが咲いていました。

 

 ④見えづらいですけれど、左のフェンス内は農業用溜池です。

 

 ⑤少しはずれますが、見事な長屋門のある民家がありました。

 

 ⑥ムギが伸び始めていました。

 

 ⑦国道50号線を横断しているところです。

 

 ⑧沓掛橋から狭間川の下流を見ました。

 

 ⑨最下流の大山橋から見る狭間川の下流です。このすぐ先で、桜川の分流に合流しているようです。

 水戸の川べを散歩する-新川逆川

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