ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸で見かけた今様のスタイル(5)

2024-07-31 21:59:14 | 水戸


 空いた民家を利用した宿などがあちこちで見られるようになってきているようです。今回はそのいくつかです。

 

木の家ゲストハウス(上水戸4-1-63)
 宿泊客が交流できるゲストハウスとともに、レンタルスペースとしても利用できる施設のようです。道向かいが別館で2号館のようです。

 

木の家ゲストハウス3号館(西原36°23'16.8"N 140°26'23.2"Eあたり)
 3号館もできたようです。コロナ後のインバウンド増加が追い風になっているのでしょうか? (後日R6/8/5 常磐町で5号館を見ました)

 

貸別荘水戸ハウス(金町1-2-55)
 一棟貸しで、貸別荘をうたっているようです。

 

まちの宿歴史館前(緑町1-8-11)
 茨城県歴史館前にある、㈱要建設による開発事業の一つのようです。1F、2Fを別々に借りられるようです。

 

時間貸しスペース・Mont Blanc(大塚町1958-20)
 看板のないレンタルハウスのようです。大塚町には、いくつかこうした建物があるようです。

 

水戸宿泊交流場(柳町2-7-18)
 令和3年に開業したようで、宿泊の外、コワーキングスペースとしたり、ご近所会という地元の交流をはかったりしているようです。建築家・中村彩乃による仕事のようです。

水戸で見かけた今様のスタイル(4)

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水戸の茨城県庁が見える場所(2)

2024-07-30 21:50:30 | 水戸

東水戸駅から(水戸市吉沼町1426-3)
 鹿島臨海鉄道東水戸駅から見えた茨城県庁です。次の常澄駅も高架になっていて、どちらも無人駅なので、誰でも展望を楽しめるようです。

 

ノーブルホームスタジアムから(見川町2256)
 水戸市総合運動公園内にあるノーブルホームスタジアムの観客席から見た茨城県庁です。野球場などの観客席も、周辺の風景を楽しむのにいいようです。

 

小吹町から(36°20'46.7"N 140°26'16.4"Eあたり)
 平地では、広い田畑があるところが、遠望の適地のようです。こうした風景を見ていると、水戸は農業も盛んな町なのだなと実感します。

 

開江町から(36°24'17.8"N 140°23'26.5"Eあたり)
 昭和21年に開拓が始まった開江町のこの地は、水戸の町を俯瞰するのにも絶好の地のようです。近くに開拓の碑が建っています。

 

飯島町から(36°22'02.6"N 140°23'54.0"Eあたり)
 直線距離で約5kmあるようです。ふりかえったら建物の間に茨城県庁が見えました。

水戸の茨城県庁が見える場所(1)
水戸のアートタワーの見える場所(7)

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水戸の実と種(32)

2024-07-29 21:14:53 | 水戸

 今回は、草本の実と種です。

 

ヤブニンジン(渡里湧水群 渡里町)
 セリ科。実の先端がチョキのようになっています。実が広がっていて、写真を撮るのは難しく、あまりよく写っていないようです。集まって咲く花の中央部は雄花で、周囲に両性花あり、それが広がっているようです。葉がニンジンに似ているそうです。(撮影5/11)

 

ムギクサ(鹿島臨海鉄道常澄駅 塩崎町)
 イネ科。明治初期にヨーロッパからきた帰化植物だそうです。栽培種のムギに近い品種で、日本では数少ない野生種だそうです。(撮影7/6)

 

クレマチス(塩崎町)
 キンポウゲ科。クレマチスに花弁はなく、ガクだけだそうです。実ははじめはヒモ状ですが、写真中央のように羽根のようになるようです。(撮影7/6)

 

アメリカオニアザミ(西原)
 キク科。この綿毛ならそうとう広汎に飛んでいきそうです。刈っても株や根が残っていると再生するそうですので、手ごわい侵入植物のようです。(撮影7/26)

 

ハス(吉田神社 宮内町3193-2)
 ハス科。インド原産の植物だそうですが、古事記に記載があるそうなので、古くから日本にもあったようです。古名はハチスで、蜂の巣のことだったようで、それがハスに変化したそうです。写真の花托中に見えるハスの実は、食用や薬用として使われるようです。また、数珠の玉としても使われるそうです。(撮影7/27)

水戸の実と種(31)

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ぶらっと歩きの風景in水戸(2-53)

2024-07-28 21:07:15 | 水戸

道路基準点(南町36°22'32.8"N 140°28'16.4"Eあたり)
 歩道脇に「道路基準点」とある鋲がありました。精度の高い位置情報を持つ標識のようです。ただ、現時点では簡易的なもののようです。(撮影4/24)

 

草取用車(谷田町)
 草取りをする人が、楽そうな台車に座って作業をしていました。(撮影7/6)

 

ボランティアパネル展(水戸市役所 中央1-4-1)
 水戸市内で活動している、55ボランティア団体の活動を紹介したパネル展が、市役所でおこなわれていました。手話、点字、朗読、リハビリ体操等々、多様な団体があるようです。(撮影7/10)

 

黄門まつり花火大会(千波湖畔)
 昨夜、黄門まつりの花火大会がおこなわれました。せっかくの行事でしたが、ガスが低くまでかかっていたようで、高く上げる本格的花火は音ばかりで、大輪の様子を見ることはできませんでした。しかも、途中から土砂降りの雨となり、引き上げる人が多かったようです。今年は、たぶん、打ち上げ費用を広く負担してもらおうということなのでしょう、2000円(1人)から20000円(4人)までの、それほど高額でない料金を取るというスタイルが実施されたようです。写真は、残念な見えない花火です。(撮影7/27)

 

大丈夫(水戸芸術館 五軒町 1-6-8)
 水戸芸術館の前庭に大丈夫という大きな文字がありました。「人が花に対して、また花と共に行う営み」という参加型のプロジェクトだそうで、文字を花で描こうとしているようです。今は「大」だけが花壇になっていましたが、残りの文字も花壇になっていくようです。(撮影7/28)

ぶらっと歩きの風景in水戸(2-52)

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水戸の腰掛石

2024-07-27 21:18:38 | 水戸

 現在、水戸には現在、3つの腰掛石があるようです。

 

日本武尊(やまとたけるのみこと 吉田神社 宮内町3193-2)
 日本武尊が東征の際に水戸で休息した時の腰掛石だそうです。吉田神社の祭神は、日本武尊で、尊を祀る全国最古の神社だろうとのことです。最近腰掛石の表示がたてられたようです。

 

2代徳川光圀(祐養園跡 文京36°24'07.9"N 140°26'46.9"Eあたり)
 光圀の臣下だった鈴木重時(勇山)の隠居所である祐養園にあった、光圀の腰掛石だそうです。心越が名づけたという祐養園に、元禄11年(1698)に来臨した光圀は勇山という号を与えたそうです。勇山による、「埋(うず)もるる こけの下にも 仰ぎ見ん 石より重き 君のみかげを」などの歌が石に刻まれているそうです。

 

4代徳川宗堯(むねたか 飯富市民センター 飯富町4449-8)
 光圀が鷹狩りの際に立ち寄って雀躍亭(じゃくやくてい)と名づけたという、現・岩根町の園部家へ、宗堯も立ち寄ったそうです。その腰掛石が、現在、飯富市民センターに保存されています。

 

9代徳川斉昭(酒列磯前(さかつらいそさき)神社 ひたちなか市磯崎町4607-2)
 ひたちなか市にある酒列磯前神社に、斉昭の腰掛石がありました。水戸市内には斉昭の腰掛石がないようです。でも、人気のあった斉昭なのですから、掘り起こせばありそうなものだと思うのですが…。

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