ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の曲線(2)

2018-07-31 20:24:26 | 水戸

フジ蔓(づる)(GS㈱フカヤ(加倉井町691-2)西側)
 古木のタブノキにからむ、古木のフジ蔓です。ウメのように、蔓内部の腐ったフジをよく見かけます。以前は蔓皮から糸をつくったそうです。

 

ケヤキの樹皮模様(笠原神社 文京2-5-21)
 複雑で見事な曲線模様が樹皮一面にほどこされています。

 

水府提灯(鈴木茂兵衛商店 袴塚1-7-5)
 店のウィンドウです。去年、水戸八幡では奉納された酉年の鳥型提灯を、また黄門まつりでは一升瓶型提灯を見ました。てづくりならではの繊細な曲線が形づくられています。

 

駅南風景(駅南ペデストリアンデッキ 宮町1)
 見上げると、デッキが額(がく)の枠のように風景を切り取っています。

 

ケヤキの根元(竃神社 本町1-2-6)
 いい形でへこむものだとつくづく感心してしまいます。樹齢330年だそうです。

水戸の曲線(1)

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水戸の祭礼

2018-07-30 21:11:34 | 水戸


 たまたま見ることのできた祭礼をご紹介します。

 

水戸八幡の節分追儺式(ついなしき)(八幡町8-54)
 写真は鬼神退治(追儺)の神楽(かぐら)です。(右が悪神です。平成29年2月3日撮影)このあと、邪の字が書かれた的を射る弓の儀式があり、それがすんでから豆まきとなります。

 

酒門神社の鏑矢(かぶらや)の神事(酒門町94)
 写真は平成29年4月3日のものです。拝殿での神事のあと、拝殿前で、鬼と三方に書かれた的を目がけて矢が射られます。弓はウツギ製で、的までの距離は約8m、豊凶を占うそうです。このときは、一人あたっただけのようでした。

 

薬王院の御田植祭(元吉田町682)
 本尊・薬師如来の縁日だそうです。本堂前に灯籠が並べられ、本尊がご開帳されます。旧暦6月11日が開催日だそうですが、今年は5月26日で、平家琵琶が語られていました。

 

能化(のうげ)稲荷のお田植祭(本町1)
 水戸城下町の本一町目に建てられた歴史ある神社です。古老たちが拝殿内で神事を行い、外ではお囃子(はやし)が行われていました。(平成30年7月29日撮影)

 

別雷皇太神の秋の例祭(元山町1-1-57)
 秋の例祭に行われる、夫婦と子の3体の獅子が舞う棒散々楽(ぼうささら)の写真です。(平成29年11月4日撮影)このあと神輿が繰りだします

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水戸の愛宕神社(2)

2018-07-29 20:15:51 | 水戸

 総本社である京都の愛宕神社は、もと鷹峯にあって、平安京西北隅の愛宕山に移されて都鎮護の神となったそうです。勝軍地蔵が祀られ、修験道が盛んだったので太郎坊という天狗も信仰されたそうです。火伏の神としても有名で、鎮火の御符が出され、近畿一帯では代参の講が広くおこなわれたそうです。

 

愛宕神社(栗崎町)
  愛宕神社として独立した神社です。境内は古墳で、中世には和平館という館(やかた)の一部になったそうで、樹齢250年のコブシの古木があります。

 

愛宕神社(鹿島神社境内社 河和田町1641)
 愛宕町・愛宕神社の神符が置かれていました。軻遇突智命(かぐつちのみこと)が祭神だそうです。

 

愛宕神社(筑波神社境内社 酒門町)
 5社が並ぶ境内社の中にありました。写真右が愛宕神社です。

 

愛宕神社(手子后神社末社 元石川町1728)
 草薙神社、別雷神社、冨士神社とともに4社が並んでいて、末社と記されていました。

 

愛宕神社(三湯神社境内社 三湯町57)
 八坂神社などとともに並んでいました。

水戸の愛宕神社(1)

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水戸の石(1)

2018-07-28 19:55:35 | 水戸


 水戸の石といって頭に浮かんでくるいくつかを並べてみます。

 

神崎石(かみさきいし)
 笠原水道は徳川光圀がつくったそうですが、石製の樋を地中に埋めて水を通す方式は水戸藩だけだったようです。石樋は、偕楽園あたりの台地下にある、比較的やわらかい凝灰質砂岩の神崎石によってつくられているそうです。写真は常磐町にある、神崎石を掘り出した跡の穴の冬景色です。(この穴が笠原水道の石樋用にほられたかどうかは分かりません)

 

弘道館記碑(三の丸1-6)
  「弘道とは何ぞ 人 能(よ)く道を弘(ひろ)むるなり」ではじまる、藤田東湖が草して徳川斉昭が書した弘道館記は、寒水石という真弓山(常陸太田市)でとれた大きな白い大理石に刻まれています。弘道館鹿島神社脇の八卦堂に納められていて、時々公開されています。

 

要石
 上は、鹿嶋市にある鹿島神宮の要石にならって、「行く末も 踏みな違(たが)へそ 蜻島(あきつしま) 大和の道ぞ 要なりける」という斉昭の歌が刻された要石の石碑(三の丸1-6)です。下は、鹿島神宮の要石を模した、河和田町・鹿島神社境内にある要石です。

 

石蔵
 水戸には数多くの大谷石でつくられた石蔵があります。郊外を散策するときの楽しみの一つは、これらどっしりとした石蔵を見ることです。写真は小泉町にある民家の石蔵です。

 

石仏
 天保の改革のときには、石仏等の廃毀も行われたようですが、斉昭の幕府による致仕謹慎処分(強制的な隠居と駒込中屋敷に幽居)により中途半端のままに終わったようで、今も多くの石仏を見ることができるようです。最近は、道路工事などで一か所に集められていることが多いようですが、見る者にとってはかえって都合のよいこともありそうです。(本当は以前あった場所などが分かるようになっているとよいのでしょうが。)写真は大場町の石仏群です。

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水戸の海老虹梁(2)

2018-07-26 20:45:00 | 水戸

大井神社本殿(飯富町3475)
 多色に塗られたいかにも海老虹梁といった形です。

 

水戸八幡本殿(八幡町8-54)
  全体的に装飾的な本殿ですが、この部分はシンプルな形です。海老の付かない普通の虹梁なのでしょう。たぶん古いものはこうしたスタイルだったのでしょう。

 

桂岸寺本堂(松本町13-19)
 これは過剰といえるほど装飾的な海老虹梁です。こういう建物は、部分を細かく見てゆくと、いろいろな発見があって面白いものです。

 

天神社本殿(元吉田 常照寺脇)
 鯉の滝登りで、鯉が龍になる瞬間を彫刻にしたのでしょう。ここは、本殿全体に彫刻がほどこされています。

 

息栖神社本殿(鯉渕町1115)
 普通の虹梁は角ばっているようですが、ここは丸っこくなっています。左上の模様が恐竜のように見えませんか。

水戸の海老虹梁(1)

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