(写真は本町竜頭(りゅうず)共用栓)
笠原水源
水戸市笠原町 逆川緑地
徳川光圀が水の悪い下市地区へ飲料水を運ぶために作らせた笠原水道の水源です。復元された岩樋(いわひ)、藤田幽谷の「浴徳泉記」の碑、復元された竜頭共用栓などがあります。
竜頭共用栓
本町2-1の歩道
明治時代に、数十基が下市(本町)の町角に作られたそうです。この他に、記念物として、笠原水源、低区配水塔のある三の丸緑地にもありますが、三つとも復元されたもののようです。ですから本町のものが本家筋ということになるのでしょう。
水戸神社
水戸市笠原町994
笠原水源から登ったところにある神社で、水の神ということで、速秋津彦命(はやあきつひこのみこと)を祭っています。徳川斉昭が水源守護のために吉田神社から遷座したようです。
低区配水塔
北見町2-11
昭和7年の建築で、設計は水戸市の水道技師だそうです。ここには、緊急非常用貯水槽が埋められているそうです。
(写真は文化デザイナー学院)
常陽藝文センター ギャラリー
三の丸1-5-18 029-231-6611
常陽銀行の社会貢献事業の一つで、地元に関わりのある芸術家の作品展示、紹介をしています。
茨城県立近代美術館
千波町666-1 029-243-5111
県立の美術館で、横山大観、中村彝ほか、茨城に縁のある作家を中心にして、約4,000点の作品が収蔵されているそうです。中村彝のアトリエが復元されています。
水戸芸術館現代美術ギャラリー
五軒町 1-6-8 029-227-8111
水戸芸術館三本柱、音楽、演劇、美術3部門の一つです。
ギャラリーみゃーずき備前堀Q(ZAKKA&GALLERY MYA-ZUKI)
白梅4-2-19 029-232-8863
みゃーが好きという意味のようです。ときどき小さな企画展を開催しています。
文化デザイナー学院文化ギャラリー
泉町1-3-22 029-303-1010
1F玄関部分を学生の作品発表だけではないパブリックスペースにしているようです。
タオル美術館
内原2-1イオンモール水戸内原3F 029-239-3663
美術館という名前のタオルの販売店ですが、今治市にはこの会社の本物のタオル美術館があるそうです。
(写真は浜田のかえる像)
浜田のかえる像
本町3の十字路角
「(浜田)学校がこの地に移転して以来浜田学区のシンボルとなっている。住処(すみか)を譲ってくれたかえるに感謝し、子供達の健やかな成長と安全―無事かえる―を願い、此処(ここ)にこの像を設置する」と碑文にあります。校舎新築のために田を埋めたてたので、そこを住みかにしていたかえるに感謝したということのようで、学校ではかえるの行事もおこなっているそうです。年表で見ると校舎新築は大正14年のことです。
八の字猫
宮町2-3-35
東照宮にはいる角にある糸久たばこ店で時として見られる、額に八の字がある猫です。全国レベルの看板猫です。
2つの獅子像
大工町2-2-1、三の丸3-15
現代美術家・蔡國強らの風水の話から、鎮物として水戸の発展を願って設置されたものだそうです。
しゃべる黄門さん
水戸市南町3(黄門さんおしゃべりパーク)
左にある印籠のボタンを押すとしゃべりだします。
(写真は六地蔵寺四脚門です。)
六地蔵寺四脚門
六反田町767
むだな作りのない簡素な姿の門です。地蔵堂の門なのでしょうか。
旧水戸城薬医門
三の丸1-5-38(水戸第一高等学校)
本丸と二の丸の境にあった門であるらしいとのことです。あちこちを放浪してようやく今の地に移築されたそうです。水戸城で唯一残った建造物だそうです。
薬王院仁王門、四脚門
元吉田町682
本堂正面にいたる参道にあるのが仁王門、本堂と回向堂の境にあるのが四脚門です。
偕楽園好文亭表門、一の木戸、中門、芝前門(しばさきもん)、櫟門(くぬぎもん)
常磐町1
沢山あります。門を見て歩くのも一興です。
弘道館正門、孔子廟門
三の丸1-6-29
正門は藩主の来館等、特別の時以外は利用されなかったそうです。幕末弘道館の戦いの際にできた弾痕が残っています。国の重要文化財です。孔子廟門は、弘道館の裏側にあります。珍しい姿の門です。
大手門跡
三の丸2-9
復元が計画されているようです。最近、二の丸むかって左手が発掘され、瓦塀の一部がその姿を見せていましたが、すでに埋め戻されてしまいました。大手門の復元とともに姿をみせるのでしょう。
備前堀は、関東郡代の伊奈備前守忠次(いなびぜんのかみただつぐ)が慶長15年(1610)に築いた、千波湖の水を管理し灌漑用水としたものです。(写真は金剛橋)
伊奈橋
国道51号にかけられた、橋を感じさせない今様のものです。
荒神橋
三宝荒神を祀っている竃神社からつけられた名前だそうです。竃神社は、「おかまさま」といわれたそうで、ケヤキの古木があります。
銷魂橋(たまげばし)
水戸街道(江戸街道)の起点で、掟などが掲げられた高札場もあったそうです。別れを惜しんだということで、徳川光圀が名づけたそうです。
道明橋(どうめいばし)
江戸時代(明和のころ)本一町目にあった酒造業者、道明作兵衛がかけた橋だそうで、橋上に伊奈忠次の像があります。お盆の灯篭流しではにぎわいます。
三叉橋(みつまたばし)
備前堀はこの場所で三叉になっており、水門があったので、こういわれたそうです。
学びの橋
浜田小学校への通学路なので、地元の人がこうよんでいたのだそうです。
金剛橋(こんかうはし)
金上山不動尊(瓦谷不動尊)の参拝路にかけられたのだそうです。
常陸山橋
大正の初め、常陸山が酒門共有墓地に墓参りするとき、古くなった橋を見て、数年後に自費でかけかえたので名づけられたそうです。今の橋は新しくなったものです。今の名前の前は万才橋といっていたようです。 後日:訂正