ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の正月を前にした年末(1)

2019-12-30 19:35:38 | 水戸

 お正月を前にした町を見てみようと思って主に上町をまわってきました。販売する方の態勢は十分にできているようでしたが、買う方のにぎやかさはあまり見ることはできなかったように感じました。

 

餅販売(水戸屋本店 泉町2-2-46)
 だんごなどを売っている水戸屋の正月用餅販売です。

 

手水鉢竹ひしゃく(吉田神社 宮内町3193-22)
 枝をうまく使った新感覚の竹びしゃくが、初詣前の手水鉢に置かれていました。

 

花びら餅(木村屋本店 南町1-2-21)
 今まではあまり見られる正月菓子ではなかったようですが、最近花びら餅が、正月に多くの和菓子店の店頭に置かれるようになってきたようです。写真は木村屋本店のウィンドウ風景です。

 

正月花(トツカフローリスト 泉町1-3-17)
 お正月用らしい花飾りが、店頭にたくさん飾られていました。門松などの従来の正月飾りではない飾りものがふえてきているようです。

 

正月飾り(ぬりや泉町店 泉町3-1-31)
 今日は30日ですが、すでに正月準備が万端ととのっている店がたくさん見られました。写真のぬりやは、水戸の代表的うなぎ店です。

 

万両と十両(薬王院 元吉田町682)
 正月に飾られるマンリョウなどが、薬王院の墓地入口付近にありました。万両と十両(ヤブコウジ)は共にヤブコウジ科だそうですが、1000倍の違いがあるようです。写真手前上がマンリョウの実で、左と右下がヤブコウジの実です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぶらっと歩きの風景(43)

2019-12-29 20:09:34 | 水戸

ハクチョウの逆立ち(大塚池 大塚町)
 2羽が逆立ちして餌をあさっているようですが、その周りを4羽が囲んで見守っているようにみえました。

 

桜の移植と歩道工事(三の丸お堀沿い歩道)
 倒木の危険があるということで、三の丸お堀沿い歩道の桜のほとんどが伐採されたそうですが、そのうちの2本は保存されていて、また、再移植されて戻ってきたそうです。県立図書館へ行く道の脇です。

 

貝殻の足跡(埋蔵文化財センター 塩崎町1064-1)
 大串貝塚は、文献(常陸国風土記)に書かれた世界最古の貝塚だそうですが、その出土した貝殻が、ダイダラボウの足跡状に並べられていました。

 

縄文人の奥歯(埋蔵文化財センター 塩崎町1064-1)
 大串貝塚からは、縄文人(5000年位前)の奥歯も出土しているそうです。堅いものをたくさん食べていたという割にはあまりすり減っていないように感じました。

 

アイカサ(南町)
 傘をシェアするというシステムを、水戸でも南町の駐車場で見かけました。

ぶらっと歩きの風景(42)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「氷川清話」に出てくる水戸

2019-12-28 19:57:25 | 水戸


 勝海舟の「氷川清話」をみると、水戸はさんざんにいわれていることが多いようです。水戸に住む私のような人間にとっては、もやもやするところなのですが、発想の柔軟な勝から見ると、原則に固執して突っ走る水戸流は、肌に合わなかったということなのでしょうか。
 攘夷論の支柱になったといわれる「新論」を書いた会沢正志斎は、その後、開国が時流であることは分かっていたそうですが、血なまぐさい対立をしていた、天狗党(改革派 尊皇攘夷派)と諸生党(保守派 旧来の重臣中心の治政派)の両陣営にとっては、そうした流れは余り目に入らなかったということなのでしょう。そうした水戸の流れは、勝にとっては不満以上のものだったのでしょうか。写真は、両国公園にある勝海舟のお墓です。

 

 勝が咸臨丸で帰ってくると、桜田門外で井伊大老が殺されたので、水戸人を厳重に取り調べなくてはならないと、捕吏(ほり)が船に乗り込んできたそうです。それを聞いた勝は、アメリカには水戸人は一人もいないからすぐ帰れとひやかして帰らせたそうです。当時の水戸人に対する幕府の様子がよく分かるようです。

 

 勝が、長州征伐の事後交渉を徳川慶喜に命じられた時、慶喜の屋敷に行ったところ、そこにいた原市之進が、ふだんいわないようなお世辞のようなことを言ってきたので、いい加減な返事をしておいたそうです。また、山階宮(やましなのみや)から、西洋の事情を聞きたいとの話があったそうですが、原が口を出したのでだめになったそうです。

 

 徳川斉昭の片言隻語も、当時は大事なものとされたが、今はどうか、斉昭の名前さえも知られていない、ちょっと芝居をやったくらいでは名前は残らない、と勝はいっています。ただし、「まがきのいばら」では、斉昭の激しい表立っての言葉を本意と見る人は政治を知る人ではない、また、斉昭以外の人が斉昭流を行うと破綻するだろうともいっています。

 

 人見寧(後の茨城県令)が若い頃、勝のもとに来て、西郷への紹介状を願ったが、勝はそれに「あなた(西郷)を刺すはず」と書いて渡したそうです。人見はそれを知らずに薩摩へ行き、紹介状をを桐野利秋に渡すと、桐野はひそかにそれを見て、それを西郷に伝えたそうですが、西郷は勝の紹介ならといって平然として人見と会い、天下の形勢など自分には分からないと言って笑ったそうです。気をのまれた人見はすっかり西郷に感服したしまったそうです。

 

 勝は藤田東湖がだいきらいで、御三家という直接幕府に申し入れることのできる立場にありながら、書生を集めて騒ぎ回っている、といって批判しています。勝は、藩主のブレインでは、横井小楠に敬服していたそうです。性格でいうと、横井より藤田の方がずっと魅力的なようなのですが…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水戸ののれん(2)

2019-12-27 20:09:24 | 水戸

そば処 長屋門(大塚町1473-6) 大きな白いのれんです。私はここの蕎麦が好きです。

 

茨城地酒バー(水戸駅) もともとミルスタという牛乳立飲みの店だからなのでしょう、地酒バーが同居したので、のれんのマークもミルスタのものを使用しながら、頭上の牛乳瓶を徳利に変えているようです。

 

木村屋本店(南町1-2-21) よく見ると店名が面白い字体で書かれています。とくに「屋」は変わっています。

 

喰処 大忠(五軒町1-1-25) すいけん会と書かれています。加入している会からのお祝いとして贈られたのでしょう。

 

ラーメン あんず(南町2-4-38) 久し振りに、最近つけられたらしい縄のれんを見ました。私が水戸で見た2つめの縄のれんです。最近の新しいのれんは、下が曲がっていて気になります。

水戸ののれん(1)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水戸の〇(10)

2019-12-26 19:32:25 | 水戸

梅まつりのろうそく(偕楽園 常盤町1-3-3)
 梅まつり夜のイベントで梅花形に並べられていたろうそくす。たぶん来年も楽しめることでしょう。写真は3月9日に撮りました。

 

イチョウの落葉(茨城県立歴史館 緑町2-1-15)
 このイチョウは1本だけ立っていますので、下にはきれいな黄葉の〇ができていました。高い所から見ることができるともっときれいでしょう。11月27日に撮りました。

 

厄除地蔵大菩薩碑(神崎寺 天王町8-17)
 嘉永2年に建てられた地蔵碑です。中央にあるのはカという梵字で地蔵菩薩をあらわすそうです。周囲は地蔵真言という地蔵を讃える言葉のようです。見えにくいですが、周囲に24体の地蔵が刻まれています。水戸では珍しい石碑です。

 

紡錘車(埋蔵文化財センター 塩崎町1064-1)
 中央の穴に棒を通して(写真右に少し見えます)、その先に綿などを引っ掛けて、紡錘車をこまのように回転させて、綿などを糸によるのだそうです。軸の木の棒は失われているようですが、土を焼いたいろいろなデザインの紡錘車は各地で出土しているようです。

 

アパート中庭の遊び場(県営千波西アパート 千波町)
 アパート群の中庭に作られた子供の遊び場のようです。円形の中央に照明灯が立っていて、半分は砂場になっているようです。

水戸の〇(9)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする