ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の郵便受け(10)

2024-04-30 21:16:54 | 水戸

レトロ(桜が丘団地 見和)
 高度成長期に建設された県営団地のようですが、戸外に写真のようなレトロな郵便受けが立っていました。このまま放っておくのはもったいないような感じです。

 

陶製(愛友園 緑町3-9-35)
 陶製らしい郵便受けがありました。口が大きく開いていて、どーもくんといった雰囲気です。

 

石灯籠形(千波町)
 石灯籠のような形をした郵便受けです。正面に透明な扉がついているようです。

 

ミッキーマウス形(千波町)
 ミッキーマウス形の郵便受けはときどき見ますが、このような形のものもあるようです。考えてみるとこれでミッキーとすぐわかるのですから、ミッキーはすごいものだなと思います。

 

手造り(ラーメン・餃子 250 栄町1-1-1-1)
 いかにも手造りっぽい、店の宣伝も兼ねたような、面白そうな郵便受けです。ここは、250円でラーメンや餃子が食べられる人気店のようです。

水戸の郵便受け(9)

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水戸の若葉(4)

2024-04-29 21:15:56 | 水戸

オオデマリ(水戸市植物公園 小吹町504)
 別名テマリバナで、大ぶりな白い目立つ花を咲かせるようです。写真の中央にあるのは蕾です。コデマリはバラ科で、オオデマリはレンプクソウ科だそうです。(撮影3/22)

 

イチョウ(水戸八幡宮 八幡町8-54)
 境内にある国の国の天然記念物であるオオイチョウに、小さな若葉がたくさんでて、樹木全体が若々しい黄緑色に染まっていました。(撮影4/14)

 

タブノキ(鯉沢緑地 元吉田町642)
 照葉樹林の代表的な木の一つだそうです。槍のようににょきにょきと伸びてゆく若葉の様子は、見ていて楽しいものです。成長した葉とは大分違った感じの若葉でした。ドングリは炒って食べるとおいしいようです。(撮影4/28)

 

イヌガヤ(逆川緑地 千波町)
 イヌガヤは、カヤと違って葉先にさわっても痛くないようです。今は花盛りの時期のようでした。(撮影4/28)

 

カツラ(逆川緑地 千波町)
 赤みがかった小葉はかわいく感じます。ハート形の葉も多いようです。葉には香りがあり、抹香の原料になるそうです。(撮影4/28)

水戸の若葉(3)

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水戸の龍(9)

2024-04-28 21:25:03 | 水戸

切り絵(六地蔵寺 六反田町767)
 シダレザクラの花見がおこなわれたときに、庫裏入口付近に龍の頭部の切り絵らしいものが下げられていました。今年は辰年なので飾られたのでしょう。

 

折り紙(弘道館鹿島神社 三の丸1-6-4)
 今年の梅まつり開催時に、弘道館鹿島神社で開かれたつるし雛展に、金紙でおられた龍が飾られていました。

 

壁画(正覚院大日堂)
 大日堂の壁にはいろいろな動物や花の絵が描かれています。多彩色で描かれた龍もありました。

 

魔法びん(茨城県立歴史館 緑町2-1-15)
 たぶん法隆寺の龍頭水瓶がモデルになったのでしょう、一時期大変はやったなつかしい魔法びんが展示されていました。この形と共に、魔法びんという言葉もなくなりつつあるのでしょう。

 

鬼竜子(弘道館孔子廟 三の丸1-6-29)
 中国からはいってきた、屋根の下り棟に立てる魔除けの龍の子供を模した怪獣だそうです。一見したところでは、龍というより犬のようです。

水戸の龍(8)

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水戸で見た佐竹氏の家紋

2024-04-27 21:54:14 | 水戸

 平安時代から江戸時代初めまで、徳川氏よりも長い期間常陸(ひたち)を治めたという佐竹氏の名残りは、今に家紋という形でも水戸に残っているようです。佐竹氏の家紋は五本骨扇に月丸というそうです。以下はそのいくつかです。

 

水戸八幡宮神輿(八幡町8-54)
 佐竹義宣(よしのぶ)によって、常陸太田から現在の北見町に、水戸八幡宮は勧請されたそうです。神社の建物には家紋をつけることがあまりないのでしょうか、一通り見回ってみましたが家紋は見つかりませんでした。でも、神輿(みこし)には家紋がしっかりと飾られていました。 

 

天徳寺山門(河和田町914-1)
 天徳寺も、佐竹氏によって、水戸の現在東照宮のある地に勧請されたようです。その後、現在の祇園寺の地を経て、河和田の現在地に移ったそうです。山門に金箔を貼った家紋があります。水戸は、頼房以来、仏教嫌いの風があったそうで、寺もそうした背景の中で、佐竹氏の紋を残しているのでしょう。

 

円通寺旧建物瓦(千波町1227)
 大掾(だいじょう)氏以来の寺のようですが、佐竹氏も徳川氏も大檀那だったようです。でも、9代徳川斉昭の天保の改革で寄寺(よせでら)になり、家老の鈴木石見守(いわみのかみ)に跡地が与えられたりしたせいなのでしょうか、佐竹氏の紋が今にあるようです。天徳寺も円通寺に寄寺になり、さらにその円通寺も現・山方町の寺に寄寺になったそうです。

 

神応寺鬼瓦(元山町1-2-64)
 現・藤沢市にあった浄土宗・神応寺が焼失したそうですが、後北条氏に妨害されて再建できなかったそうです。佐竹氏の一族であった32代他阿(たあ)普光上人は、佐竹義宣を頼って水戸に神応寺の前身である藤沢道場を建てたそうです。鬼瓦に佐竹氏の花紋がつけられています。

 

光台寺瓦(上水戸3-1-39)
 遍照山義宣院(へんしょうざん ぎぜんいん)光台寺というそうで、佐竹義宣が現・栄町に開基した寺だそうです。ただ、その後、徳川光圀にとって土地を与えられて現在地に移った関係から、瓦などには三葉葵がつけられていて、佐竹氏の家紋は見られないようです。

水戸の佐竹氏ゆかり(4)

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水戸の酒の話(28)

2024-04-26 21:32:30 | 水戸

酒粕ティラミス(明利酒類蔵開き 別春館 元吉田町327)
 20日に、明利酒類で蔵開きが行われていました。会場には、つくば市のRistorante TSUMUとのコラボでできたらしい、酒枡入りで、酒粕を使ったティラミスが並んでいました。ほのかに酒粕と木桝のよい香りがしていました。

 

国酒(明利酒類別春館 元吉田町327)
 酒の資料館である明利酒類の別春館に、歴代総理大臣の「国酒」という色紙がずらりと並んでいました。左下2番目が、岸田首相の色紙です。日本酒造組合中央会から全国蔵元に配られている色紙ようです。世界的にも清酒は、日本の国酒として認知されつつあるようです。

 

茨城の地酒飲み比べ(花の舞水戸南口店 宮町1-7-44)
 茨城県は、県産酒が広く浸透しているようで、こうした飲み比べのできる居酒屋がたくさんあるようです。水戸駅エクセル南でも見ました。一番多く飲み比べられるのは、いばらき地酒バー水戸でしょう。

 

ピュア茨城プロジェクト(茨城デザイン協議会30周年 市民会館 泉町1-7-1)
 平成15年から、茨城初の酒造好適米「ひたち錦」と、茨城県産の酵母を使うといった、純粋な茨城県産酒を醸造するプロジェクトが始まったそうです。水戸の酒蔵を含む多くの茨城県の蔵元が参加したようです。茨城デザイン振興協議会30周年のイベントに展示されていました。

 

酒屋の人喰い犬
 徳川光圀が家督を相続したときに、家老たちに語った言葉だそうです。 ある国に酒屋があり、味が良く諸人がその酒を求めたので家は富んで栄えたが、その家の飼い犬がいつとなく人に噛みつくようになり、その結果客が減ってその家は貧しくなったということがある。皆もよく心得て、人喰い犬にならぬように。 光圀の逸話を集めた桃源遺事(とうげんいじ)にあるそうです。

水戸の酒の話(27)

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