ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸七社

2018-02-28 21:00:17 | 水戸

後日 ここは間違っています。二つの水戸七社が混じっています。訂正ができたときは、リンクできるようにします。水戸七社といわれた神社は、竃神社、笠原子安神社、酒門神社、早歳神社、国見神社、飯神社、水戸神社の七社と、吉田神社、大井神社、水戸神社、水戸東照宮、荒神竃神社、袴塚愛宕神社、中台息栖神社七社の2つあったようで、下はそれが混じっています。

 かつていわれていたという、水戸七社という名称をときどき見かけます。今の感覚でこの七社を見ると、違和感を感じる神社もあり、時代の開きを実感します。また、その内4社が、吉田神社と何らかの関係をもっているようで、興味深く感じました。

 


愛宕神社(愛宕町10-5)
 三の丸にあったやしろを、佐竹氏が現在地である、三島山といわれていた古墳の上にうつしたものだそうです。火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を祀り、水戸城の守護神であるとともに火伏せの神でもあるそうです。

 


 
笠原子安神社(笠原町992)
 寛文年間(1661-1673)に、徳川頼房の命で現在地に社殿がつくられた神社で、吉田神社の別宮だそうです。弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)と木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)がまつられていて、安産の守護神だそうです。歴代藩主夫人に信仰され、また、近在の妊娠した女性が神社にある像を借り受けて安産の後に返却するという習慣があったそうです。

 

竃神社(本町1-2-6)
 奥津彦命(おきつひこのみこと)・奥津姫命(おきつひめのみこと)・中御方命(なかみかたのみこと)がまつられていて、特に農村部に広く信仰されたそうです。光圀によって赤沼から現在地へ移され、斉昭によって名称が三宝荒神から竃神社にかえられたそうです。おかまさまと一般にはいわれていたそうです。

 

国見神社(宮内町3193-2)
 彦国見加岐建與束命(ひこくにみがきたけよつかのみこと)がまつられているそうです。かつて城内にあり、それが藩士に下賜され、その後、吉田神社にうつったそうです。現在、吉田神社の裏手に早歳神社と合祀されています。

 

酒門神社(酒門町94)
 木花開耶姫命がまつられ、吉田神社の別宮だそうです。4月には鏑矢(かぶらや)の神事が行われていて、また、祭時には藤田東湖書の大幟(おおのぼり)がたてられたそうです。幟は、いたみがあるので、今はたてていないそうです。

 

吉田神社(宮内町3193-2)
 日本武尊(やまとたけるのみこと)がまつられる日本最古の神社だそうです。平将門の乱では祈願社になったそうで、京とのつながりが深かったようです。光圀は本殿等を造営し、古文書を巻物にして保存を図ったりしたそうですが、昭和20年の戦災で焼けてしまったそうです。

 

水戸神社(笠原町994)
 港や河口の神である水戸神(みなとのかみ)ともいう、速秋津彦命(はやあきつひこのみこと)をまつっているそうです。吉田神社の末社として境内にあったそうですが、明治2年に今の地にうつされたそうです。吉田神社に今も水戸神社としてそのなごりがまつられています。

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水戸の梅の話題(10)

2018-02-27 21:03:51 | 水戸

臥龍梅(偕楽園 常磐町1-3-3)
 咲きはじめの臥龍梅(臥龍梅という梅の品種もあるようですが、ここではその姿からいった名前の梅です。枝から根が出ているかどうかわかりませんが)です。偕楽園では臥龍梅を余り喧伝していないようです。江戸時代には、江戸亀戸の梅屋敷などは臥龍梅でたいへんにぎわったそうですし、今でも各地に有名な臥龍梅があるようです。偕楽園には候補生が何本もあるようですから、見ごたえあるように仕立てるのもよいのでは。

 

梅の絵のある階段(那珂川右岸 水府橋手前)
 結構古いようなので、蹴上(けあげ)に絵を描くのがはやりはじめた頃につくられたものなのでしょうか。市道城東・文京線から那珂川堤防へ上る階段です。

 

昭和58年度卒業記念碑(柳河小学校 柳河町318-1)
 中央にある卒業生名を入れたプレートの周囲に、梅の花がめぐらされています。

 

梅が丘通り(姫子と見川の境にある通り)
 梅が丘小学校などがあります。学校名は水戸の梅と、希望を象徴する丘とを組み合わせてつくられたそうです。

 

常陽銀行本店(南町2-5-5)
 シャッター絵画です。薄紅と白い花が一緒に描かれていますので、そういう品種をデザイン化したのでしょう。

水戸の梅の話題(9)

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水戸の卒業記念

2018-02-26 20:31:01 | 水戸

 学校には卒業記念のいろいろなものが残されています。私の見た中で一番古いものは、昭和15年度につくられた三の丸小学校の池でした。また、昭和50年代の後半は、一種のブームがあったようで、あちこちで記念物を見ることができました。

 

心字の池(三の丸小学校 三の丸1-6-51)
 昭和15年度に西山荘(せいざんそう 現・常陸太田市にある徳川光圀が住んだ隠居所)にある池にならってつくり、池の中には生徒全員が心という字と名前を書いた石をしずめたそうです。そして、昭和61年度にそれを改修し、それらのことを書いた、写真左にある石碑を建てたそうです。

 

ケヤキ植樹(鯉淵学園 鯉淵町5965)
 昭和25年度の卒業記念に、ケヤキ6本を植樹したそうです。ケヤキの成長速度ははやいようで、もう写真のようになっています。

 

日時計(上大野小学校 東大野106-1)
 昭和55年度の卒業記念です。台のレンガには、生徒の言葉と名前などが彫りこまれています。

 

仲よし像(城東小学校 城東2-7-62)
 昭和58年度の卒業記念です。台に生徒の言葉と名前等を書いた陶板が埋めこまれています。

 

卒業生顔の陶板(柳河小学校 柳河町318-1)
 昭和58年度の卒業記念碑です。多分生徒それぞれが作った顔の陶板なのでしょう。写真手前の丸皿には生徒の名前が書かれています。

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水戸の大瓶束(1)

2018-02-25 19:45:25 | 水戸

 大瓶束(たいへいづか)は、横柱の上に置かれる、酒を入れる丸い容器(瓶子 へいし)に似た形の装飾的な短い柱のことだそうです。横柱との接合部に結い綿(ゆいわた)という、飾りがつくことが多いそうです。左右につく飾りを笈形(おいがた)などというそうです。建物の側面にあることが多く、懸魚(げぎょ)に隠れてあまりよく見えないことが多いようですが、気をつけてみると、いろいろな変化が楽しめます。
 寺社建築は、こうした細かいところに独特な装飾を入れることによって、いかにも寺社らしい雰囲気をかたちづくっているようです。

 

水戸八幡本殿(八幡町8-54)
 佐竹義宣(よしのぶ)の時代に、15歳だったという吉原作太郎というお抱え大工によって作られた建物だそうです。

 

 

鹿島香取神社本殿(大野町258)
 結い綿と笈形の両方がそろっています。

 

鉾神社本殿(大場町2373)
 結い綿の彫刻が、狐の顔のように見えます。

 

吉田神社本殿(開江(ひらくえ)町499)
 結い綿のないシンプルなデザインですが、その分笈形がこっているようです。

 

浄安寺(緑町1-13-22)
 これはかなり変わったデザインになっています。

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水戸の竹林(1)

2018-02-24 19:52:19 | 水戸

 水戸にはあちこちで竹林が見られます。徳川頼房も光圀も、万一の戦時を考えて、弓矢になる竹を要害の地に植たそうです。また、斉昭も、偕楽園に同様の発想で、京都からとりよせた孟宗竹を植えたそうです。心の弛緩をはかった偕楽園ですが、武士の考え方はいつも基本に置かれていたようです。
 最近は悪者扱いになっているらしい竹ですが、せっかくたくさんの竹林があるのですから、竹の子グルメなど、もっと活用の方法を考えてもよいような気がします。

 

偕楽園(常磐町1-3-3)
 ばかりでなく、竹の緑の美しさも見ものです。

 

逆川緑地(本郷橋近く)
 逆川左岸の崖にある竹林ですが、右岸の崖にも竹林はあります。

 

柳河町(県道63号線東側)
 平らな田の中の所々に竹林が見られます。

 

曝井(さらしい 愛宕町8-4)
 万葉集で詠われた湧水の背景を竹林がかたちづくっています。写真手前が曝井です。

 

水府橋近く(北見町3 市道城東・文京線沿い)
 道路沿いに竹林が広がっています。

 

河和田(かわわだ)
 植えられて手入れをされたようなきれいな竹林がありました。

水戸の竹

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