ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の竹(8)

2023-12-30 21:40:57 | 水戸

那珂川の竹留漁(水戸市立博物館 大町3-3-20)
 竹留漁といって、数千本の竹を川中に並べ立てて、遡れなくなったを獲る漁が那珂川の青柳で江戸時代におこなわれていたそうです。それまで竹留漁は那珂川上流で行われていたそうですが、元禄10年(1697)からこの地で行われるようになったそうです。写真では、川の中央あたりで竹が切れていますが、これは船を通すためだったそうです。水戸市民会館で開催された那珂川ヒストリー展にありました。

 

竹籠等(弘道館鹿島神社 三の丸1-6-4)
 弘道館鹿島神社で毎年開催されている瓢箪ランプ展に、竹かごなどの竹製品も展示されていました。写真右に籠目模様が見えます。

 

カンチク(寒竹 偕楽園 常盤町1-3-3)
 晩秋から冬にかけて竹の子がはえるのでついた名前だそうです。私は食べたことがありませんが、カンチクの竹の子はおいしいそうです。偕楽園庭園から好文亭に向かう通路脇にはえています。

 

供物(根本町)
 水戸では、どんど焼きを「わーほい」というようです。根本町のわーほいは、規模が大きくて見ごたえのある行事になっています。どんど焼きをする塔の前には、竹の容器に入れられた供物が並べられています。火をつける前に、神官が竹の容器に入れた御神酒を塔にかけてお清めをして、写真の供物をもやす塔の中ヘ入れているようでした。平成30年の写真です。

 

生け花(水戸市民会館 泉町1-7-1)
 水戸市民会館の開館イベントの中に、生け花もあったようです。写真は、その中にあった、4Fに飾られていた草月流の竹を中心とした生け花です。

水戸の竹(7)

 

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水戸の履き物(2)

2023-12-29 22:07:04 | 水戸

下駄(見和図書館 見和2-500-2)
 河和田城趾から出土した下駄だそうです。17世紀後半から18世紀前半に使われたもののようです。下駄に関しては現在とほとんど変わっていないようです。

 

浅沓(あさぐつ 吉田神社 宮内町3193-2)
 古くは公家が履いていたようですが、現在は神職の履き物になっているようです。始めは革製だったようですが、その後、木製から江戸時代になって、しんの桐板に紙を貼って漆をかけた、軽い沓が作られたそうです。

 

藁靴(別春館 元吉田町327)
 こしきに入れて蒸かした熱い酒米を掘り出すとき、こしきに入いるためにつくられた藁靴だそうです。

 

地下足袋(水戸黄門まつり)
 今年の水戸黄門まつりで、神輿の担ぎ手が履いていた白い地下足袋です。地下足袋は、「じか」に履いて外を歩く足袋(たび)という意味の命名だそうです。

 

傘立て?(姫子)
 住宅の入り口に置かれた陶製の長靴です。傘立てか植木鉢なのでしょう。世の中にはいろいろなものがあるのだなと、こうしたものを見るとつくづく思います。

水戸の履き物(1)

コメント (2)
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水戸の日よけ幕(3)

2023-12-28 21:05:23 | 水戸

いばらき地酒バー水戸(宮町1-1-1)
 日ざしのない駅建物内の通路にあるのですが、なかなか店の雰囲気に似合う日よけ幕のようです。茨城県の形をうまく使った酒の字が目を引きます。現在地に出店して約1年が過ぎたようで、10日にはエクセルみなみ(宮町1-7-31)で一周年記念企画の地酒試飲イベントが行われたようです。

 

だるま食品㈱(柳町1-7-8)
 桜川堤防前にある、だるま納豆の販売元・だるま食品㈱の日よけ幕です。男前のだるまが描かれています。上下にある、丸いだるまと梅と組紐の模様も、全体的にうまく調和しているようです。

 

布施薬局(本町1-4-20)
 古い商店街である、本町らしい日よけ幕を作ったように見えます。創業が昭和5年のようですから、もう100年近い歴史がある店のようです。FARMACIAは、スペイン語で薬局のことのようです。

 

麺 一直(見川町2267-3)
 行列のできる人気店のようです。縮れ太麺のつけそばが有名だそうです。

 

三の丸小学校(三の丸1-6-51)
 これは"日よけ幕のようなもの"といったところでしょうが、いちおうとりあげておきます。「其(そ)れ恕(じょ)か。己(おのれ)の欲せざる所は、人に施すこと勿(なか)れ」と孔子の論語にある、「恕」の字が染められています。「恕」は、今流に言えば思いやりということなのでしょう。校庭に入る冠木門に張られていました。先日見たときにはありませんでした。

水戸の日よけ幕(2)

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師走の水戸・偕楽園

2023-12-27 21:07:19 | 水戸

 師走も残るところわずかな偕楽園の風景を見てきました。今日は風もない好天の散策日和で、のんびりと園内を見てくることができました。

 


 昼ころに行ったのですが、土手の日陰では、まだ霜が見られました。リュウノヒゲらしい葉には霜が一面についていました。また、地面では大きな霜の結晶も見られました。

 

ウメ・虎の尾の蕾
 早咲き品種という虎の尾の蕾は、少し気温が上がればすぐに開きそうなくらいにふくらんでいました。同じ早咲きの水心鏡も同様でした。写真のように、すでに花の蕾は枝一杯についているようです。両方とも白い花だそうです。

 

ロウバイの蕾
 早いものは12月から咲くらしいロウバイの蕾も大きくなっていました。ロウバイは、春の到来を感じさせる黄色い花の中でもトップクラスの早咲きのようですが、今から開くのが待たれます。写真のように、この木はまだ葉がたくさん残っていました。

 

ウメの選定作業
 広い偕楽園の梅林ですが、たくさんの庭師の人たちが入っているようで、もうだいぶ剪定は進んでいるようでした。ウメの剪定は、「梅切らぬ馬鹿」といわれるようですが、そうとう大胆に行われているようでした。

 

石碑にうつる影
 葉がないので、木の影を眺めるのも冬の楽しみのようです。地面に落ちる影だけでなく、写真のように石碑などにうつる影もおもしろいものです。写真は関新平の「遺徳之碑」です。

 

シジュウカラ
 梅の根元にシジュウカラがとまっていました。昆虫が主な餌のようですが、冬でも地面近くでは捕らえることができるのでしょうか。近くでは、地面にとまっているツグミも見かけました。

 

ハギの切株
 花の終わったハギの木は、さっぱりと伐採してしまうようです。秋に囲いの部分いっぱいに茂っていたハギが、株だけになっていました。毎年のことなのでしょうが、ハギは翌年になるとまた繁茂するようで、生命力が強いようです。

水戸偕楽園のお正月風景
水戸・偕楽園の話

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水戸の魔除け(3)

2023-12-26 21:21:22 | 水戸

盛り塩(元吉田天神社 元吉田町36°21'25.8"N 140°29'17.8"Eあたり)
 塩を円錐形に盛って、厄除けや魔除けとしたそうです。盛り塩の風習は、奈良、平安時代に既に行われていたそうですから、古い歴史があるようです。塩は、食品の腐敗を防いだり、傷の洗浄などに使われたりしたようなので、清めるというという意味を持ち、信仰の場でも清めや祓いの素材として使われたのでしょう。写真は、天神社拝殿の戸口に置かれた盛り塩です。

 

籠目(かごめ)模様(R4水戸黄門まつり)
 竹を編んだ籠で見られる三角形を基本とした連続模様は、籠目模様といわれ、写真の半天のように、いろいろなところで使われているようです。凝視する目は魔を払う力があると考えられたことから、この模様は、たくさんの目と見られて、魔除けとなったようです。

 

獅子舞(水戸八幡宮 八幡町8-54)
 獅子舞は、神楽の一種で、古くからあったようですが、広まったのは、室町末期から江戸初期の、魔除けの獅子舞をともなった伊勢大神楽によるともいわれているようです。獅子に頭をかんでもらうと魔除けになるともいわれているようです。写真は、水戸八幡宮節分祭(追儺式(ついなしき))で行われた獅子舞です。

 

狛犬(弘道館鹿島神社 三の丸1-6-29)
 神社は清浄な神域ですから、狛犬は魔の侵入を防ぐために置かれるのでしょう。日本には獅子として飛鳥時代に入ってきたようですが、その後、角のない獅子と角のある狛犬で一対となり、さらに今のように獅子の名残を残しつつ狛犬2匹になったようです。左右が阿吽の形になっているようです。

 

ナンテン(水戸市植物公園 小吹町504)
 ナンテンという名前は、中国名の南天燭からきたようです。シャレ好きの日本人が難転(難が転じる)と見たてたのでしょう。江戸時代には魔除け、火除けとして家の鬼門の方角に植えたそうです。ナンテンは、繁茂しすぎて困る木でもあるようです。

水戸の魔除け(2)

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