ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の寺額(6)

2024-05-31 21:59:50 | 水戸

元三大師(がんさんだいし 赤塚1-1965-2)
 天台宗俊澄寺の寺額です。元三大師は、良源という比叡山中興の祖といわれる僧で、1月3日に死去したのでいわれた通称だそうです。疫病を退散させたときに鬼の姿になったということで、その像を描いたお札が配られているようです。寺額は、「丁卯(ていぼう)」と書かれていますので、昭和62年に奉納されたようです。

 

勝幢寺(しょうどうじ 渡里町2800-1)
 真言宗豊山派の寺だそうです。勝幢は、降魔を象徴する旗をいうようです。江戸氏の時代、臣下の春秋(はるあき)氏が大檀那だった寺のようです。真言宗としては珍しい名前の寺のようです。

 

東漸院(成沢町1692)
 寺伝では、水戸城主・江戸通泰(みちやす)が、今の千波町(払沢)に建立した寺で、開山は雪渓道瑞(せっけいどうずい)だそうです。その後、慶長(1596-1615)の頃、成沢の金砂山に移されたそうです。曹洞宗で、金砂山東漸院というようです。

 

護国寺(見川1-2-1)
 天台宗の寺で、徳川斉昭の天保の改革で処分されたり、水戸藩幕末の抗争で廃寺となったりしたそうですが、昭和になって元の地に多宝院護国寺として再興されたそうです。

 

七面大明神(妙雲寺 見川1-103)
 元は今の好文亭の地にあり、2代・光圀の妹・菊姫のために3代・綱條(つなえだ)が建てた日蓮宗の寺だそうですが、斉昭が偕楽園を作るときに、妙雲寺境内へ移したそうです。大明神と書かれていますので、神仏混淆の名前をのこしているようです。文字は身延七面山の別当が書いたようです。

水戸の寺額(5)

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水戸で見られた木の鳥居(7)

2024-05-30 21:28:51 | 水戸

鹿嶋神社(成沢町1708)
 裏側から鹿嶋神社へ向かう西参道にある木の鳥居です。市道・水戸茂木線から東漸院(成沢町1692)に向かう道路途中にある参道入口と、神社との標高差が20mくらいあるようで、坂を登りきって神社がある高台へ着いたあたりに鳥居がありました。笠木の上に金属の覆いがかけられているようです。神社正面方向にある鳥居は石製です。

 

不動尊(下入野町36°18'35.8"N 140°31'01.6"Eあたり)
 変則十字路の角部分に建てられた石像不動尊と小祠の前にありました。木の鳥居は、神明型といわれる、こうしたシンプルな形が多いようです。

 

石祠(下入野町36°19'03.4"N 140°31'16.3"Eあたり)
 下入野の高台へのぼる道と、田園部を走る道の分岐部分に建てられた石祠の前にありました。写真右に見えるのは、赤い頭巾とちゃんちゃんこをつけた地蔵尊です。

 

稲荷神社手水池(大串町2251)
 稲荷神社拝殿向かって左手の崖下に手水池(ちょうずいけ)があり、そこに建てられた鳥居です。古木の根元から水が湧き出しています。

 

山神神社熊野神社(元石川町36°19'32.4"N 140°30'08.8"Eあたり)
 山神神社と熊野神社が併祠された建物前に建てられていました。坂の途中の斜面部分に、道路へ向かって建てられていました。この写真は、令和4年に撮ったのですが、今、令和4年撮影とあるグーグルマップで確認したところ鳥居がありません。倒れてしまったようで横に置かれているようです。

水戸で見られた木の鳥居(6)

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水戸の昆虫(12)

2024-05-29 21:10:34 | 水戸

ギンツバメ(ツバメガ科)
 このガの幼虫は、毒性を持つガガイモ科の植物の葉を食べるので、植物同様の毒性を持っているそうで、鳥の餌にはならないそうです。でも、カマキリやクモなどには食べられるようです。羽を広げた大きさが25mm-30mmだそうです。渡里町の渡里湧水群で見ました。(撮影5.11)

 

アトボシハムシ(ハムシ科)
 大きさは4.5-5.5mmで、カラスウリの葉などを食べるそうです。写真は黒紋が2つですが、羽根の胸に近い部分の中央にもう一つ黒紋がある、黒紋3つが一般的なようです。黒紋がない個体もあるそうです。これも渡里町の渡里湧水群で見ました。(撮影5.11) 

 

コミスジ(タテハチョウ科)
 コミズジは、3本ある横筋の上方の筋が、羽の先にゆくにしたがって太くなるそうで、そこが似ているミスジチョウとの違うところだそうです。また、羽を広げた長さは23-31mmで、ミスジチョウは30-38mmだそうです。コミスジには、胴体には緑色の細毛があるそうです。幼虫はハギやフジなどマメ科植物の葉を食べるそうです。常照寺(元吉田町2723)付近で見ました。(撮影5.17)

 

キイロトラカミキリ(カミキリムシ科)
 体長13-19mmで、薄黄色に黒という目立つ色をしていますが、これはスズメバチを擬態しているのだそうです。クヌギなどの伐採木や、クリの花などにも集まるそうです。写真は、七ツ洞公園(下国井町2243)にあったアスチルベの花で見た、交尾しているキイロトラカミキリです。(撮影5.26)

 

ヒトツメカギバ(カギバガ科)
 羽を広げた大きさは30-45mmだそうです。前の羽にある紋を目と見立てたようです。幼虫はミズキの葉などを食べるそうです。これも七ツ洞公園で見ました。ガはチョウのように飛び回らないので、私などのシロウトにはありがたい被写体です。(撮影5.26) 

水戸の昆虫(11)

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水戸の方言地名

2024-05-28 21:30:32 | 水戸

 小字(こあざ)には、方言が使われる場合がけっこうあるようで、それらしいものを拾ってみました。たくさんあるのだなあと、新鮮な驚きを覚えました。「改訂水戸の町名」にある小字です。

 

①「い」と「え」の混用
向河原(むかかわら 旧・常盤村)、囲裏(かこうら 旧・緑岡村見和)、真生枝(まなだ 旧・吉田村吉沢)等
これはそうとうたくさんあるようです。「い」と「え」の混用意外にもいろいろな混用があるようです。写真は、江戸末期の窯跡が出土した囲裏窯跡遺跡(見和1-356-14)の発掘調査後の様子です。

 

②濁音化(だくおんか)
水戸道(みぢ 旧・緑岡村小吹)、当婦(どぶ 旧・吉田村吉沢)、松山(まやま 旧・緑岡村見川)等
茨城弁はきたないなどといわれるようですが、この濁音を多用するというのも一因なのでしょう。

 

③促音化(そくおんか)
楮原(こおぞぱら 旧・渡里村田野)、立原(たちぱら 旧・渡里村渡里)等
促音は、小さな「っ」がついて、つまる音だそうです。短く言うというメリットがあるのでしょう。

 

④撥音化(はつおんか)
東田(ひがだ 旧・飯富村岩根)、蟹沢(がざぁ 旧・山根村谷津)等
撥音は、「ん」と書いてはねる音だそうです。これも言葉を言いやすく短くする傾向から使われているのでしょう。「蟹沢」は、「蟹(かに)」が濁音化、撥音化し、沢が「ざぁ」になっていて、複合的になっているようです。

 

⑤省略
少々内(しょしょじ 旧・上大野村中大野) 、小塙(こばな 旧・酒門村谷田)等
これも短くしようとする傾向からなのでしょう。「小塙」は本来なら「こはなわ」なのでしょう。濁音化と省略が混じっているようです。

水戸の方言(22)

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水戸のアートタワーが見える場所(7)

2024-05-27 21:20:35 | 水戸

水戸市民会館4Fから(泉町1-7-1)
 4Fにある和室やその前にある庭から、アートタワーが目の前に見えます。和室は茶室としても使われるようですが、その際には、庭の雪だるまのような石灯籠(写真中央左)も含めて、普通の茶室とはだいぶ違う窓外の景色を楽しめるという試みがなされているようです。

 

開江町から(36°24'17.8"N 140°23'26.5"Eあたり)
 写真と撮った場所は標高が82mくらいのようです。標高28mくらいの地にある、100m高のアートタワーですが、なぜかこの地から見ると、同じような高さに感じました。

 

渡里町から(36°24'29.4"N 140°27'00.5"Eあたり)
 遠くでも家の間の隙間にアートタワーがはいって、より下方まで見えるという場所があるようです。これなどはそんなところの一つなのでしょう。この地からアートタワーまでは、直線距離にして7kmくらいあるようです。

 

上河内町から(36°25'14.9"N 140°27'06.8"Eあたり)
 このあたりの標高は7mくらいで、アートタワーのある地は25mくらいなので、塔を少し見上げる感じになるようです。

 

真下から(五軒町 1-6-8)
 真下からアートタワーを見上げるとこのような眺めになるようです。

水戸のアートタワーが見える場所(6)

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