やうちのブログ

gooの仲間と語り合う

電車ごっこ・Ⅱ

2010-05-12 20:24:48 | 雑感
 運転手は君だ 車掌は僕だ あとの四人が電車のお客
        お乗りはお早く  動きます ちんちん~


      運転手が交代してから既に半年余、しかし
 “日に増しおかずのまずいにつけて 元の主人を思い出す”
               昨今である。

       確かに元の主人とは献立も変わり
 “ついておいでよこの提灯に けしてくろうはさせやせぬ”
              を信じた俺だが、

 “酒の肴に新聞出され 見れば世間のアラばかり”
              で、釈然としない。

              勿論、運転手も
 “井戸の蛙が空うち眺め 四角なものだと議論する”
              日々が続くが、

           あの日から我が家でも 晩酌までが
 “運転手に託したおい等の暮らし 仕分けされつつ日が暮れる”
                 こととなる。

       また、懸案の5月末問題を聞くにつけても
 “旅行ファッションなんでも出来て お約束だけが出来ぬ人”
                  は 

 “軒に吊られたわしゃ風鈴よ なるも鳴らぬも風次第”
         の構え、なんとも心もとない。

 “今更苦労で痩せたと言えぬ 命までもと言った口”
        は どうなったのだろうか?・・・

          一方、車掌の方は、
 “面の憎さよあのきりぎりす おもい切れ切れ切れとなく”
             のである。

 “咲いた桜になぜ駒繋ぐ 駒が勇めば花が散る”
   の 道理は 乗客全員の感ずるところであろう。

        よってこの電車の遅延は
 “こうしてこうすりゃこうなるものと 知りつつこうしてこうなった”
             次第ある。

        こんなん電車に 乗客は
 “諦めましたよどう諦めた 諦めきれぬと諦めた”
         の 今日この頃である。