今年も一晩泊りで「小学校クラス会」に参加した。
7年前に、織姫・彦星が
“毎年の再会”を~と 誓ってから連続の開催となる。
”やんちゃ坊主のバッテンとれて 今はまぁるい七十才”
で、集まったのは、
彦星ならぬ「彦爺」7名と、織姫こと「織婆」7名の14名の面々である。
卒業時には48名のクラスであったが、昨年も1名が鬼籍入りし、
現在の会員は38名となる。
70前後にして去年、一昨年と続けて友が亡くなり、
次は?・・・の想いが脳裏を横切る。
さて、我々が小学校に入学したのは昭和20年年の4月で、
神国・日本の敗戦が確定的となった頃である。
よって、教科書は近所の兄ちゃんから譲り受け、
学生帽に替え 防空頭巾をかぶり、
ランドセルの代わりに 雑のう紛いの袋を背負い、
上級生に引率されての集団登校である。
また授業では、
女先生の勘高い声の「サイタサイタサクラガサイタ」も、
「スイタスイタオナカガスイタ」にしか聞こえず、
情けない時代であった。
今から思うに、”なんじゃもんじゃ”↓の一年生也
(ヒトツバタゴ<モクセイ科>・・・別名:なんじゃもんじゃ)
宴席では、酒が進むにつれて○○君、△△ちゃんと話が弾み、
二次会では、
花摘む野辺に日は落ちて みんなで肩をくみながら~
のカラオケ大会、
そして部屋の三次会では、
一部屋に車座になり、時間のたつのも忘れ語り明かした。
翌朝は、
県外組を 生れ故郷の思い出の場所へ皆で案内し、
昼食の反省会では、
来年も、お互いに元気で再開することを約してお開きとする。