【第一日目】③
「福井城址」 所在:福井県福井市大手3−17−1
現在は福井県庁・福井警察本部などがあり、その一角にある。
福井城は柴田氏が天正3年(1575年)に築城した「柴田氏北ノ庄城」と、後、その跡地に結城氏によって慶長6年(1601年)に築城または改築を受けた「結城氏北ノ庄城(後に福井城に改名)」とがあるらしい。現地に結城秀康の顕彰像があるので結城氏北ノ庄城(福井城)をみる。
江戸時代には福井藩主越前松平家の居城・城下町として栄える。
1600年に家康の次男である結城秀康が68万石で北ノ庄に入封されると、翌1601年より天下普請による築城を開始する。1604年に秀康が松平氏を名乗ることを許され、名実共に御家門の居城にふさわしい城となるよう、全国諸大名の御手伝普請で約6年の歳月をかけて完成する。完成した城は2km四方に及んだ。5重の水堀が囲む本丸には4重5階の天守が建てられていたが1669年に焼失し、以後藩財政の悪化や幕府への配慮などから再建されることはなかった。幕府から再建の許可が下りなかったとの説あり。
1624年に福井藩第3代藩主松平忠昌によって、「北」の字が「敗北」にあたり不吉であるとして「北ノ庄」から「福居」に改名され、さらに後に「福井」と改名された由。
これで第一日目の行動を終え、宿泊地の粟津温泉「法師」に向う。
道順は福井インターに出て加賀インターまで31Km戻り、その先小松バイバスに出て粟津温泉街である。
粟津温泉「法師」 石川県小松市粟津町
石川県には山中・山代・片山津、和倉、そして粟津温泉と名の知れた温泉郷がたくさんある。
なかでも粟津温泉は開湯1300年(西暦700年)とされる歴史の古い湯で北陸で遍く信仰された泰澄大師が白山権現のお告げによって発見されたと伝えられる。
そして今夜のお宿「法師」は開湯と同時に出来た旅館で、老舗旅館である。
ゆっくり温泉に浸かり、ご馳走を戴き第一にて目が終わる。つづく
「福井城址」 所在:福井県福井市大手3−17−1
現在は福井県庁・福井警察本部などがあり、その一角にある。
福井城は柴田氏が天正3年(1575年)に築城した「柴田氏北ノ庄城」と、後、その跡地に結城氏によって慶長6年(1601年)に築城または改築を受けた「結城氏北ノ庄城(後に福井城に改名)」とがあるらしい。現地に結城秀康の顕彰像があるので結城氏北ノ庄城(福井城)をみる。
江戸時代には福井藩主越前松平家の居城・城下町として栄える。
1600年に家康の次男である結城秀康が68万石で北ノ庄に入封されると、翌1601年より天下普請による築城を開始する。1604年に秀康が松平氏を名乗ることを許され、名実共に御家門の居城にふさわしい城となるよう、全国諸大名の御手伝普請で約6年の歳月をかけて完成する。完成した城は2km四方に及んだ。5重の水堀が囲む本丸には4重5階の天守が建てられていたが1669年に焼失し、以後藩財政の悪化や幕府への配慮などから再建されることはなかった。幕府から再建の許可が下りなかったとの説あり。
1624年に福井藩第3代藩主松平忠昌によって、「北」の字が「敗北」にあたり不吉であるとして「北ノ庄」から「福居」に改名され、さらに後に「福井」と改名された由。
これで第一日目の行動を終え、宿泊地の粟津温泉「法師」に向う。
道順は福井インターに出て加賀インターまで31Km戻り、その先小松バイバスに出て粟津温泉街である。
粟津温泉「法師」 石川県小松市粟津町
石川県には山中・山代・片山津、和倉、そして粟津温泉と名の知れた温泉郷がたくさんある。
なかでも粟津温泉は開湯1300年(西暦700年)とされる歴史の古い湯で北陸で遍く信仰された泰澄大師が白山権現のお告げによって発見されたと伝えられる。
そして今夜のお宿「法師」は開湯と同時に出来た旅館で、老舗旅館である。
ゆっくり温泉に浸かり、ご馳走を戴き第一にて目が終わる。つづく