「明日有りと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかわ」
上の歌は親鸞が九歳の時に詠んだとされている。得度するために青蓮院の慈円を訪れたのだが、「今日はもう夜遅いので、得度はあすにしよう。」と言った慈円に対して、親鸞が是非その日のうちに済ませてほしいと訴えたのだとされている。
私は仏教徒とは言えないが、門徒の家に生れたせいか親鸞に対しては特別な感情を今も持っている。日本が生んだ最高最大の思想家であると信じて疑わない。しかし、親鸞がいくら天才だといっても九歳にしてこのような歌を詠んだというのは如何なものだろう。親鸞びいきの人々にしてみればその利発さを称揚したいのであろうが、私から見れば逆である。子供なら子供らしく「はよしてほしい」と言えばいいのである。優雅に歌で訴えるというような貴族趣味が染みついた親鸞は想像できない。こんな話が出るたびに親鸞が汚されているような気がする。
ひいきの引き倒しみたいな話を内輪でしながら、お互いに喜び有り難がっている、というような状況を私は健全とは思えないのだ。
ま、しかし、このような話は冷静に考えてみれば作り話だとすぐ分かるだけに罪が軽いと言えるかもしれない。もうひとつ親鸞にまつわる話で「信心同異の諍論」というのをご紹介しよう。
ある日、法然やその高弟たちが居並ぶ中で親鸞が、「恩師法然上人のご信心も、この親鸞の信心も、少しも異なったところはございません。全く一味平等でございます」と述べたことから論争が始まったという。高弟たちは驚きそして親鸞のその傲慢さを非難したという。「知恵第一言われるお師匠様と自分を同等であるとは厚かましい」と言うのである。
親鸞は、「この親鸞は智恵や学問や徳がお師匠さまと同じだと申しておるのではありません。もし、智恵や学問が同じだとでも言ったのなら、あなた方のご非難もごもっともです。ただ、阿弥陀如来より賜った他力金剛の信心1つは、微塵も異ならぬと申したのでございます」と言ったという。
自力で努力して身につけたものならその人の精進と器量に応じて違ったものになるが、他力の真人は阿弥陀様からもらったものだから同じものだという論法である。もちろん最後に、法然自ら親鸞の方に軍配を上げるのである。
法然門下で起きた事柄であるが、もちろん浄土宗ではこんな話は伝えられていない。もっぱら浄土真宗の中だけでまことしやかに語られているのである。まさかこんな話を親鸞自身が自慢げに広めたとは考えられないが。
教団内部では分かりやすくて説得力があるから、この話を教材に使っているのだろうが、浄土宗に対して余りにも失礼だと思う。この話が真実であるなら、法然の周りには凡庸な権威主義者ばかりが集まっていたことになる。素人にもわかる話なのにそうそうたるプロの僧侶がそろいもそろって理解できなかったということである。
こんな話を真実だと信じて信徒に説教している僧侶は自分自身の凡庸さに気付くべきだと思う。自分自身が凡庸であるから、法然の周りの人間が皆凡庸であるという話を信じてしまうのではないだろうか。
宗教教団にはこのての内向きの話が多過ぎるように思う。