禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

想像上の現実

2021-04-18 04:48:01 | 哲学
 「サピエンス全史」によれば、われわれホモ・サピエンスは約30万年前に誕生したらしい。その時点において、人類と呼ばれる種はわれわれ以外にもホモ・エレクトスやホモ・ネアンデルターレンシスなど色々いたらしい。われわれホモ・サピエンスは当初は他の種に比べて優越的な立場にいたわけではないらしい。むしろネアンデルタール人などと比べて劣位の時期もあったらしい。それが約7万年前ぐらい前にホモ・サピエンスに大きな変化があったらしく、その他の人類は淘汰されていく。ネアンデルタール人も約3万年前に絶滅したと考えられている。
 
 個体レベルではネアンデルタール人に比べて体力的に劣るわれわれが優位に立てたのは、やはり他の種に比べて際立った言語能力を持っていたからだと考えられる。簡単なコミュニケーションなら他の動物にもできる。しかし、物語を語れるのは人間だけである。ユヴァル・ノア・ハラリ氏は「同じ神話を信じていれば、他人同士大人数でも協力し合える。」と言う。みんなが同じ虚構を信じていれば、同じ規則に従うことができるというのである。自分で生み出した虚構を信じることができる、そのようなことができるのは、われわれサピエンスだけである。

 宗教が共通の神話に基づくものだということは当然であるが、ハラリ氏は国家や法律に関するものごとも虚構(物語)を信じることによって成り立っているという意味では同様だと言う。そう言われれば、「日本」そのものというものはどこにもない。人かそれとも国土を指すのだろうか? 日本人であっても国籍を変えればアメリカ人になり得るし、戦争があれば国境も変わるし、へたすれば国そのものが亡くなったりする。日本固有の領土などと言うものが本当にあれば、尖閣問題も竹島問題もあり得ない。国際紛争というものも、物語と物語すなわち虚構と虚構の衝突であると言える。

 物語のネットワークを通じて生み出されるものごとを、専門用語で「虚構」、「社会的構成概念」、「想像上の現実」と言うらしい。現実という言葉は虚妄に対する事実を言うのだが、想像上の現実は虚妄ではない。皆が信じているものを「想像上の現実」というのである。日本もお金も皆が信じているから「想像上の現実」なのである。誰も信じなかったら、もちろん日本もお金も実在しない。
 
ひたち海浜公園
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