昨日(4/20)の東京新聞の朝刊によれば、菅首相はバイデン大統領との共同記者会見の場で、記者の質問を無視したらしい。ロイター通信社の記者が、バイデン大統領にはイランの核濃縮問題、菅さんに対してはコロナ禍における五輪開催は「無責任ではないか」と訊ねた。まずバイデンが答え、次に菅首相に答えるよう促したところ、ロイターの質問には答えず、「それでは日本側から」といって共同通信社の記者を指名したというのだ。自分にとって都合の悪い質問は無視するという、官房長時代からの悪い癖がアメリカでも出てしまった。自分の政策について聞かれたことには答える、説明責任は政治家に要請される最低限の誠実さである。アメリカくんだりまで行って、とんだ日本の恥をさらしてくれたものである。
二階幹事長の「東京オリンピック・パラリンピックの開催中止も選択肢になる」という発言が物議をかもし、本人もあわてて「とてもこれでは無理だと、誰もがそう判断することになった状況になったときのことを言っているわけです」と釈明した。なぜ釈明したのか? 「誰もが無理だと判断する」ようなら中止になるのは当たり前で、およそ釈明としては意味のある言葉ではない。「AはAである」と言っているのと同じだ。あえてそのように釈明しなければならないのは、実際には「五輪の開催中止が選択肢にはない」からではないのか。国民の税金を不明朗な賄賂として使ってまで、「福島原発はアンダー・コントロール」と嘘ついてまで、誘致したオリンピックをいまさらやめる訳にはいかない。なんだかんだ言っていても、いざオリンピックが始まれば国民の気分は高揚する。白血病を克服した池江璃花子さんがもしメダルを取ったりしたら、日本中は感動の嵐に包まれて、そのまま衆院選に突入すれば与党の大勝利は間違いなしという訳か。
ここには最悪の事態を回避するという発想はない。敗戦必至の状態になりながら、「誰もがもう無理と判断する」ような事態に至るまで、降伏をなかなか決断できなかった、どこかの国に似ている。すでに大阪は医療崩壊状態で、東京もそれに近づいている。救急車はサイレンを流しながら、受け入れ病院を求めて街中をさまよい続ける。今、脳梗塞になったら手遅れになる確率が高くなっている。「不急の手術は先送り」だというが、不要不急の手術などと言うものは本来存在しないのではないのか。
今から思えば、第一波を抑え込んだ昨年夏あたりで、オリンピックの中止を決断すべきだっただろう。そして全精力をコロナ対策に傾注すべきだった。感染者数をとにかく最小レベルにまで抑え込んで、発熱者はすべてPCR検査をするというくらいに検査体制を拡張し、感染者が出れば徹底的に接触者をトレースする。そうすれば、多人数の会食を禁止するくらいの対策で済んだような気がする。なのに、第一波が収まったときに、「PCR検査の対象を広げないで、焦点を絞ったやり方が正解だった」というような迷信を意図的に広めて、調子に乗ってGoToトラベルみたいなあほなことをやってしまった結果が今の惨状をまねいている。
遅きに失したが、今からでもオリンピックを中止して、全精力をコロナ対策に傾注すべきであると考える。 医療現場はもう疲弊しきっている。コロナ患者が増大している中で、ワクチン接種にも人手が取られ、その上オリンピックのために医師と看護師を振り向ける余裕はない。
東京都知事が「東京には来ないでください。」と言っている。なのに、オリンピックは実行する。なぜ? オリンピックは人が集まることに意義があったのではなかったか。 オリンピックって一体なんなの?