禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

ロシアの良心を信じたい

2022-03-02 21:52:08 | 政治・社会
 30年ほど前、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」という本が世界中で話題になったことがある。政治イデオロギー面の対立においてはすでに決着がつき、「リベラルな民主主義以外のどんな政治体制も正統性(legitimacy) を持ちえない」ということが白日のものとなった、というような内容であったように記憶している。ソビエト社会主義共和国連邦が崩壊し、中国では天安門事件が起こった。そういう当時の世界の雰囲気を反映した論文であった。そのとおりであれば、インターネットの普及による情報網の充実と、活発な経済交流により、世界の「リベラルな民主主義」化は一層促進されるはずだった。私の生きているうちにロシアも中国も民主化されることは間違いないとさえ思えた。
 
 ところがどうだろう、プーチンはドンバス地方の反政府グループを背後からコントロールしながらウクライナから独立させ、彼らを守るためという口実でウクライナを侵略した。かつて、満州に傀儡政権を樹立して、いろんな口実で中国を侵略していった大日本帝国と全く同じ手口である。歴史は繰り返すと言うが、専制主義者の考えることはいつの時代も同じなのだろう。彼らの望むものは自分たちの権力維持と拡大だけ、彼らの想像力は防空壕の中で赤ん坊を抱きながら震えている母親の気持ちにまで及ぶことはない。停戦交渉が行われているようだが、相手は人々に対し恐怖を押し付けながら自分の要求を通そうとする根っからのサディストたちである、交渉はただの時間稼ぎで着々と侵攻を続けるつもりかもしれない。

 一体プーチンは何を考えているのだろうか? この戦争でロシア国民が得るものは何一つもないはずだ。プーチンはおそらくウクライナを簡単に攻略できると考えていたのだろう。すんなりウクライナをロシアの支配下に取り戻せば、大ロシアのナショナリズムが満たされると考えたのだろう。フクヤマが言うように専制主義に本来の正統性はない。だから、彼らはナショナリズムによって正統性を偽装するのだ。現に、彼はウクライナからクリミヤを強奪したことについてはロシア国民の支持を得ている。それに味をしめて、今回もうまく行くと考えたのだろうが、ほとんどのロシア人はウクライナ人を攻撃することは望んでいないはずだ。この戦争の実態が知れ渡ればプーチンの支持率は低下するだろうが、したたかなプーチンは政敵になりそうな人物はことごとく叩き潰してしまっている、中々政権基盤は揺らぎそうにない。残念ながらウクライナ国民の苦しみはしばらく続きそうな気がする。でも、ここはやはりロシア人の良心に期待したいと思う。ロシア中に反戦ムードが沸き上がれば、プーチンだって戦争を続けることはできないだろうから。

 この頃は国際ニュースを見るたびに暗澹たる気持ちになる。多くの人々が苦難にさらされているのに何もできない、無力な私には一刻も早くこの戦争が終わるように祈ることしかできない。せめてロシア大使館前に出かけて、ロシア人の良心に訴えてこようかとも考えるのだが‥‥‥。

 ところで、話しは少し変わるが、下の写真の女性をご存じだろうか? 

彼女の名前はナターシャ・グジー、バンドゥーラというウクライナの民族楽器の名手にして、クリスタルボイスの持ち主のウクライナ人である。現在日本で活躍している音楽家でもある。音楽に興味のある人には是非試聴をお勧めしたい。 ただし、広告はスキップした方が良いと思います。
  

コメント
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