ロシア軍によるキエフ総攻撃は時間の問題であると言われている。このままウクライナ側が徹底抗戦を続ければ、280万都市が焼け野原になってしまう。今までとは別次元の悲惨な状況に陥ることは疑う余地がない。ロシアに対していくら経済制裁を加えてもプーチンにおもいとどまらせることはできない。かといって、第3次世界大戦を避けるには欧米も直接戦争への介入はできない。となればどうすれば良いのだろうか?
素人考えと言われるかもしれないが、白旗を揚げるべきではないのかと思う。一度は自由な空気を吸ったウクライナ国民にとって、ロシアの傀儡政権の支配下で暮らすのは苦痛以外のなにものでもないと思うが、このまま抵抗を続ければ何十万どころか何百万の人命が失われかねない。祖国の栄光の為に最後まで戦っても、死んだら元も子もない、死んだらその人にとってなにもかも一貫の終わりである。この世はもともと不条理なものと見定めなければならない、というのが仏教の教えである。と言っても悲観主義のすすめではない。不条理の中にも最善の選択を模索しなければならない。決して思うようにならないからと言ってやけくそになってはいけないということである。玉砕はしてはならないということなのだ。禅では「大死一番」とか「死んで生きよ」とか言われるが、あくまでそれは日本の武家文化の中で生まれた「生きることに執着するな」という解釈であって、私はそれは仏教の解釈としては間違っていると思う。仏教の趣旨としては「何事につけても固定観念に執着してはいけない」ということに尽きる。この場合、祖国の栄光とか名誉という言葉に執着してあたら多くの人命を失ってはならないということである。
いかにプーチンが情報を統制したとしても、いずれかの日に彼が行ったことの真実がロシア国民にも知れ渡る時が来るはずである。もしかしたら彼の生きているうちにその日はやって来ないかもしれない。スターリンのように‥‥‥。だが、この情報化時代においては誰も歴史の審判を逃れることは出来ない。ロシア国民がロシア軍のウクライナで行ったことの意味を知る時が必ずやってくるはずである。ウクライナの子供達にはその日まで生き残っていて欲しい、と私は切に願うのである。
このようなことをいうことは、必死に戦っているウクライナの人々にすれば侮辱以外のなにものでもないかもしれないが、一人でも多くの人々に生き残って欲しいと思うゆえである。
あがたの森 (長野県松本市)