WBCの最終戦の最後、大谷とトラウトの一騎打ちはとても見ごたえのあるものだった。クローズアップされた大谷の表情からその息遣いが伝わってくる。文字通り息詰まるような瞬間だった。トラウトを三振に打ち取ったときの大谷の感情の爆発を見て、彼の勝負に対する執念と野球に対する情熱を誰もが見た、そして誰もが心を震わせたはずだ。それがスポーツの素晴らしさである。
しかし、私は以前からこのWBCに対しては懐疑的である。というのは、この大会がもともとMLB(メジャーリーグ)のビジネスであり、それも日本向けビジネスとして設計されたものであるからである。主なスポンサーがほとんど日本企業であるのに、収益の7割がMLBの懐に入るという、とてもいびつなシステムになっている。アメリカの企業にはスポンサーとして参加させない。アメリカの企業にはあくまでメジャーのシーズンのスポンサーとして参加してもらい、その収益を独占したいからである。
日本側ではWBCを「世界一決定戦」などと息巻いているが、アメリカ側ではあくまで最も権威があるのはワールドシリーズであり、WBCは単なる金儲けビジネスに過ぎない。だから、日本や他のアジアの国からはほぼベストメンバーを派遣するが、肝心のメジャーは本気で選手を選抜しない。今年はトラウトなどの声掛けにより、野手の方はスーパースターが参加したが、マックス・シャーザー やゲリット・コールというようなエリートピッチャーは参加していない。平たい言い方をすれば、WBCの試合結果もメジャーのオープン戦の試合結果のニュースの中に埋もれてしまう程度のようなものである。
そもそもWBCのゲームをテレビで視聴しているアメリカ人は、日本に比べてかなり少ない。今回のWBC決勝は全米で500万人が視聴したと言われている。人口が日本の約3倍のアメリカでの500万人である。日本の視聴率は午前中の放送であったにもかかわらず40%を超していたというから、何千万もの人々が見たに違いない。それに比べればアメリカの視聴率は低いと言わざるを得ない。しかし、このアメリカの「500万人」という視聴者数はそれでも破格なのである。今までの最高視聴者数は2017年決勝「米国対プエルトリコ」の305万人だったというから、一挙に6割以上も増加したことになる。おそらく、トラウトや大谷のようなアメリカ人にとってもスーパースターと言うべき選手が参加したことが大きかったのだろう。
アメリカで人気がそれほどないものを日本人がもてはやすことが悪いと言いたいわけではない。WBCというのはビジネスモデルとしてかなり歪んでいると言いたいのである。スポーツにかかわるビジネスというのはフェアーなものであってほしいと願っているからこのようなことを言うのである。
それともう一つ言いたいのは、WBCが終わって3日も経ったのに、未だにテレビでは同じビデオを繰り返し放映しているということである。自国のチームが優勝して嬉しいというのは自然の情であるが、ものには程度というものがあるし、決してナショナリスティックになってはならないと思う。オーストラリア代表が「日本のホスピタリティは素晴らしい」とかチェコ代表が「日本をリスペクトする」だとか「【WBC】優勝した日本の“ゴミ一つないベンチ”に世界が注目『賞賛すべきチーム』『感銘を受けた』」とか、他国の日本に関する報道内容を、日本国内でより一層繰り返し増幅するのは如何なものか。せっかくほめていただいたのに、まるで自画自賛である。褒められたら、その好意に対して感謝する、それだけのことにとどめておくべきである。現在のマスコミの狂騒は品位に欠けると思うのは私だけだろうか。