「不生不滅」などと言うとなんだか神秘的なことを述べているような印象を受けるが、仏教における神秘的な言説は大筋において、仏教の根本原理から隔たっていると考えて間違いないと思う。
仏教の根本原理と言えば「空」である。すべては相対的で、絶対性というものはあり得ないとする立場である。絶対性というのは、他との関係性がなくとも、それだけで独自に存在し得る完全性のことである。そういうものはあり得ないというのが仏教の立場である。
だから固定的で不変のものなど何もない。例えば、波というものについて考えてみよう。チリで地震が起これば、その波は日本まで伝わる。視覚的には、波そのものが移動しているように見えるが、実は水が上下運動しているだけで、水平方向に移動しているわけではない。人間について考えてみても実は同様である、われわれは鼻から空気を、口から栄養を取り込んでおり、常に新陳代謝している。システム的には常に外部と連続している開放系で、人間と外界を隔てる境界というものは厳密にはない。
そのような視点からとらえると、われわれが個物としているものは比較的そのパターンが安定している運動のようなもの、ということになるのである。つまり、厳密には個物は存在しないということになる。個物というものを認めなければ、それが生じることもなくまた滅することもない。
この世界に固定的で完全な形をしたものは存在しない。すべては過渡的で不完全で、かつ常に変動しているならば、始まりというものも終わりというものもない。それが不生不滅ということである。
来宮神社の大楠 (静岡県 熱海市)
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